目に見えないものをもったいないと思う

目に見えないものをもったいないと思うと価値観が変わるかもしれない。
例えば時間。よく言われるのが、10円20円の安さを求めて遠くの店に行くというもの。10分という時間だけでも最低賃金で考えても100円以上の価値がある。
自分の時間をどう使ってもいいではないか、その10円が大事なのだという意見ももっともだけれど、10円の安さを求めるのが趣味という以外は悪手になると思う。本当に経済的な「得」を求めるなら、遠くに行くのはいいとはいえない。その分体を休めたりするほうが、生産性が上がると思う。遠くに行くということは体力も使うということだ。ついでや運動がてらということならまだしも、わざわざ行くのは時間の方がもったいないと思う。
もう一つ、考えることをもったいないと思うことだ。
考えるべきことを考えないのは思考放棄になるけれど、考えなくてもいいことや一度考えたのに後回しにしてしまったことで考え直しになってしまうようなことだ。例えば、捨てるか捨てないか迷ったときに、後で捨てようとなるとその「後で」でもう一回、これは捨てるとしてたっけ?かなり前かな、本当に使わないかな?なんて考え直しになったりする。このプロセスがもったいないと思うようになってきた。なかなか捨てるという行為には抵抗があるけれど、物の価値と自分の思考(プラス時間プラス場所)の価値を考えると後者の方に軍配があがると思ったときは思い切って捨ててしまうのもいいと思う。過去に一度以上判断しているのだ、過去の自分を信じてみてもいいと思う。


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