アメコミや特撮好きの人間がついにアニメ「僕のヒーローアカデミア」の視聴を始めた話

この記事は2021年9月30日に公開した記事を再投稿したものです。

ボクはいわゆる逆張りオタクと呼ばれる人間で、特に流行り物なんかは割と逆張りやすい部類だったりする。流行った後に追いかけるのってなんかちょっと恥ずかしいみたいな気持ちがあるからだ。

でも面白い作品に関してはそういった偏見を持たずに、興味があったら少しでも触れるようにしたいと思ってるのだけど、今回はその真逆で、触れたら絶対面白いのがわかっているけどなかなか手を出せなかった作品についての話だ。


「僕のヒーローアカデミア」はタイトルからわかる通り、ヒーローものの漫画だ。個性という能力を誰もが持っていて、ヒーローという職業がある世界でヒーローを目指す主人公がヒーロー育成学校に通う話だ。

アメコミに影響を受けているという本作は、アメコミ好きなら絶対に刺さる作品だと思う。それは作品を視聴する前からなんとなく思っていたし、いろんな人の感想を目にしたりしても同じような言葉が多かった。

しかし、ボクが今からヒロアカに触れるのにあまりにも敷居が高かったのだ。

だってもう原作30巻くらいあってアニメも5期(9クール分)まであるんだもん。仮面ライダー2作観るより多いってさすがに敷居が高いよ。しかも最近鬼滅の刃とか呪術廻戦とかDr.STONEとか履修してる作品増えちゃったのに、これ以上増やしちゃったらたぶんやばいよ……。


そんなことを思いつつ敬遠してきたヒロアカに、ついに、手を出してしまった。

今回はアニメ3期まで観終えたボクの感想みたいなものを、つらつらと書き記していきたいと思う。



昨今のヒーローもの事情

実際の内容に触れる前に、まずヒーローものというジャンルについて少し話をしたい。

日本ではむしろ特撮といったジャンルの方が慣れ親しんでいる人が多いと思うが、フィクション作品としてはかなり昔からある王道ものだ。それこそ鉄腕アトムもヒーローの括りだし、広義ではマジンガーZのようなロボット作品もヒーローと言えるだろう。

悪の野望を抱く敵と戦い、世界の平和を守るために戦うヒーロー。そんな勧善懲悪という構図は日本では特にとっつきやすく好かれているジャンルでありながら、今ではむしろ敬遠されがちな部分もあったりする。

何故かというと、時代が移り変わってよりリアルな描写が求められるようになったことで、ヒーローものという概念にみんなが疑問を抱くようになったからだ。


例えば悪の組織に与する敵が、実は悲しい過去を背負っていて結果として悪に堕ちざるを得なかった、そんなエピソードがあったとする。それでも悪だからといって容赦なく成敗する姿を、現代の人は正義の味方とは思えないだろう。

正義の味方だからといって闇雲に暴力を振るうことを、悪と変わらないと指摘する存在がいたとして、確かに一理あると納得する人も増えただろう。

そう、一概に正義の味方がいて、悪の敵がいるという単純な図式では済まなくなってきしまったのだ。

実際問題、漠然と世界征服のために悪事を働く巨悪という概念は、あまりにも動機としては漠然とし過ぎていて、昔はそれで良かったのかもしれないが、現代でそれを大真面目にやるにはシュールになってしまったと思う。


そういったヒーロー作品を現代社会に馴染ませた作品を作り上げたMCUのような映画は、これまでにないリアリティを描くことが増えた。

悪が生まれた原因がヒーローの行動にあり、その結果として関係のない人々が傷ついてしまい苦悩する。同じヒーローであっても主義主張の違いから対立してしまう。さらにはヒーローという一個人が軍事レベルを越えた力を保持することに対する是非……。

そもそもスーパーパワーを持った人間が本当に人を守ってくれるのか、その力が無力な一般市民へ向けられる可能性はないのか。そんな問答が昨今のヒーローものでは当たり前に行われるようになってきたように感じる。

それらを踏まえた上で、ヒロアカを観た感想について触れていきたい。


個性を持つことが当たり前となった不平等な現実

ヒロアカの世界では誰もが個性という名の超能力を当たり前に持っている。

「人は生まれながらに平等じゃない。これは齢4歳にしてみんなが知る社会の現実」

このフレーズから始まるように、この世界では誰もが4歳までに個性を発現する。親から遺伝することもあれば、珍しい個性を突然発現する人もいる。そして良い個性を持つ人ほど称賛され、成功した人生を送れるのだ。

そんな世界で主人公である緑谷出久は、個性を持たない、無個性の人間だった。ヒーローに憧れ、自分もヒーローになりたいと願った少年は4歳にして、個性を持たずヒーローになることさえかなわない現実を突きつけられるところから始まるのだ。


正直いって、この時点でもう辛かった。個性に発現する人がいる、ではなく誰もが当たり前に個性を持っている中で持たない人間というだけで、ある意味で迫害されている姿を見るのが辛かった。それでもヒーローになりたいという夢を諦めきれない姿が本当に辛かった。

ヒロアカはそんな個性を持たない主人公がとある出来事をきっかけにして平和の象徴であるトップヒーローと出会い、ヒーローを養成する学校へと入学し、本物のヒーローを目指す物語だ。


全てを持っていた者と、何も持っていなかった者

ヒロアカの魅力のひとつとして、やはり主人公である緑谷出久と爆豪勝己の確執だろう。

幼馴染でずっと同じ学校だった二人は、いじめっ子といじめられっ子の関係だ。個性を持たないが故に馬鹿にされ、蔑まれ続ける緑谷出久。対して珍しい個性を持ち、何でも出来てしまうタイプの爆豪勝己。

二人は同じヒーローに憧れ、同じ学校を目指す。しかしそこでは、これまで以上に深い対立を生んでしまう。


とあるきっかけから個性を獲得し、ヒーローを本気で目指す緑谷出久。彼はひたむきに努力し、自分に足りないものを補おうと昔から必死に研究してきた。そんな彼の努力が学校では少しずつ報われ、少しずつ結果として現れていく様子が描かれる。

対して何でも出来てしまったタイプの爆豪勝己は、確かに非常に優秀な人間でありながらもその自惚れからくる強い自尊心が足枷となってしまう。これまで何も出来ない、自分よりも下だと思っていた緑谷出久に追い越されそうになり、さらには自分よりもすごいのではないかと思ってしまう他の優秀な生徒と出会うことで、これまでなかった焦りを感じるようになってきたのだ。

そんな二人の関係にハラハラさせられてしまうことが多いものの、どこか憎みきれない爆豪勝己の姿に共感出来てしまう時さえある。緑谷出久はいじめられながらも心の底から爆豪勝己のことを尊敬していて、そんな態度が嫌だという爆豪勝己。

正直、爆豪勝己というキャラクターはかなり苦手な部類だったのだが、いつの間にか魅力に感じるようになってきていた。最近では共感できるところも増え、当然のように応援している自分がいることに驚いた。

3期まで観て二人の関係に少しだけ一区切りついたのではないかと思っているのだが、今後二人の関係がどう変わっていくのか楽しみで仕方がない。


ワン・フォー・オール

緑谷出久が得た個性は、代々受け継がれてきた力だ。その憧れ、平和の象徴であるトップヒーロー、オールマイトがあまりにも大きな存在で、あまりにもかっこいい。

特に3期ではオールマイトというヒーローにとって大きな転機となる展開を迎え、その結末に泣き散らした。あまりにも感情になりすぎて箱ティッシュを一箱使い切った。

散々ヒーローもののリアリティがどうこうとか言っておいてアレなのだが、そういった細かい部分を抜きにして、やっぱりそれはそれとしてヒーローはやっぱりかっこいいのだ。ボロボロになりながらも戦うその姿に憧れ、強く拳を握りしめ、その名を叫ばずにはいられないのだ。

正直ボクの口からそのかっこよさを説明することは難しくて、感じて欲しいとしか言いようがない。でもひとつだけ言えるのは、ヒロアカという作品の枠を越えて、オールマイトというヒーローはあまりにもかっこいいが過ぎる。

こんなの嫌いになる方が難しいくらい、リアリティを意識して描写されるヒーローものの中で概念としての、象徴としてのヒーローの在り方に答えを出している存在なのだ。

ヒロアカという作品を観て一番良かったと思うのは、オールマイトに出会えたことなのではないだろうかとさえ感じる。


まだアニメも50話近く残っていて、原作はそこからさらに続きも連載が続いているヒロアカ。先日アニメ6期の制作も発表され、まだまだ続いていくだろう。

やっぱり逆張りし過ぎるのも良くないなと思うほどに、当然のように面白い作品で、ヒーローものが好きな人なら絶対に刺さる作品だった。

しかも制作ボンズのこの作品、ここぞという盛り上がりどころでは気合の入った作画がコンスタントに提供される。本当に作画オタクとしても嬉しい。


ぜひ興味をもった人は、アニメ1期から観て欲しいです。ものすごくおすすめ。

いっぱい熱くなっていっぱい熱くなれる。そんな素敵な作品です。今後が楽しみ。


追伸

ボクの大好きなUVERworldが担当する3期1stOP「ODD FUTURE」が映像込みであまりにも最高でした。ぜひ好きになってください。

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