ピアノの魅力について語る
名古屋レッスンの帰りの新幹線で、坂本龍一さんの演奏するaquaを聴いていた。
あまりの美しさにイヤホンのボリュームを上げて、目を閉じる。
坂本龍一さんの演奏する音色、ペダルの軋む音、息遣いに聴覚を研ぎ澄ませた。
最後まで聴き終え、沈黙の中でほんの少しボーっと車窓を眺めながら考えた。
"どうして僕はピアノとこんなにも関わり続けているのだろうか"
"ピアノの魅力ってなんだろう"
そんな考えが頭に浮かび、どうせなら文章にしてみようと考えて今こうして書いている。
その前に、YouTubeで動画を無限ループするボタンを押した。
動画は、もちろん坂本龍一さんの演奏だ。
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ピアノの魅力で自分が1番に思い浮かんだことは、言葉が必要ないということだ。
僕は、感情を言葉にするのが大の苦手だ。
よく直接関わる人からは「コミュ力がある」なんて言われたりもするが、それは自分を繕えばいくらでもそれっぽい言葉は出てくるのであって、本当に感じていることや考えていることを言葉にしようとすると、どうしてもすぐには出てこない。
だから、基本的に人との会話は一対一じゃないと出来ないし、3人以上になると地蔵になって、突然会話についていけなくなる(一対一でも上手く話せないことはざらである)。
加えて、僕は正直、言葉というものをあまり信じていない。
感情は、複雑で曖昧なのに対して、言葉はあくまで限定的で有限なものだと思っている。
だから、感情を言葉で表現するためには、それっぽい言葉をパズルのピースをはめていくように繋ぎ合わせていく必要がある。
悲しい、と一言で言えばそれまでだが、その悲しさの背景にはもっと強烈な感情が渦巻いている。
しかも、せっかく言葉を選んで伝えても、一人一人その解釈は異なるから、言葉ほどあてにならないものはないなとさえ思う。
そんなわけで、僕にとって言葉は、嘘っぱちで表面的な情報しか伝えてくれない存在なのだ。
(この文章も、きっと読み手によって伝わり方が変わるだろう)
説明がかなり長引いてしまったが、そういうわけでピアノは言葉を介さずに、感情を直接表現できるから好きというわけだ。
ましてや、自分で作った曲となると、自分の感情に共鳴するメロディを奏で、さらにその旋律に強弱や緩急をつけて、感情のままに弾くことができる。
なんだか話が難しくなってきた気がする。
シンプルにまとめれば、ピアノが好きな所以は、感情を直接表現できるところだ。
じゃあ、楽器ならなんでも良いじゃねえか、という声も聞こえてきそうなので、もう一点付け加える。
ピアノの魅力の一つは、音色が圧倒的に美しいからだ。
心に直接染み渡るこの世のものとは思えない、奇跡的な音色がピアノの唯一無二の魅力だ。
恍惚とした天国にいるかのような繊細な音色や、暴力的で激しい音色など、無限の感情を表現することを叶えてくれるんじゃないというような音色の振り幅。
88鍵の音が奏でる、無限の宇宙。
これまでを振り返ると、どうしようもなく狂いそうな感情に呑み込まれたとき、いつも僕はピアノに向かって感情のままに鍵盤を弾いていた。
激しく鍵盤を叩きつけるときも、そっと愛でるように鍵盤を撫でるときも、ピアノは感情を音に変えてくれるのだ。
僕は、いつも上手く言葉にできなくてもどかしい思いをしているが、ピアノの前では素直になれる。
ピアノを弾いている時だけは、わがままになって、赤ん坊のように感情を剥き出しにして良いんだと、許されている気分になる。
指先に全ての神経を集中して感情をピアノの鍵盤に伝える。
そうして出てきた音色は、まさしく自分が表現したい感情そのものだ。
感情が音の上に乗り、言葉を持たずして、聴き手の心に直接伝わる。
ピアノの魅力はその一点に凝縮される。
以上、レッスン終わりであまり回らない脳みそを働かせて書いてみた。
最後に、YouTubeの動画を別の曲に変えて、帰りはこの動画を無限リピートしながら帰路につくとする。