ピアノ人生最悪の演奏に涙したおじいちゃんから学んだ大切なこと
10歳からこれまでおよそ13年間、様々な場面で幾度となくピアノを弾いてきた。
その数ある演奏の中で、思い出すことが怖くなるような、忘れ去りたくなるような、今でも教訓として自分を戒める演奏がある。
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いつかは具体的に思い出せないが、たしか16歳か17歳のときのことだった。
中学3年でピアノ教室を辞めてから1年後、ピアノの先生が「卒業生」という枠でピアノ発表会の出演を提案してくださった。
ピアノ教室を辞めてからも独学で練習を続けていた僕は、迷うことなく参加を決め、「ショパンの『別れの曲』を弾きます」と返事した。
それからしばらくして、発表会のプログラムが送られてきた。
自分の名前を探すと、一番後ろに書かれていた。
つまり、発表会のトリを僕が飾るということだ。
胸が高鳴った。
発表会まで残りわずかとなっていたが、僕は高校の部活、課外でのバンド活動などに忙しく、あまりピアノの練習に時間を割けずにいた。
それでもなんとかなるだろうと、まだ未完成の曲を後回しにしてしまっていた。
しかし、確実に時は流れ、発表会までの時間は刻一刻と迫っていた。
ギリギリになってから本腰を入れ始め、なんとか暗譜して人様に聴かせられられるほどには仕上げたものの、曲の途中のあるフレーズに対する強い苦手意識は克服できずにいた。
迎えた発表会当日、発表会には母親の他に祖父が足を運んでくれた。
自分の番がやってきた。
嫌な緊張感だった。
練習を十分にしたという自信を持てずに、不安を抱えたままピアノの椅子に座った。
そして、静かに弾き始めた。
「別れの曲」の冒頭の温かく切ないような旋律を感情を込めて丁寧に奏でた。
情緒溢れる繊細なメロディーがホール全体にキラキラと降り注いだ。
だが、静寂は突然訪れた。
懸念のあったフレーズの楽譜が完全に頭から飛び、それを誤魔化そうとなんとか音を繋ごうとするも、指がその先の音を完全に見失ってしまった。
観客の期待、ピアノの先生の期待、それらの詰まったトリの演奏で、僕は曲の途中で完全に手が止まってしまった。
演奏の途中で手が止まるなんてことは、ピアノをある程度かじったことがある人であれば、それがどれだけタブーな行為だと知っているだろう。
本来なら、なんとかミスを悟られないように強引に音を紡いで演奏を続けるべきである。
にもかかわらず、指が完全に先を見失った。
あまりに不気味な静寂がホール全体を支配した。
世界から音が消えたかのようだった。
完全に楽譜が飛ぶという初めての経験に動揺し、余計に頭の中が真っ白になった。
次のフレーズが全く思い出せない。
でも、早くこの状況から脱したい。
このまま終わるわけにはいかない。
使えなくなった頭をフル回転させて次の手段をなんとかひねり出し、問題のフレーズよりも前から再び弾き始めた。
再びホールにピアノの音が響いた。
羞恥心、罪悪感、後悔などに苛まれ、途切れそうな意識のまま、かえって無心で例のフレーズをなんとか乗り切った。
乗り切ってからは、「こんなにひどい演奏をしてしまったのだから、ここからは最高の演奏にしよう」と開き直り、結果的に曲の後半は練習とは比べ物にならないほど感情のこもった良い演奏ができた。
演奏が終わると、拍手が起こった。
嬉しいはずの拍手が、牙を向けて響いてきた。
客席をまともに見ることができないまま、観客に対して謝るように深くお辞儀をし、舞台からはけた。
舞台裏ですぐさま先生に謝った。何度も。
発表会を台無しにしてしまったという強烈な罪悪感に苛まれ、その場にいる全ての人に対して申し訳なく思った。
少し一人になったあと、客席で聴いていた母と祖父に合流した。
二人とも僕の気持ちを察して、あまり何も言わなかった。
発表会が終わり、記念撮影を終えると、祖父が近くの焼肉に連れて行ってくれて、たくさん高級なお肉を腹がはちきれるまで注文してくれた。
そして、祖父と別れたあと、母と共に家路についた。
落ち込む僕に母がこう教えてくれた。
”おじいちゃんが演奏に涙を流していた”
と。
なんで?!
なんで、あんなひどい演奏に...!!!
そう思った。
あんな最悪な出来の演奏にどうして涙を流したんだろう、、、って、その時は全然理解できなかった。
でもそういえば、ずっとおじいちゃんは僕のピアノを聴きたがっていて、念願叶って初めてその日僕の演奏を直接聴いたのだった。
思い返すと、僕はミスはしたものの無我夢中で感情を込めてピアノを弾いた。
でも、演奏全体を見ると、誰が聴いても最悪の出来だった。
おじいちゃんは、どんな気持ちで僕の演奏を聴いたのかはわからない。
わからないけれど、確かなことは、そんな演奏に涙を流した。
僕の演奏を聴けたことが嬉しかったのか、演奏に感動したのか、曲に思い入れがあったのか、演奏を聴いて何かを思い出したのか...
次の発表会にも来る約束をしたけど、結局、次の発表会の一ヶ月前から急に体調を崩し、しばらくして亡くなってしまった。
僕の「別れの曲」が最初で最後の演奏になった。
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あの時のおじいちゃんの涙の訳を知ることはできないけれど、この経験から教わったことがある。
それは、
“ピアノは上手い下手の物差しだけで測れない”
ということ。
演奏者がどれだけ技術に長けた完璧な演奏をしようと、どんな初心者の演奏だろうと、聴き手は十人十色の感じ方をするということ。
自分でどれだけ醜い演奏をしたと思っても、その演奏に感動する人がいるかもしれない。
技術的には全然上手じゃないんだけど、一生懸命弾いている演奏に心を打たれることがあるように、演奏は、演奏者の想像を超えて、誰かの胸に響くことがある。
僕のピアノの動画は、YouTubeのコメントで「下手」とか「ミスタッチ多すぎ」というコメントも少なくない。
けれど、その同じ演奏に対して「感動した」とか「良かった」と言って下さる方もいる。
このように、どれだけ下手でも一生懸命に弾いた演奏はきっと誰かの胸に響く。
どんなに簡単な曲でもいい、どんなに難しい曲でもいい、どんなにミスをしてもいい。
演奏している人の思いもよらないところで、誰かが涙を流して聴いているかもしれない。
誰かが励まされるかもしれない。
誰かの生きる希望になるかもしれない。
僕のおじいちゃんが特殊なんかじゃなく、誰しも同じことが起こり得る。
だから、どんな状態でも一生懸命に弾く姿はそれだけで輝いている。
おじいちゃんの涙を知った時の不思議な感情を今でも思い出す。
そして、亡くなったおじいちゃんに届けと思いながら、ピアノを今も一生懸命に弾いている。
どんなに下手と言われても、誰か救いになる人がいるならば、喜んでこれからも弾き続けていく。
Anzy☺︎
(参考までに、辻井伸行さん演奏の「別れの曲」の動画)