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虐待について

皆さまこんにちは。
お久しぶりになってしまいました。。

早速ですが、
今回は『虐待』について考えていこうと思います。

私は小さい頃、親に『虐待』と言われるようなことをされてきたように思うのです。
なぜそう思うのかというと、
規模は小さかろうと、叩かれる、蹴られる、引きずられる、放置される、怒鳴られる、意見を聞いてくれない、など、たくさんの記憶があるからです。

もしかしたら、このような家庭は少なくないかもしれないのです。

私も近所の人にはたぶんこういったことは知られてないのです。


私の母は、昔、所謂教育ママでした。
私は小さい頃からピアノを始めるのですが、
そこで母は教育ママが発動してしまったのです。


私が幼稚園の頃のある日、私は母と共にピアノを練習していました。
それはもう夜の12時をまわろうとしていた頃でした。
私は眠くて仕方なくて何度も意識が飛びそうになりました。
鍵盤がだんだん小さくなっていくのです。
鍵盤が離れていく、、見えない、、、
すると隣からこんな声が。

なんでこの音が弾けないの!!

(だって見えないんだもん!)

ザッ

バンッ

ピアノの蓋が閉められ、私はいつの間にか階段から引きずられていました。

そして、

ガシャーン!

ローテーブルがひっくり返るのと同時に私は死んだ、と思いました。

すると

スッ

と私の体が浮いていました。
父がわたしを抱き上げていたのです。

私は助かりました。


この日のことは忘れるはずがありません。




母は決して私を嫌いだったわけではありません。
つい他の子どもと比べてしまって熱が入りすぎただけなのです。

でもこういうことが起きてしまうのです。


こういったことは一生心に残ります。傷跡は残ります。


私は幼稚園から小学校2年生ぐらいまで『虐待』と言われるものを受けてきましたが、
もう一度言います、
こういうことは一生心に残ります。付き纏います。


この記事を読んでくださっている方がどんな方かわかりませんが、
今まで辛い思いをされてきた方、
その気持ち、よくわかります。

私なんかより酷い経験をされた方も多くいらっしゃると思います。


私たちは大きくなりました。
大人になりました。

今度は私たちが次の世代を作っていく番です。

心に傷を抱えた私たちは、他の誰よりも人の気持ち、痛みがわかるのです。
私たちは誰よりも強いのです。


親を憎むこと、妬むことあるかもしれません。
でも親は本当はどう思ってそうしたかわかりません。

負った傷は治らないかもしれませんが、
私たちは次の世代にこのような傷を負わせないことはできます。

私たちは傷と生きていく決心をする必要があると私は思うのです。
消す努力が無駄とは言いませんが、
私は消すより、それを生かすことが大事だと思います。

私たちだからわかることがあるのです。


長くなりました。
今日は『虐待』について考えてみました。

嫌な経験を思い出された方申し訳ありません。

でも私は自分のためにもみんなのためにも、経験を思い出すことも必要だと思うのです。


今日はこれで終わります。

ここまで読んでくださってありがとうございました。


あんずのき

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