その席、マジで私に譲ってくれないか
文学講座のノリで講演会に行ったらえらい目に遭った。
ただそれだけのノートである。
講師を侮辱するつもりもなければなにもない。
自分と方向性が合わなかった、自分の思っているものではなかった。
それもあるかもしれない。が、それだけの問題ではなかった。
これは「こういうこともあるよね」の共有ノートである。
兼ねてより予定していた文学講座の三回目が中止になった。
やることもないし、家で寝とくよりは勉強したい気持ちだったので、別の文学関連の講演会を予約した。
「人生楽しいやつはフットワークが軽い」
中止になったから同日の別の講演会を予約する。
これほど人生楽しんでいるやつは居ない。
どんな話が聞けるのかわくわくしながら雨の中、富田林へ行った。
美味い蕎麦を食い、ドッキドキしながらいつものペンケースとファイルケースを取り出して席に座る。
ものの数十分、私は「やっぱ家で寝とけばよかった」と後悔するのである。
テーマは「織田作之助と富田林」……だったと思う。
文劇6の効果で織田作之助への熱が再点火している矢先の話である。
そのために私は飲み会中に「土曜夫人」を読めるところまで読んで、寝る前に織田作ガイド本を軽く読んだ。
下地さえ整えておけば、あとはなんとかなるし吸収量も違うのである。
それは全て無駄であった。家で寝ておけばよかった。
講演の内容を整理する。
一に講師自身の話、二に身内話、三になんの話か分からない話である。
主語もわからない、何のこと誰のことを指しているかわからない、人名普通に間違う、話がぶっ飛ぶ、ナニコレ。中身がなさすぎる。
雨の中電車に一時間乗って来て聞く話でもない。
私の対友人に向けたギャラリートークのほうがまだ内容がある。
富田林での織田を知っている人に聞いた話。
そういう「本人を知っている人(学校の同級生など面識のある人)の話」を纏めた本も出ているっちゃ出ている。
が、とってもつまらない。知っている前提で話が出てくる。いや知らんし。
会場に来ている爺と婆はそれでいいのかもしれないが、なんのことかわからない。渡された資料も役に立たない。
所詮記憶は記憶、他人の話は他人の話でしかないのである。
「え、まだ一時間あるの?」
無駄な話が多すぎて、無駄な自分話で尺を取りすぎて時間超える。
挙句の果てに聴講者の指摘に言い訳とナアナア。て、てっめえ!それはダメだ!
こ、これで千円か……文学講座のノリで来るものじゃないなぁ……
講演で学んだことは「講師名とプロフィールは確認しておけ!」だけ。
主要テーマどこ行っちゃったの?
文学講座ではノート3,4ページ使ってメモとってたのだけど。
講演会で使ったメモは半ページにも満たない。
「まあ、文学館主催じゃなかったらこういうものか……」
諦め、諦め、諦め。次に参加する講座はどうか講師と環境に恵まれていて、こんな結末になりませんように。
いや、でも冷静に考えてみてほしい。
これがもし、専門外の織田作之助でなくバリバリ専門の菊池寛だった場合。
絶対にこれで済まないと思う。……流石に講演会乗っ取りとまではいかないが。
自分の大好きな男に置き換えると発狂金返せ私が講師になると喚くレベル。
素人質問ぶつけて「どこに目玉引っ付けて資料をお読みになっているんですか?」ぐらいは言ってしまうかもしれない。
いや、素人質問出かけましたが本筋としては関係がない話なので……
アンケートにはおとなしく、冷静に、遠回しに。
評価の理由――悪い点――を指摘して、「もっと学術的な、文学のお話が聞きたいです」と書く。
あんなの、文学の話じゃないよ。
不満どころじゃないぐらい不満。
職員の人が逆に可哀想に思えてきたぐらいだからやや不満にしておいた。
織田作之助が好きで好きで来ている人も会場内に居ると思う。というか、居た。すごい織田のファン(?)が。
行く先行く先ですれ違っていた彼女(初対面)と喫茶店でしゃべりながら出た結論は「なんなら私が講師代わるが????」。
その席、マジで私に譲ってくれないか。
私が喋ったほうがまだ中身あるぞ。
なんなら同じ千円出して彼女と喋ってた二時間のほうが中身も充実している。
身内話と自慢話を聞きたいわけじゃない。
私たちは勉強したくて、もっと知りたくて、織田作之助が好きだから、お金を支払ってあの場所に居たはずだ。居たはずだった。
それを理解していない講師など、何の役に立つのだ。
今までの講師人生で何を見てきたんだ。何を考えてきたんだ。
ただため息が出る。
が、いつまでも下を、後ろを見ているわけにもいかない。
必ず経験が役に立つ日がくる。
この千円は、その日のための、勉強代だったのだ。