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キャリア迷子たちへ:蕎麦とミニ天丼セット論

現在28歳、社会人6年目の私が説く、理想のキャリアは蕎麦とミニ天丼セット論。「仕事で英語が使いたい」「やりたいことってなんだろう」迷っている方たちに、私のちっぽけの経験から見出した仕事観を共有することで、考えを整理するきっかけを少しでも提供できたら嬉しいなと思って書きました。愛する、迷える、後輩たちへ。

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留学先で必死になって身につけた「英語を活かした仕事がしたい」という強い気持ちがあった私は、社会人2年目にして、新卒で入ったグローバルを謳うのに、中身は超ドメスティックな日用品メーカーに愛想をつかし、さっさと転職をしていた。転職先は、英会話関連のビジネスを展開する企業で、そこでは希望通り、英語が活かすことができた。

主な仕事は、英語を教えるネイティブの先生たちのマネージメント……、といえば聞こえがいいが、実際は、世界中からやってきた先生たちの仕事とプライベートのお世話だった。

失恋して仕事に来なくなった先生をなぐさめに行ったり、真夜中の電話で「酔っぱらって家の鍵をなくして、家に入れない」と起こされ、眠い目をこすりながらホテルを手配したりと、毎日がドラマだった。それでも、日本に不慣れな先生たちが気持ちよく働けるよう心を尽くしていれば、ありがとう! と感謝される瞬間もあり、それを支えに仕事に向かっていた。

けれど、渇望していた英語を使う環境に、どっぷりと身を置いているのに、気づけば心の奥では、モヤっとした気持ちが波打っていた。

要因の1つは、過酷な労働環境にあった。勤務時間外や週末にもトラブル対応を要され、トータルの労働時間を考えると、かなり安月給だった。
それから、日本人の同僚との連絡が、ほぼメールで行われる会社のカルチャーも肌に合わなかった。朝のおはようございます、を言ってから、ランチでオフィスを出るまで、一言も会話のないオフィスでは、人間関係も最悪だった。
そして、その先のキャリアも見えにくかった。携帯を落としたり、電車を乗り過ごして授業に来なかったりする先生たちへの対応を、私はどんどん上手くなっていったけれど、そんなスキル、私をどこへ連れて行ってくれるというのだろう。

やりたい仕事である英語を使う仕事ができているはずなのに、心にかかるモヤっとした霧はどんどん濃さを増して、行先の見えないまま、心と体をすり減らせて働く日々が続いた。

そんなある日、私は無性に好物のせいろ蕎麦が食べたくなり、出先でお昼を取るのに、お蕎麦屋さんに入った。いつもは迷わず単品のせいろを頼むのだが、その日は気分を変えて、本日のランチセットを頼んだ。それは、メインのお蕎麦に加え、ミニ天丼とほうれん草の胡麻あえ、漬物がついているもので、食べたくて仕方なかったせいろ蕎麦は、正直まあまあの味だったのだけれど、天丼のずっしり感、ほうれん草の優しい味付け、お漬物の酸味、全てが一度に私の前に現れたとき、なんだかとても豊かな気持ちになった。そして、それらを交互に口に運びながら、私はあることを気づいた。

若かった私は、仕事における幸せの全ては、やりたいことにある、そう信じきっていた。絶品の蕎麦を単品で注文して、山盛り食べられれば、付け合わせなんていらない、店の雰囲気が最悪でも平気! そう思っていたのだ。

でも、本当の私の仕事観は、まさに、この蕎麦とミニ天丼セットのようなものだった。
やりたいことができる環境に加え、その他の項目である、お給料、人間関係、ワークライフバランス、成長の可能性などが、まんべんなく、ほどよく満たされ、良いバランスを保っていることで、じんわりと幸せになれる。
人によっては、100点の味がする絶品蕎麦が、ドーンと山盛りに盛られている光景を幸せと呼ぶ人もいるだろう。でも私にとっては、たとえ、それぞれが70点の味だとしても、様々な小鉢がバランス良く並んでいる光景、それが理想の仕事像だったのだ。転職を決意したときの未熟な私は、やりたいことを追いかけすぎて、このことを見落としていた。

でも、もっと衝撃だったのは、食べたいものだと信じていた蕎麦が、実は幻だったことだ。

男友達と飲んでいるとき、鋭い指摘をされた。
「おまえさ、そもそも根本が間違ってるよ。仕事ってさ、社会に価値を生んで、その対価としてお金をもらうものだろ? 英語を使うことがやりたいことってさ……、英語使えてお前がハッピーになって、それで社会に価値は生まれんの? 違うよね。英語を使いたいって、それはただの仕事探しの条件だよ」

……! 開眼した。

私は、仕事の本質を理解しておらず、大きくはき違えていたのだった。
社会のニーズではなく、私の欲しか満たせない、英語を使いたいという想いは、仕事でやりたいことにはなりえない。ただの職探しの条件の1つ……、いわば、私が食べた蕎麦セットについていた、あると嬉しいけど、決してメインにはなりえない、ミニ天丼やほうれん草の胡麻和えのようなものだった。

それから私は、仕事を通してやりたいことはなんだろう? どんな価値を提供して、お金をもらえたら幸せなのだろう? と自分に問い続ける、キャリア迷子の日々を半年ほど送った。
そして、その中で、できるだけ多くのキャリアコンサルタントと話し、様々な角度から自分の市場価値を測ったり、今後挑戦できる仕事の方向性を見極めたりした。それから、友人や先輩にリアルな仕事観を尋ねてまわった。それは、人の仕事観に、「これは同感だな」「私だったら、そこには喜びを感じられないな」など、自分の価値観を重ね、本当にやりたいことを、ゆっくりと開封していく作業だった。(アナザーライフというメディア、とてもおすすめ)

そして、ついにやりたいことを見つけた。それは、自分が学生時代に恩恵を受け、人生を変えてくれた留学に携わる仕事だった。留学に行く選択肢を若者に与え、夢の実現を助けていくこと、それが、私がやっと見つけた、自分のハッピーのためではなく、社会のハッピーのためにできる、仕事と呼べるものだった。

おかげさまで、今はとても楽しく働いている。あの日、幸せにしてくれた蕎麦とミニ天丼セットみたいに、やりたいことを叶えつつも、満足できるお給料や労働形態で構成された仕事は、私の心を満たし、毎日を充実させてくれるからだ。

キャリアに迷っているのなら、まずは「どんなランチが食べたい?」と考えることから始めてみてはどうだろう。
お腹を満たせれば、なんでもいいよ、と言えたら楽なのだけれど、私たちは、こだわるから苦しい、でもこだわるから、きっともっと美味しく、人生を堪能できる。そう強く信じて。

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