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1940年と1943年の女性誌タイトルの比較
こんにちは!
今回は1940年と1943年の女性誌のタイトルを比較しようと思います。
見比べてみると結構な違いがあったので記していきます。
1940年の女性誌タイトル
1940年の雑誌タイトルを見ていきましょう。
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“洋装”や“洋裁”というワードが使用されている雑誌は27誌中7誌あります。いかに洋服が広まっていたのかが伝わります。
カタカナを用いたタイトルの雑誌は4冊あります。
これらの雑誌は洋服を着た女性が掲載されているだけでなく、ワンピースやシャツの作り方が掲載されており、自分たちで洋服が作れるようになっていました。
1943年の女性誌タイトル
1943年に出版された雑誌のタイトルを見てみましょう。
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洋装に関するタイトルの雑誌はなくなりました。
一方、日本とタイトルのつく雑誌が21誌中5誌あります。日本とつくタイトルの雑誌は1940年にはなかったのにです。
戦争の激化により、洋の文化は禁止され愛国心を高めるかのような取り組みが雑誌の世界でもされていたのでしょうか。
また、1940年に比べ雑誌の数も誌から誌に減っています。
これが1944年になると『婦人倶楽部』、『主婦の友』、『新女苑』の3誌のみとなります。
なぜこの3誌だったのか調べたいな、、
戦時下の女性ファッション誌の役割はまた後日調べて書いていこうと思います。
お読みいただきありがとうございました♪