かわいく、図々しく
(※結構前の精神状態の話です。)
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「かわいく図々しくいる」、その一文を見て衝撃が走ったのは去年くらいのことだったと思う。
これは新宿区歌舞伎町のキャバクラ「revju(レヴュー)」に在籍されていることみさんの言葉である。
日頃のアイドル活動では歌や踊りだけではなくお客様からお金をいただいてお話しする時間(いわゆる特典会、チェキ会というもの)があり、
そこに常々課題を感じていたわたしは、勉強のために接客業のプロである方々のコラムやエッセイなどをよく読んでいた。
その中でこの「かわいく図々しくいる」ということが、ことみさんのお仕事の心がけだと記されていた。
わたしはこの言葉が大好きで、人生のモットーにしているくらい。
でも「かわいく」も「図々しく」のどちらとも、
過去のわたしには到底できないことだった。
学生時代のわたしは、言ってしまえは完全にネタ枠であった。
クラスの中では正直目立つ方であったし、まとめ役になったり人前に出るのも好きで、学年中にたくさんの友だちがいてとてもたのしかったけど、
”顔がかわいくて目立つ子”
というよりは
”明るくて面白くて目立つ子”
の枠であり、いわゆるお笑いキャラみたいなものだった。
その時はそのポジションにいることを別になんとも思っていなかったけど、
顔がかわいくてにこにこ笑っているだけで「〇〇、かわいいよな」とうわさされる女の子のことをどこか羨ましく思っていた。
見た目のコンプレックスは数えきれないくらいあったけど、
高校までは性格と人柄がそれらにモザイクをかけてくれていた。
良くも悪くも、いいチュートリアルだったのだ。
わたしの中の意識革命軍が旗を掲げだしたのは大学に入ってからだった。
びっくりした。お笑いキャラは徹底的にお笑いキャラなのだ。
高校まで通用していたことが通用しない。
顔がかわいい子が何もかも優先されていた、ように感じた。
感じただけかもしれない。事実だったとして、私のいた環境がそうだっただけかもしれない。
でも栃木から出てきたわたしには、まぶたに線があるかないか、歯並びがきれいかどうか、顔が小さいかどうか、
東京っていうのはそういうのが勝敗を決めるんだ。そうとしか考えられなかった。
何と戦っているかなんてわからないまま、初期スキンで戦場に立っていた。
この戦場では様々な戦士と剣を交えた。
かわいくて甘えるのが上手な子、
図々しいけど憎めない子、
したたかに味方を増やしていく子、
懐に入るのがうまい子、
わたしはどの能力どの特性も持っていなかった。
初期スキン。初期アバター。
図々しく、甘えることなど許されない。
身の程を知りなさい。鏡を見てみなよ。
だって顔がかわいくないから。戦意喪失の日々だった。
「そんなことないよ」、そういう人もいるかもしれなかったが、
日々飛んでくる矢や振りかざされる大剣から身を守るための盾が、その言葉すら跳ね返した。
あの頃はすこしおかしかった。今もかもしれないが。
でも戦場で突っ立ってたら刺されて死ぬ。
戦力のないものは置いて行かれる。
そんなまいにちだったのだ。
そしていま。
初期スキン、初期アバターだったころに比べたら、まあまあ、いや、ずいぶん、様変わりした気がする。武器も防具も増えた。
当たり前に課金もした。かわいくなりたかったから。
かわいくなったら、今度は、図々しく生きてみたい。許されてみたい。
わたしは、もっと努力をして、かわいく、図々しく生きていきたいのだ。
そして、いつか、くだらないことで悩んでいたなと笑ってみせたいのだ。
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2024.1.25 今ではだいぶ性格も考え方も変わって、かわいさの自覚も芽生えてきてすーごく図々しくなりましたよ。笑