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苦しい時に気づかされた写真の力

PHOTONEXT2024 講演レポート_2
「選ばれ続けるフォトグラファーになるためにいまやるべきこと」


アンズフォト代表の安澤剛直が、2024年6月11日・12日にパシフィコ横浜で開催された「PHOTONEXT2024」で講演を行いました。
 PHOTONEXTとは、写真ビジネスに関連する機材・サービス等の展示&セミナーの総合イベントです。2004年に「スタジオ写真フェア」として産声を上げ、規模拡大をしながら2010年にPHOTONEXTとして装いも新たに再発進した、伝統ある業界催事です。
 主催者企画枠でお声がけいただきました今回のセミナー、3回にわたってレポートする2回目になります。ぜひ続きをお楽しみください!!

※1回目はこちら:
https://note.com/anzphoto/n/n8351ae91287c

私がすごく意識してやってきたこと

独立後、最初はなかなか仕事がありませんでしたが、そんなシンドイ時期に博報堂フォトクリエイティブでアシスタントをしていた頃の手帳が出てきたんです。その表紙には「目指せ!年収1000万」と書いてありました。駆け出しのアシスタントで月20万も貰ってない頃にどうやって稼ぐんだよ(笑)と懐かしんでいました。
 でも、単価と働く日数から逆算すると楽に1000万いくんじゃない?と考えたんです。この思考が、大きく変わっていけたヒントになったと思っています。昔、母から「思ったことはやってごらん」と言われていたことがあり、考える前にとりあえずやってみないと、できるかどうか分からない。難しいか否かトライしてみないと判断できないという気持ちで頑張ってきました。
 その中で、売上を伸ばすにはどうするのか。多くの皆さんが経験あると思いますが、現像作業に追われる、単価が上がらない、件数が増えると後処理がたいへん。。。どれを優先順位とするのか、自分で考えていた時期があります。そこで、もっとも考えたのが講演タイトルにもあるように「選ばれる」ということです。今、これから、仕事をしていくにあたって選ばれ続けるフォトグラファーであるために、自分にどんな力があってどんなことができるのか、皆さんにも考えてもらえたら嬉しいです。

2度の倒産の危機を乗り越えて

私はこれまでに2回、会社を潰しかけたことがあります。1度目は、独立をしてまだあまり時間が経っていない頃です。売上げが2000万円あるかどうかのときに、ある1社だけで1500万円くらいありました。ちょっと怖い状態ですよね(笑)。その1社の仕事がある日突然なくなるとは思っていなくて、少しずつ売上の柱を増やしていこうと考えていたんです。そして東日本大震災が起きます。当該のクライアントさんは飲料メーカーで、震災の影響で撮影がすべてストップしてしまいました。
 2度目の危機は2016年、アパレル大手企業のECサイト用撮影で、先方に当社のカメラマンを日々7〜8人送り込んでいた頃です。それでも人が足りないとのことで、その仕事に注力しっぱなしになったんです。継続頻度が低めの案件をやむを得ず断ることもありました。ところがある日、ECサイトが子会社化して独立採算制になりました。蓋を開けばEC商品があまり売れていなかったようで、スタジオも組んでありますので、写真はプロに任せるのではなく今後は自社アルバイトが撮るということになっちゃったんです。それで仕事が一気になくなってしまいました。。。

苦しい時代に南三陸で気づかされたこと

1度目の危機の頃、東日本大震災絡みで資金繰りが悪化して厳しかった頃のことです。仲間が東北にボランティアで行っていたのですが、私も2011年4月5日に初めて南三陸に入り、記録写真を担当させていただきました。そのとき現地で私が撮っていた写真は、リアルで見るのとでは、惨状や臭いなどのリアリティがまったく伝わらず、自分の仕事に対して自信を失いかけていました。それでもその後も何回かボランティアで南三陸へ行っていました。
 同年の夏、歌津という地区の中学校で子供たちが夏祭りをするとのことで、炊き出しのお手伝いに行ったときのこと。そこで浴衣を着て来る子供たちの写真を、簡易的なスタジオをつくって撮影することになったんです。ピクトリコさんにお願いしてペーパーをご援助いただいて、プリントを子供たちに配りました。
 そして別の機会にまたボランティアで南三陸へ行ったとき、仲間がお世話になっている漁師のおじさんの家にお邪魔したら、歌津中学で私が撮影した写真が飾られていたんです。それはお孫さんの写真だったのですが、漁師のおじさんは「津波で全部流されたので、この孫の笑顔の写真に勇気を貰ってる」仰いました。そのとき初めて、写真は人に勇気を与えられるし、自分の仕事に誇りを持つことができたんです。震災で、自分も辛かったですが、とても大切なアドバイスを授かったと感じています。

これまでの仕事を振り返ると「守・破・離」

20代、30代、40代で経験した苦境を振り返りますと、「守・破・離(しゅ・は・り)」の思考や流れがあったと気づきました。ずっと剣道をしている私には馴染みのある言葉なのですが、「守・破・離」とは日本の伝統的な武道や芸能などにおける修行の過程を表す言葉です。「守」は基本の型(形)を学ぶこと、「破」は基本から応用をしていくこと、「離」は、新しい自分のためにセルフプロモーションをしていくことです。基本があるから、違うこと(型破り)ができるし、基本がないことを形無しと言いますね。
 思い起こせば、20代は「守」、いろんなことを経験できました。私はその頃、とにかく一番を目指していました。出社が一番早い、ご飯を食べるのが一番早いなど、何でも良くて、小さな一番をいつも目指していました。スタジオのアシスタント時代、勉強になりそうなカメラマンのアシスタントに付きたくても、必ずしも希望が通るわけではありませんでした。だからこそ「安澤は面白い」と知ってもらい選んでもらうための行動だったのです。
 博報堂フォトクリエイティブに入ったとき、私が設けた目標は、アシスタントのチーフを1年やったら辞めるということでした。チーフになるには、通常は早くても1年ほどかかるのですが、ラッキーなことに私は入社半年でチーフになれたのです。それは、専門学校時代にスタジオでアシスタントの勉強をしていたり、また卒業から入社日までの春休みの間に働きたい人は出社しても良いとのことで、一番に行って働いていたからです。同期がまだ来ていませんでしたので覚えてもらえるし、そうしたきっかけで、早くから人物系で著名なカメラマンさんのセカンドに入れてもらえるようになったんです。
 あるとき、そのカメラマンさんの仕事で海外ロケに行くことが決まるのですが、当時のチーフのパスポートが切れていて、急遽私がチーフの役目を仰せつかります。有り難いことに、その後もチーフとして使っていただきました。
 そして1年が経ち、ウェディングの方へ行くために退社しました。こうして博報堂で人物や物撮りを間近でたくさん見ることができ、カメラマンたちのライティングなどの撮影スタイルや知識、意識を学ぶことができ、すごく今の自分に生きていると思っています。

つづく

写真の力で世界を変える価値の
可能性を追求し続けるアンズフォト。


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