10年連れ添った旦那
これから書くのは私とクリープハイプとの思い出✐☡
思い出が多すぎてもはや年表みたいになっている。
※ただのファン視点で書いていることなので色々ご了承ください!
私とクリープハイプとの出会いはよく覚えている。
2012年8月に北海道で行われていたRising Sun Rock Fesだった。
当時大学生だった私はストレイテナーや[ALEXANDROS](当時[Champagne])を追いかけてわざわざ北海道まで行った。
同年の4月にメジャーデビューしたばかりでそれはそれは尖りまくっていた記憶がある。
その尖りまくっていた様子を見て、かっこいい!と思い、予習をしてはいたがその時初めて生で「He is mine」を聴き、当時思春期真っ盛り大学生だった私は「めっちゃいいじゃ〜ん!」となってよく聴くようになった。
出会ってからはよくフェスでは聴いていたが、初めてワンマンへ行ったのは2013年秋に行われていた「秋、零れる程のクリープハイプ」ツアーだった。
母が同じくクリープハイプにハマりワンマンへ行こうとなった。
同年に「憂、燦々」がリリースされてMステに出たりしていて、ひねくれ者的には人気出るの嫌だなって思ったりもしていた。
当時、本人達発信じゃないかもしれないが曲中の手拍子NGだった記憶がある。この頃もまだ尖りまくってた。
確かこのツアーファイナル後にファンクラブが出来て、ちゃんと課金するようになった。この頃はまだ「太客倶楽部」って名前もなかった。
よく覚えているのが初めての単独日本武道館ライブが移籍してすぐだった。
もうこの頃の尾崎さんは怒りが隠しきれてなかったし、隠すつもりもなかったと思う。その怒りは当たり前のものだし。
初の単独武道館ライブなのに幸せオーラ全開♥って感じはしなかった。
今はもう歌わないし音源化もされてないしタイトルもわからない「初めましてビクターからユニバーサルシグマに移籍しました」から始まるラブソングまた聴きたい。
この時初めて生で「二十九、三十」を聴いて社会人になりたてだった私は
『このままずっとクリープハイプのファンなんだろうな』
って思った。ありきたりだけどそのくらいこの曲には共感したし、背中を押された。
今でも辛い事があると「二十九、三十」を聴く。
個人的に1番好きなフレーズは『いっそ家電にでもなって、空気清浄機とかなら楽してやっていけそうだな』
この時期のクリープハイプは本当に辛そうだった。いつからいつまでと明確な時期は覚えていないけど「破花」のちょっと後くらいまでは尾崎さんの声が出なくてかなり辛そうで正直ワンマンが全てその記憶しかない。
だから破花ってライブで歌わないのかな?
ライブで聴いててもポリープなんじゃないかと心配になるくらいだったが、本人も「お願いだからポリープであってと思った」と言っていてポリープではなかったし治ったので本当に良かった。
今でもあの頃は大変だったんだろうなと勝手に思っている。
1回目の武道館ライブと雰囲気が違いすぎてよく覚えている。
2回目の日本武道館ライブはメンバー全員心から楽しそうだったし、感謝が伝わってきた気がした。
「イト」や「栞」、「ただ」など明るめの曲も多くなったように思う。
「栞」は名曲すぎるし、この曲を聴ける学生は心底羨ましい。
この頃からだろうかクリープハイプが丸くなった気がする。もう今となってはライブ終わりに客席との集合写真を撮るなんて昔では考えられないくらい丸くなったなぁ〜。
コロナで10周年ライブが中止になった時は事務所が潰れてしまわないか心配だったけど、コロナ明けて無事に幕張メッセも城ホールも開催出来て本当に良かった。
コロナで尽くライブが中止になったおかげで逆にライブの有難みが再確認できて個人的にも良かった気がする。
普通にバンドやっててくれて、普通にライブをやってくれて、普通に最高な曲を作ってくれてありがとう。
尾崎さんがTwitterやめた事件とか
クリープハイプの日にカオナシさんのお母さんが出演した事とか
門出船出が誕生した事とか
クソバレー見に行ったり
メンバーと一緒に(世界館)レイトショー観た事とか
思い出すとキリがない。
こんな感じなので「キケン日でも遊んであげるから」と言われても「キャー!!かっこいい!」などの付き合いたての彼氏にドキドキするみたいな感情はなくなり、「へ〜」みたいな対応になってしまう笑
ただ感謝は常にあるし、メンバー4人とも長生きしてほしい。
ただシンプルにそれだけ。
そう、私にとってクリープハイプを一言で表すと
「10年連れ添った旦那」
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