私の教祖/中山慶一
今回は、「私の教祖(おやさま)/中山慶一著」を取り上げていきます。
天理教の教祖である中山みき様について書かれた伝記です。(天理教の信仰者は、「教祖」と書いて「おやさま」とお慕い申し上げています。)
はじめに
『私の教祖』という題名に関して、本文にこうあります。
教祖の伝記自体は、現在公刊されている「稿本天理教教祖伝」の以前から、宇田川氏や中西氏によっても書かれているが、それは各々の教養の相違によって全く異なったものが生まれ、
この道(信仰)は、教祖が創めてくださった道です。教祖がお説きくださった話から、書き記してくださった教えから、人間の生き方を示された信仰です。
そして、いろんな形でお伝えくださった教えを、教祖が自ら身に行って50年の間、姿でその生き方をお示しくださりました。
そうやって、我々も
「私の教祖」と言えるものを、教祖はこういう方であれせられると、絶対的に思える像を持つことが、信仰においてひとつ重要だと思います。
皆一つ/\のひながたの道
現在のお道は、三年千日の歩みの中ですが、以前の記事、三年千日のおさしづ中ではこういう一節があります。
『稿本天理教教祖伝』(P.231)にも出てくる有名な一節ですが
「すべて一つ一つについて教祖の行為を通して教えておいたひながたの道がある」
という、この部分がポイントだなと思います。
ある漫画では、主人公がひたむきに努力をして、困難に立ち向かって進んで行くというサクセスストーリーがあります。
その主人公は、あらゆる場面で一貫して、前向きにトライし続ける才能があります。
色んなシーンを理想的に行動し続けるので
だんだんと、「こういう二択ではこっちを取るだろうな」「こういうときはこう行動するだろうな」とそのキャラクターの選択が、一つ一つについて分かってくるようになります。
教祖のひながたというものは、
「ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん」というように、人間が通るべきものです。
その通るべきものを
「すべて一つ一つについて教祖の行為を通して教えておいたひながたの道がある」と、
「こういうときはこっちを取るべき」とか「こういうときはこう行動する」というのを示してくださった道です。
それが万人たすかる道でありますから、「皆一つ/\のひながたの道」というものを、一つ一つについて、自分が把握して持っておくことが大事だと思います。
というわけで、『私の教祖』については、回をおって、ぼつぼつと続けていきたいと思います。
ぼんやりと
まず出発点として、今現在僕が感じる教祖像というのを、ぼんやりとだけ出してみたいと思います。
ぼんやり人物像としては、
優しく、穏やかで、いつもいそいそ、にこやか、動じることがない、どっしりと先を見通して構えている、温かい、一貫した態度、ときに厳しい、誰にも隔てない、子どもをいたわる親心、欲がない、段取りを組んで長期目線、落ち着いている、親神様のご守護に対する喜びがある、根気よくつたえる、神一条、、、
といろいろと出てきますが、特に感じるところで2つ挙げるなら
①長期的視点
②たすけ一条(神一条)
この2つです。
①長期視点は
(勿論、これも神一条からの御行動ですが)
と立教のときに仰られて以来、実際にそれぐらいの時間をかけて人の寄り付かない中を通ったというひながた。
また、つとめを完成させていく段取りや、かんろだいのぢば定めも、さっと数か月でとか、パッと済ませられるのではなく、じっくりと年月をかけて段取りされ、焦らず動じずどっしりされている姿には、この長期視点というところを感じます。
神様の時間軸からすれば、一瞬なのかもしれませんが。
つぎに
②たすけ一条(神一条)
これは、50年、一貫して極貧の中の時も家の前の物乞いに米をやったり、後年もたすけ一条から人がたすかって、人が集まるから警察に拘引されます。それでも、「いちれつ子どもをたすけたい」という思いは変わらず、何度も拘引されています。
全ては、「神一条」の上の教祖のお人柄、御行動ですが
たすけ一条でも、ただ人をたすける、人と仲良くするというのではなく、神一条のたすけ一条であると思います。
神一条でなかったら、立教の時、親戚縁者から反対される中にそっちに寄り添って仲良くすることになります。
警察に拘引されるようなことはやめおこう、常識的に考えて━とかと言っていると、あそこまでの拘引はなかったでしょう。
神意はどこにあるか。という上でのたすけ一条です。
ここを違えていると、ただの道徳になってしまうのではないかと思います。神一条を貫き通すことはとても難しい事かもしれません。
しかし、教祖がそうやってつけてくださった道であります。
そこの思いも掘ってやっていけたらと思います。
また、教祖の輪郭をもっとはっきりとさせられるよう学んでいきたいと思います。
最後までありがとうございました。