幼少期の信仰②
はじめに
幼少期の信仰について。
裕福な家庭にいて、なぜ尼になりたいほどの信仰を持ったか。
『私の教祖』から
『私の教祖/中山慶一』
「御信仰」(P.100〜113)より要約すると
教祖の生まれ育った家は、お金に恵まれ、物に恵まれ、家柄に恵まれた何不自由ない家である。そういった環境で、常に人からちやほやされて育てられる子どもは、わがままいっぱいに人の苦しみなどに全く理解のない人間になって行くのが世の常である。
しかし教祖は、
教祖の境遇がこの上なく恵まれていたのに比べて、当時の一般農民の生活は、まことにみじめなものだった。士農工商の階級制度は、今日の私達には想像もできないほどひどいものだった。
「武士は人間、百姓は人間でない」と農村の人々はひどい扱いをされた。
教祖は足を一歩戸外に踏み出すたびごとに、常にこのみじめな百姓たちの生活を目撃していた。わがままいっぱいの世の常の子どもなら、周りのみじめさはかえってそのわがままを助長しただろう。しかし、教祖の精神はそうするには余りにも思慮深く、慈悲の心に厚かった。自分一人が恵まれて周りがみんなみじめである。その違いがはなはだしいだけに、そのあわれさが強く教祖の心を痛めた。
「どうしてこの人たちの生活はこんなにみじめで、恵まれないのだろう。気の毒なことになあ・・・」
これら周囲にある百姓たちの生活は、見るたびごとに幼い教祖の胸を痛めた。
さらに悪いことにその人々の間には、互いに心から打ち解けたところなどは少しもなかった。互いに助け合うことはおろか、相手の心を探り疑い合っているような冷たささえ感じられた。
まとめ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?