日本一の大工や。何言うて居るやらと皆笑うて居た。
天理教では現在、三年千日を歩むさなかですが、三年千日とは、ひながたを辿らせていただく期間です。
タイトルは、三年千日のおさしづ中で出てきました。
本席・飯降伊蔵氏の、真実をもって通った道すがらから、つとめ場所のふしん(※建築)の前後をピックアップしてみたいと思います。
つとめ場所のふしん
飯降伊蔵氏は、かねてから「千軒きっての正直者」と村で評され、大工として身を立てていました。32歳のとき、妻の命を教祖にたすけてもらったことから、お社の献納を申し出られます。
そのときに、教祖から
「社はいらぬ。小さいものでも建てかけ」
というお言葉があります。
これの悟りとして、今の内棟梁先生が
「大きなものを建てるとなると、たいそうな気分がしてしまいますが、”小さいものでも建てかけ”ということからは、こちら側の心構えとして、ずいぶんと取り掛かりやすくなる。
御恩報じとして、小さいもの、小さいことでもコツコツと取り掛かれるように、という親心がある」
という意味のことをおっしゃられていたのを覚えています。
「小さいことをコツコツ」という一つの生き方、ひながたの示唆であると感じます。
そして、実際にふしんに取り掛かられますが、ある”ふし”(※問題、困難)から、当初の予定から寄り集まっていた人たちがいなくなり、飯降伊蔵氏一人での普請になってしまいます。
それでも伊蔵氏は
「何も案じてくださるな。内造りは、必ず」と言い、教祖への御恩を忘れず、変わらぬ誠でひとりでも仕事を完遂します。
ふしんの事情
そもそもこの普請は、伊蔵氏が信仰し始めてから、わずか2ケ月余りのときにはじまったものであり、それまでにすでに信仰していて、”扇のさづけ”を頂いていた人も50~60人いたそうですが、伊蔵氏が御恩報じの真実を尽くした、お道最初の普請でありました。
(詳しくはこちらに書かれていますGT183 (tenri-u.ac.jp))
そして、
”ふし”から皆が退いてしまったという、厳しい逆境の風の中、勤めを完全に果たし終えた伊蔵氏は、久しぶりに、ちょっと家の方へ帰らせていただこうと相談すると、秀司氏は、
そこで、年末に差し迫った、膨大なふしん費用の支払いの猶予を、材木屋や瓦屋に頭を下げて回るが、伊蔵氏の日頃からの信用もあり、二つ返事で心やすく了解されます。
飯降伊蔵の人柄
つとめ場所のふしんからは、
伊蔵氏の色んな人柄、あり方が見て取れます。
まずは、普段から正直者として信用があったということです。
若いとき、大工の修業をしていたときから、非常に働き者であったようです。
また、食べ物の小言は決して言ったことはなく、ご飯が硬くても柔らかくても、おかずが辛くても水臭くても、
お道の御用だけでなく、世間で働いている方でも、真似させていただくべき姿であると思います。
また、つとめ場所のふしんに人が寄り付かなくなっても、一人でコツコツと続けられるその内側には、
「おさとの命のないところを、御教祖にをたすけてもらったのや」
とただひとすじの御恩報じの心があります。
後々までも度々、口癖のように
「おさとの命のないところを、御教祖にをたすけてもらったのや」
と言っておられたようで、教祖の御恩に報いるという思いは、出直しまで貫かれたといいます。
以上、飯降伊蔵氏のつとめ場所のふしんの、一貫した誠の姿から、学び、手本として真似させていただけるんじゃないかというところを取りあげさせていただきました。
「人がめどか、神がめどか。神さんめどやで。」
と、この道は神様が基準であります。
神さんをめどに、教祖をめどに。そしてそれを間近で触れられ、純粋で熱量基準高い、先人の通り方を基準に、共々に、通らせていただけたらなと思います。
お付き合いありがとうございました。
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