日記 細道を通る
山道を数100キロ走るサイクリングレースは、極度の集中力を要する。
入念な準備から始まる。おれはこのレースにかけて何年にもわたって準備をしてきた。すべてが整った状態で本番の朝を迎える。きっちり決めた時間に起床した。今日やるんだと気が張りつめている。レースが始まる時間が近づくにつれて、集中力は高く研ぎ澄まされていく。スタート間近になってあたりはしんとなり、スタート合図の銃声がひびいた。スタート地点の大きい道を数十台の車体が疾走していく。道が狭まりすぐに列になった。車体が衝突しないようにバランスを取って駆けていく。車体はすごいスピードで進んでいった。山道のコースはその全体が細く険しい道ばかりだ。これからあらゆる危険を想定していないといけない。気を抜いた瞬間脱落してしまう。少しでも前へ前へと、ペダルを漕ぎ続ける。列に隙ができれば、後続車は容赦なく抜かしにかかってくる。一瞬も気を抜くことはできない。コンクリートの道も、ところどころひび割れたりくぼんでいるところがある。時速40キロで走り、道の危険を瞬時に察知し、回避し、周りの車体にも気を付けなければならない。感覚を研ぎ澄ませ、反射と同時に手足を動かし回避する。特に先頭集団はものすごいスピードで走っている。集中力を研ぎ澄ませている。ふとした瞬間、前の車両が体勢を崩すと、脇の林の中へ転がり落ちていった。悲鳴をあげている。前後を走行する者に一気に緊張感が走る。体に力が入る。心臓の鼓動がはやくなる。腕に力が入り、ハンドルを握る手が汗ばんでいく。どんどん細く険しい道になっていく。
長く険しい道を進み続け、気がつくと先頭集団は10人ぐらい、その後ろには気配がない。もうスタートから4時間も漕ぎ続けていた。衣服は汗で濡れてぴったりと身体に張りついていて、脚は燃えるように熱く、重くなってくる。ゼェゼェと息が上がっている者もいる。もう半分ぐらいまでは来ているはずだ。折り返しポイントにむけて、細い、細い道になっていく。林道から周りの景色がひらけたところに出ると、数メートル横は高く切りたった険しい崖になっていた。下は深くて見えそうにない。体に力が入る。身体をブラすことはできない。気が張りつめる。身体がブレそうになると、瞬時に戻さなくてはならない。崖の下に気を取られている余裕もない。崖の下を見ないように、前へ前へと意識を向ける。前へ進み続けることだけを考える。そしてこの先の折り返しの急所にむけさらに緊張は高まっていく。ここ一番、本気で集中する必要がある。ミスは許されない。細い一本のロープ上を走るような張りつめた気持ちだ。傾斜になっていき、中腰でペダルに体重を乗せながらが進む。慎重に慎重に抜かりなくペダルを漕ぎつづける。しばらくすると体勢がきつく腰や太ももが悲鳴をあげてくる。必死に足を前へ進める。張りつめた中1時間ほど漕いだだろうか。山の標高は高くなっていき、頬が冷えて頭はぼうっとしてくる。ふと祖父のことを思い出していた。先を読め、常に先を読んで動け、祖父はよくそうやって教えてくれた。
━━祖父は九州で生まれ、大阪に出てきてから整体で財を成した人だった。整体がまだ保険が効かなかった時代に省庁にかけあい、保険適応を認めさせたことで、業界では名の通った人だった。弟子も多くもっていた。高度経済成長期と整体の伸展が重なった時期で、運が良かったと祖父は言った。大きい家を建て、そこの一階で営んでいた接骨院はとても人気があった。そのほかにも大阪に多く土地を持ち、不動産でも利益をあげた。
そんな祖父がよく言ったのが、いつも何手も先を読め、ということだった。常に先を読んで、先回りして、段取りをするということに長けていた。
レストランに入っても、いつも非常口を確認し、何かあったときに備え、考えを巡らせていた。
また厳しい人で、車の運転を片手でするとずさんなことをするなと叱られた。
そうやって先を読み、神経質すぎるほどに隙を見せない祖父の気質は、子どもの頃の経験からきているようだった。
祖父の父は、戦争で亡くなっていた。軍の隊長で、日本の降伏が決まったときに代表として処刑されたのだ。
そのことからアメリカ人を嫌っていた祖父は、子どもの頃、アメリカ人に向かって拳銃を撃ったことがあるらしかった。
そんな祖父だったが、唯一親しくしていたアメリカ人がいた。接骨院によく通いに来ていたケヴィンだった。ケヴィンを最初は警戒したが、子どものような笑顔を見せるケヴィンに少しずつ心を開いていった。金髪にロン毛のケヴィンは、元々はアメリカ海軍の特攻部隊トップ40人のエリートで、色んな戦地へ出た。ブッシュに這いつくばって隠れたその数十センチ前を敵兵が歩くというような死線を何度も生き延びた。集中力と忍耐力を鍛え抜かれていた。枯れ葉の音ひとつで相手に気づかれ、ミスたったひとつで自軍は全滅するのだ。相手との銃撃戦で仲間がやられることもたくさん見てきた。隣の兵が地雷で片足吹き飛び、戦車から砲弾が撃ち込まれる。砂煙りが舞い上がり、内臓を震わせる轟音が続く中、反撃するチャンスを待って掘った穴の中に隠れる。辺りにはちぎれた仲間の腕や身体が転がっている。負傷した仲間を担いでなんとか自陣に避難し仲間を手当てした。丸2日間寝ずほとんど止まらず樹海の中を移動する、というようなこともあった。ケヴィンは海軍を退役した後、少しビーチでバカンスをし、やがてセールスマンとして働いていた。軍で日々厳しいトレーニングをこなし、死線を潜り抜けてきたケヴィンにとって、ビジネスは取るに足らないことだと感じた。すさまじい集中力で高い成果を上げつづけた。やがて自分で営業会社を立ち上げ、そのビジネスを日本に持ってきて大きく広げていた。アメリカでの成功だけでは飽きたらず、29歳のとき日本に来たのだった。日本に来出したての頃の話を聞かせてくれたことがあった。「日本に来てビジネスを始めたときは簡単ではなかった。もちろん簡単とも思っていなかった。簡単な道も探していなかった。そのときから大変というのはわかっていた。問題ない、どんどんこい」
治療の合間にも部下に電話で指示を出すときがあったが、そのときの目は鋭かった。祖父は戦争を経験していない最近の若いものは目に力がないと感じていたが、この30代そこらのアメリカ人の目はとても力強い。祖父はケヴィンを1人の人間として認めていた。
祖父は整体師として、まだ利権がない細い時代から、子どもを6人育て上げ、また整体業界を繁栄させた━━
難所をいくつもこえ、ゴールまで残り3分の1というところだろうか。
身体全体が重い。汗で全身はぐっしょりとしていて、脚は鉄の棒のように重く、自分のものではないかのようである。額から大量の汗がしたたり落ちる。ゼェゼェと後ろの者から息が上がった呼吸音聞こえてくる。自分自身も息が上がっていた。ひと漕ぎするたびに、汗はしたたり落ち、大きく息をはいた。握力はなくなってきていて、身体に力が入らなくなってきている。意識がぼんやりとする中、ただ気を張って、気力で走ってゆく。
つらい。苦しい。
依然として道は険しく、先頭グループもまばらになっている。自分の位置は前から3番目をキープしていた。もうすぐ極端に細い道がつづく最難所があるのを覚えていた。わかっている。ここが踏ん張りどころである。長丁場のレース、ときに力を抜き、しかし難所に当たっては、気を張って、しっかりと集中して臨まなくてはならない。そうやって難所、難所、よくある失敗想定箇所は、気を張ってひとつずつクリアしていく。
細い細い道をいく。