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中国音楽と私(プロフィールに代えて)

中国音楽に関わる公式プロフィール的な記事がなかったので、それを作ると同時に、私と中国音楽との関わりを子供の頃まで遡って書いておこうと思い立ちました。

【安西創プロフィール(ショートVer.】

1990年、大学で中国語を学び始めると同時に、当時はまだ一般的ではなかった二胡を「東京琴社」主宰の故坂田進一師に師事。学生時代から各種演奏活動を始め、その後カルチャースクールや音楽教室講師などを経て、現在「中国音楽の小学校」をコンセプトに、より多くの人に中国音楽の楽しさを伝えるための教室「創樂社」を設立し、中国音楽の演奏活動とレッスンを行なっている。大手テーマパーク、飲食店、ブライダルや企業イベントから舞台やメディア関係、大使館や華僑同郷会関係に至るまで出演多数。他に二胡を武楽群、甘建民の各氏にも師事。笛子を孫瀟夢女史に師事。「中国音楽の小学校」をコンセプトにした中国音楽教室「創樂社」と廣東音樂の会「扶桑粤樂社」も主宰。ならびに廣東音樂と広東語の集まり、広東文化サロン「東京私伙局」も定期開催している。国史蹟 湯島聖堂芸術講座「中国音楽入門」講師。Office Shinいわき二胡教室講師。江南絲竹樂の愛好会、旧東京琴社絲竹班「進韻會」世話人。神奈川県横浜生まれ。

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【安西創プロフィール・ロングバージョン】

横浜生まれ。幼少期に、旅順生まれ大連育ちの祖母から戦前、引き揚げ前の中国の話をたくさん聞かせてもらい大いに影響を受ける。また父親の親友に、台湾で起業した人がいて頻繁に往来があり、いつも持って来てくれる台湾土産のお茶や干し肉などの味覚、そして独特なパッケージなどにも幼い頃から触れ、中華文化への親しみを持ちながら育つ。小学生の頃、図書館で中央民族楽団のレコード「中国音楽のすべて」(1980録音JVC07)と運命的、衝撃的な出会いをして中国音楽に魅了され、夢中になる。当時、解説のリーフレットだけでは「どの音が何の楽器」という事がよく分からなかったため、様々な音色の楽器についての興味がより一層高まる。前後して香港中樂團の「題名の無い音楽会」出演を観てより一層の興味を持つ(断片的な記憶としては、コンサートマスターだった黄安源氏によるチャルダッシュや、彩雲追月、戯曲に題材を取った新曲(裁判物?の登場人物のセリフを各楽器が受け持つと言う内容だったと覚えています)、それから、別の回かも知れないのですが小野雅楽会の皆さんが琵琶笙篳篥などの雅楽器を奏で、中樂團からも琵琶笙管子がデモンストレーションをするシーンを覚えています。カンフー映画全盛期を享受していた私には、ユニフォームの長袍がひたすら眩しくカッコ良く見えたのですが、司会の黛敏郎氏が雅楽の装束と対比して「楽器もどんどん改良しているし、現代の中国の方はこのような格好をしている訳ですが、一方日本は楽器も衣裳も伝わった当時のまま後生大事にしていて、まことに物持ちが良い」と揶揄して場内に笑いが起きた事を子供心に「どちらにも失礼で色々間違ってる!」とモヤモヤした気持ちで眺めた事を思い出しました。

話しが逸れました。

大学では中国語を専攻。入学式の日に担任の故塚本慶一先生に「中国音楽を教える場所はありませんか?」と聞いたところ運良く「中国の音楽世界」を上梓したばかりの孫弦齢先生が客員として入学式に来ており、紹介してもらう。

孫先生のお宅で一度稽古をつけてもらったものの「私は戯曲(伝統演劇の伴奏音楽)の人間で、楽器に関しては板胡が専門だ。二胡をやりたいなら人を紹介するからそこへ行ってはどうか」と紹介されたのが「東京琴社」を主宰する故坂田進一先生だった。

「東京琴社」とは1970年に結成された「琴(古琴・七弦琴。孔子も弾いたとされる紀元前からある漢民族の楽器で、古来から精神性が高く要求される楽器)」のための結社ですが、坂田先生ご自身が多くの楽器を演奏実演されるため、古琴を学ぶ以外にも二胡や笛子、琵琶や古筝などを学ぶため門を叩く人があった。私はそこで1990年7月4日から二胡を学ぶ事になったのだった。

さて、二胡を勉強したいと思って入門したが、お稽古場では今までレコードで耳にしてずっと謎だった中国楽器の数々が目の前にあり、マルチプレイヤーだった坂田先生が実際に吹いたり弾いたりしているのを耳にし、兄弟子姉弟子たちが合奏しているなんとも美しい空間に身を置いていると時が経つのを忘れるほど楽しく過ごしものでした。そして先生のご好意もあり、学生時代は毎週のように夢中で通っている内に、二胡以外に揚琴、琵琶、笙、阮咸、月琴、打楽器類など他の楽器も担当するようになり中国音楽のアンサンブルの基礎を身につけていった。この頃から坂田先生の二胡や笛子の揚琴伴奏などを務めるようになり、プロへの一歩を踏み出す。

伴奏では揚琴を担当する事が多かったです。
色々とお勉強させて頂きました。

卒業後は国際物流を扱う一般企業に就職し福岡県北九州市門司港に配属となる。その後天津へ駐在した為、坂田先生の会にはお休みを頂くも交流は続け、琴社創立26周年ツアーなどに参加。後にサラリーマンを辞め25歳で改めて音楽家を志す。

その後、プロの音楽家としては20歳から取り組んでいたアコーディオンで大手テーマパークのオーディションに合格した事から2005年から2017年まで舞浜へ出演する日々を送るが、その間も飲食店、ブライダルや企業イベントから舞台やメディア関係、大使館関係に至るまで多数出演し、レッスンなども行う。二胡でもテーマパークへの出演歴があり、レッスンとしてはプラティアアカデミーやヨークカルチャーセンター、世田谷音楽院などで教鞭を執り数多くの人に手ほどきをして来た。現在は自身の音楽教室「創樂社」で個人レッスンをする他、国史蹟湯島聖堂の芸術講座「中国音楽入門」でグループレッスンをしている。

そして、中国楽器の合奏音楽の楽しみを伝えるために東京琴社絲竹班を引き継いだ「進韻會」の世話人として江南絲竹楽(上海や蘇州、杭州などで広く行われている合奏音楽のスタイル)のアンサンブルを主宰しその指導にも当たっている。さらに廣東音樂の魅力を伝えるため廣東音樂の会「扶桑粤樂社」を立ち上げ、定期的に廣東音樂と広東語の集まり、広東文化サロン「東京私伙句」も都内で開催している

現在、二胡の生徒が大部分だが実践研究分野は民間合奏音楽(主に江南絲竹樂と廣東音樂)なので、二胡以外のパートの演奏者の育成にも力を入れている。研究テーマは広く福建南曲、潮州音楽ほか各地の吹打楽、戯曲、評弾、明清楽や各種祭礼音楽なども含まれる。

この先、より多くの人に広くて奥深く、そして楽しい中国音楽の世界について手ほどきできる存在になりたいと願って日々活動しています。ご興味ある方はお気軽にお問合せください!

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 創樂社 安西創


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