「三日坊主」は、結構ハードル高いらしい【日々これ #53】
あんざきです。
ベトナムでの年越しは3年目を迎えましたが、
31日現在、例年通り、全く年末がなく、ものさびしさに包まれています。
そんなこととは関係ないお話を一つ。
「三日坊主」という言葉があります。
小学館の大辞泉によると、「物事に飽きやすく、長続きしないこと。また、その人」だそうです。
三日で飽きてしまうかどうかは別として、一度やる!と決めたものの、
想定より長続きしないというので、図星の方も多いと思います。
かく言う僕自身、結構それです。わりと頻繁に三日坊主です。
いつ知ったかわからないけど、当たり前になってるこの言葉、ふと、
「そもそもなんで坊主なの?三日でやめたら罰ゲーム的な、そういうこと?」
と思ってちゃんと調べてみました。
「坊主」で、髪が無いことから、「何にもならない」という意味だと思ってました。ほんとは。
昔からある言葉で罰ゲームなわけないですもんね。
で、調べた結果、お寺の住職さんとかの方の「坊主」でした。
なんでも、「僧侶になるぞ!」と決意して修行に臨むも、
その厳しさから、3日で夢半ば、諦めてしまう人が多いことから、この言葉ができたとか。
これは大変失礼しました、と思いました。
自分が長続きせずに辞めてしまったこと、
例えば、日記とか、家計簿とか、筋トレとか、毎日note とか、、、
この辺、僧侶を目指す修行に比べたらそんなに厳しいことではないんです。
ここまで考えると、長続きしない理由が二つほど見えてきました。
一つは、シンプルに忍耐力の乏しさ。
何かを始めるというのは、習慣を変えることであり、それなりにエネルギーが必要です。
その初めのエネルギーをふり絞れないがために、続けることができなくなります。
ただ、そこまで頑張る前に辞めちゃうことが多いので、基本的には、もう一つの理由だと思います。
もう一つは、覚悟。
それをしたらどうなるのか?とか、それをしないとどうなってしまうのか?というのがあまり考えられていないんです。
ようは、何のためにやるのか、という目的意識みたいなことですね。
好奇心旺盛で、エネルギーに満ち溢れている人はそれでもやれちゃうかもしれませんが、
多分、そこそこの好奇心程度では、継続力にはつながりません。
というので、目的意識、というと聞こえは良いですが、
損する、得する、の感情で動く方が人間スムーズなので、
「損をしないため、得をするために、やり続けるとハッピーだな!」
と思えるものを続ければ良いんだろううなと思います。
※「損失回避行動」というのがあって、人は得よりも損を大きく見積もるので、
「損をしないための継続」が一番良いかもしれません。
ただ、これだけ当たり前に使われている三日坊主。
それ以下だと思うと、それだけで、なんだか悔しくて続けられるような気がしてきます。
ではまた。
(この話が誰かの何かにつながりますように・・・)
【今日の一枚】
12月に入ったあたりから、旧正月(2月頃)まで置かれています。長いクリスマスです。
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