ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』第1章 数の重量:弱小者に対抗する多数者
表記の読書会メモ。
文明にとって数がすべてではないが、数の力は技術と共に大きな力である。そう、現代人は考えている。
しかしながら歴史を振り返ると、数の力は違ってみえる。例えば、ローマ帝国に打ち勝った蛮族ーゲルマンーの人数は滑稽なほどに少なかったと、ドイツの19世紀の歴史家は立証している。
諸文明が敗れたとき、勝利者は<蛮族>と呼ばれた。ギリシャ人にとってはギリシャ人以外、漢族にとっては漢族以外が蛮族になる。しかし、これは再考すべき呼び名である。その理由は、蛮族は実は諸文明の近くでかなりの程度「文明化」したうえで勝利者となっているからだ。つまり何度も攻め入りながら失敗を重ね、その間に文明適合し、勝利したのである。ただ、その勝利は短期的であり、征服した文明に吸収されてしまった。
諸文明にとって本当に危険な<蛮族>は、ほとんど唯一の種族に属する<旧世界>の中心にあった砂漠・草原の遊牧民であり、この人種を知っているのは「旧世界」のみだ。彼らが他の勢力の圧力、気候変動などによって移動せざるえを得なくなったとき、隣国に侵入する。もちろん隣国の不注意や弱体を突いて、である。
これが歳月を経て数千キロに渡って衝撃を与える。中国、インド、イスラム圏、ヨーロッパと。以下はユーラシア大陸の14-18世紀の民族移動の図だ。第一の地図は、15世紀初頭に中国人の海上膨張、陸路ではインドと中国に向かう移動に注目すべき点がある。第二の地図では、17世紀における満州族の秩序回復に伴い、中国人が大陸で膨張し、ロシア人が停止した。それによって遊牧民はヨーロッパおよびロシアに押し返されたことを示している。
こうした遊牧民の動きは18世紀末には完了する。即ち、遊牧民はもとの位置にいるしかなくなったのである。
諸文明の勝利とは、文化に、原始民族に、無人の空間に対して勝利することである。特に難問は空間の征服である。人間は絶滅させればよかったが、空間は距離そのものが問題となるからだ。幌つき荷車の牛、馬車、こうした道具と動物を従えてゼロから生活空間を広げるのだった。また、ここでいう文化とは、いまだにその成熟・最適条件に達しないために成長するに至らない文明という意味で使われている。
ただ、我々の歴史を振り返ると、他文明との闘いや征服とは、結局においてある程度長い期間継続したとしても、一つのエピソードに過ぎなかったと見えてしまう。
結論として言えるのは、人類はいくつかの大きな塊に分かれており、それぞれが日常生活に立ち向かう装備は不平等で、その塊のなかも同じように不平等であった。この不平等が、経済生活と資本主義のレベルで後に露骨に浮上していくのが、その後の歴史の流れである。
<分かったこと>
かなりドキリとする表現が散見される部分だった。例えば、「19世紀にヨーロッパ列強が黒人アフリカで行った遅まきの植民とかは、わずか数人の力の前で崩壊してしまったが、今日、ふたたびアフリカ人の手に復している」という記述は冷酷に現実をとらえた結果なのだろう。原始民族は抵抗せずに生活拠点を奥に移動することで征服を逃れるなどの例も多く、文明なるものの力とは具体的に何なのかを考えざるをえない。
写真@Ken Anzai