Twitterと私
私はTwitterの使い方が非常に下手くそだ。というか、歳を重ねれば重ねるほどより下手くそになってきている。
私がTwitterを始めたのは高校生の頃だ。当時はガラケーだった。いわゆる"リア友"はほぼフォローしていなかった。
Twitterをやらなければ知り合うこともなかったであろう人とたくさん絡んだ。時々ツイートがほんのりバズった(数百RT程度だが)。私は純粋にTwitterを楽しんでいた。フォロワーも400人くらいはいたかしら。
大学生になって"リア友"をTwitterでフォローするようになってからというもの、私のTwitterライフは大きく変わった。一度先輩と大喧嘩をして、感情的になって、アカウントを消し、Twitterもやめた。
その後、高校生の頃からのTwitter友達との関わりが一切なくなってしまったことに気づいたのは、アカウントが復元できなくなったあとだった。
本来Twitterというものは、今起きている出来事や、今抱いている気持ちなどを簡潔に、そしてラフに表現できる場所だと思う。
しかし、冒頭でも述べたとおり、私はTwitterの使い方が非常に下手くそだ。
どのように下手くそか。
私の呟きの大半は、"なう"でもなければ"わず"でもない。
あえて表現するならば
"はどびーん"
もしくは
"ろんぐたいむあごー"
………といったところか。
早い話が、隙あらば自分語りの懐古厨という、非常に面倒くさいタイプの人間なのである。こんなご時世なのにコロナの話もあんまりしないしね。
おまけに私は超がつくほどの根暗であるにも関わらず、リアルでは明るい風を"装って"いる。
私のTwitterをフォローしている人と、そうでない人では、130度くらい違うタイプの人間だと思われていそうだなぁと思う。(根暗の対極というとパリピのギャルになっちゃいそうなのであえて180度とは言わない。)
多分、素の状態で現実世界も過ごしていたら社会的に死ぬと思うので、これからもピエロをやめるつもりはない。
いっそずっと素を出さずピエロでいたらどうか。とも考えたが、それではきっと本当の私が死んでしまう。
だからTwitterでフォローしてくれている人にだけでも素の自分を見てもらいたいなーという思いでTwitterをずっと利用している。
ネット弁慶だっていいじゃないか。
Twitter弁慶だっていいじゃないか。
そんな私を受け入れてくれる人たちのことを、私と同じくネット弁慶なやつらのことを、私はいつだって愛している。
追記:そこいくってぇとnoteはいいねえ。随筆を書くのにぴったりだ。
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