見出し画像

欠陥条項

小さいときになりたいものは魔法使いだった。
ひょっとしたら今でも魔法使いにはなりたいのかもしれない。

幼稚園の時に
なりたいものの絵を描けと言われて
ウエイトレスの絵を描いた。
本当にウエイトレスになりたかったのかといえば
そうでもなくて
なにを描いたらいいのかわからんかった。
ナンの職業があるのかしらんかった。
魔法使いになりたいとはいえ
ハリーポッターみたいな容姿をおもいうかべていたわけじゃなかった。
まぁ、ハリーポッターまだなかったけど。
だってサリーちゃんも魔女っこメグちゃんも
普通の格好じゃん。
だもんでなにかいたらいいかわからんかった
自分の眼下の先生は女性だったが
自分が医者になりたいかというとそうでもなくて
あと、なにがあるんだろう?
と一生懸命考えて
女性がやっている仕事としておもいついたのが
ウエイトレスだったというだけだ。

でも、これに母がものすごく怒った
「ウエイトレスがやりたいならいくらでも家で手伝いやればいい」
みたいなことをいったのだ。

なんでそんなに起こるのか私にはわからんかったが
母としてはウエイトレスになりたいなんて
つまらなかったのかな。
でもって、現実に私はウエイトレスにはなれなかった。

なりたかったわけでもないけど
なりたかったとしても
おそらくかなり今の私には無理がある仕事だ。

いや、なにか方法はあるのかもしれない、
ひょっとしたら
学生の時の視力だったら
個人のカフェみたいな応用のきくようなところだったら
使ってもらえたかもしれない。

まとりあえず
なりたいわけじゃなかったから
探さなかったけど。
今の仕事もなんとなく流れ着いた感はある。
どうしてもなりたかったものというのは
そんなにはないのかもしれない。
教師なんてのは目指したこともある
おそらく性分的にはあっているとおもう。
でも、教育実習にいって
やはり生徒管理とか難しいと実感した
用語の免許を取っていれば方法はあったかもしれない。
でも、そこまでのじょう熱も
時間も財産もないように感じていた

障害を理由に
ならないとかできないとか
そういうものもどこかにはあったかもだけれど
それを超すようななりたいという情熱があったのかどうか。怪しい。

ちりちりと
歌が歌いたいとか
舞台に立ちたいとか
四級はあったけれど
それを仕事にしたいとまでは思わなかったし
できるともおもってなかったのかもしれない。

最近欠陥条項をなくそうとしている
障害者の団体の映像をみた。

そこでは障害をもっていても
医者になりたいとか看護婦になりたいとか
いろいろなひとがいた。
自力で差別や欠陥条項の壁をこわすべく働きかけ
自分の場所をつかんでいる人がいた。

たまたまそのあとXをみていたら
聴覚障害の人が、病院にいったら
先生が手話で話しかけてくれたことを
驚き喜んでいるつぶやきをみかけた。
私がみた映像でも聴覚障害の男性が医者になろうとしていた。
読唇ができようと文字でやりとりをしようと
手話ができる人にとっては
やはり異国の言葉と同じような感覚がきっとあるのだろう。
だとしたら
手話ができる医者がいたほうがきっと
ずっとらくだよね。
それが欠陥条項のために
医者になれないとしたら
受け手の聴覚障害のひとだって損をしていることになる。
完全な人なんてきっといないのだけれど
障害というものを持っていることになっていなければ

そのになうべき場所もその健常者が全部やらねばならないというのはきっとたいへん
だ。
私の職場でも、私のフォローや
聴覚の人のフォローというのは
どうしてもある一定の人に集中してしまう


それをぼやいているのもきこえてしまうこともある。

ただ、できることをやれば
同じ障害の人にはかなり可能性を広げてもらえるし
やりやすさもでるのだ、

以前ラジオで全盲の方が保母さんになりたいということで
それを賛否する意見を取り交わす番組があった。
効いたときにはその方はプールでお子様のシャワーの手伝いとかをしていた。

ちょっと感心をしたのだけれど
知人は
家族に視覚障害者がいて
お子様もいるひとだったけれど
そんな人には子供は預けられないというようなことを話していた
いろいろな着眼点があるから
そういう意見もあるだろうなとおもう、

とくに人を扱う仕事となれば難しいと思うし

どこまでその障害を理解しているかということも環境的にはでてくるだろうし。

正解はないよね。
でも、
あなたはこういう障害があるから
これはなることができないというのを文章かされてしまうのはつらい

あなたには障害がある
でも、なにができるのだろう。
できることならやってほしい
ということを
みんなのぞんでいる
会社で「なにができるのか」をきかれたときに
音声のでるパソコンがあれば
といいはじめたら
インフラのことはいいのだ。
あなたはなにができるのだ。
といわれたことがある。

そうね。なにができるのだろう。

就職氷河期に就職活動をした世代だ
障害者雇用があったから
拾ってもらったとおもっている。
自分になにができるかなんて
本当にそのころからわかっちゃいなかった。
そしてなにをやりたいかも、
そして
いまもそれは同じように探しているのかもしれない

この年で。と考えると情けなくはある。

なんもできないというわけではない。
くそまじめな部分はあるから
覚えてしまえば説明仕事は実は得意だ。
実はじっとしているのは
苦手かもしれない
と最近は思うので
実は事務仕事でなくてもいいのかもしれない。
なんてことも考えたりする
でも、結局は具体的な仕事はやりたいとおもうものが
みあたらない。
でも、こんな風に文字を書き続けているのは実は好きだよね。
作家になったら本を買うよと
中学のサイン帳に書いてもらったことがある。
小説とかはすでにかけるとは思えんが
戯言だけはかいていられるのかもしれない。

まぁ、どれだけの価値になるのかはわからんけど
とりあえず
やりたいものはやっておけばいいのかも、

































































































































































































































































































































































































































































































































































































































いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集