『数覚とは何か?』とは何か?
問
問1.数列Aおよび数列Bは、1~2000の数からランダムに10個抽出したものである。どちらの数列がより偏りなく分布しているか。
AよりBの方がバラけている気がする。直感ではそう思う。
でも実際にはAの方は約200置きぐらいに均等に分布している。Bは指数関数的に分布している。
Bの方がバラけているように思うのは、それは心の物差しによるものである。
問2.各枠の中に点がいくつあるか瞬時に判断してください。
これは簡単だろう。一瞬で考えるまでもなく2、3、3、2(左上、右上、左下、右下)とわかるはずだ。数えなくても。
なら次の図はどうだろうか。
答えは6、5、6、5である。でも、これは一瞬では判断がつかない。5か6か7ぐらいだろうとは思うけれど。数えないと5か6かわからない。パッと見た瞬間に判断はできない。
人間は3までは数えなくても一瞬で判断ができるそうだ。4以上になると具体的な数は数えないと一瞬ではわからない(4以上だということはわかる)。判断するまでにわずかに時間がかかる。
そしてそれは心理学的な実験で明らかになった。数を判断するのに、電気信号を測って数ミリ秒の差があることがわかった。
でも、1、2、3、4以上というこの感じ方を人類は無意識のうちに感じ取っている。それが数字に現れているという。
例えばローマ数字は、3までは棒を並べていたのに4から違う記号が出てくる。というか5を記号化してそれを利用している。
漢数字も、3までは横線が並んでいるのに4から形が変わる。
アラビア数字も、2と3は2本および3本の線に由来する(「二」の上下をつなげて「Z」のように書いたのが由来。3も同様)。
マヤ文明の文字でも、4までは点の数で表現していたのに5は線で表す。
というようなことが『数覚とは何か?――心が数を創り、操る仕組み』に書かれている。
改訂増補版
『数覚とは何か?――心が数を創り、操る仕組み』
スタニスラス・ドゥアンヌ/長谷川眞理子・小林哲生 訳
(早川書房)2010
が面白かったという話である。
原著は、
THE NUMBER SENSE : How the Mind Creates Mathematics
――Stanislas Dehaene 1997
である。
結論から言いたい。僕が一番伝えたいのは、早く文庫化してほしいということである。早川のオレンジの背表紙で。
――それはなぜか?
まず、本書が面白すぎてみんなもっと読むべきだから。
そして、現在絶版で中古で5000円ぐらいでしか手に入らないから。
でも、それ以上に大事な点がある。
原著は1997年で、この翻訳が出版されたのは2010年である。
そして、2011年にRevised and Updated Editionが出版されている。
翻訳が出た翌年に改訂増補版が出ているのだ。翻訳が遅いばっかりに……。でも、翻訳してくれていることはありがたいことでそこに文句を言ってはいけない。数学の専門的なことは専門家の方が丁寧に訳すことができるだろうから、門外漢が口を出すことではないのかもしれない。だからこそ、改訂増補版を文庫化の際に出してほしいのである。この名著を多くの人が手に取れないのはもったいない。もちろんそのプロジェクトは進行中かもしれないし、改訂増補版の翻訳権がない可能性もある。早川書房さんには頑張ってほしいものである。
数覚
本書には、問の項でも書いた興味深い内容が散りばめられている。
人間が普遍的にもっている数に対する感覚を、様々な調査からわかったことが記述されている。
例えば、左より右の方が数が大きくなるという感覚。数直線やグラフを書くときは右に行くほど数字が大きくなるのが一般的だと思うが、その感覚の謎に迫る。
これは、数の言語的な処理が関係しているようで、文字を左から右に書く文化圏の方が多数なため、そう思ってしまっているらしい。アラビア文字の文化圏の人は逆に書くから左の方が大きいと感じるらしい。正直、そんな事は考えたことはなかった。数直線はそう書くもんだと思っていた。そして本棚を見たら、マンガの1巻の右に2巻が並んでいた。たしかにそうだ。無意識のうちにそのように並べている。書店にもそう並んでいる。そもそもそう並べるように考えて出版されている(背表紙の画がつながるものとか)。
これが数覚か。
他にも興味深い記述はある。ありすぎて書ききれないけれどいくつか紹介する。
1と2の距離は8と9の距離と同じではない。
実際には差は等しく1だけれど、2が1より大きいと判断するより、9が8より大きいと判断するほうが時間を要する。それは「心の物差し」と呼ばれるもので、1と2、2と4、4と8の間隔が等しく割り当てられる。
とか、
アジアの言語の方が覚えるものが少なく計算しやすい。
英語だと、1~9、10、11、12、13~19、20、30、……を覚えないといけないが、日本語では、10の次に覚える必要があるのは100までない。それまでは、11「じゅういち」(10+1)とか50「ごじゅう」(5×10)という具合に、10までの数の組み合わせで表現できる。
たしかにそうだが、そういう観点で考えたことはなかった。でも、大学でドイツ語を学んだ時、「99」を「9と90(neunundneunzig)」という形で表現していてなんだコイツと思ったものだ(「999」は「900と9と90」と表す。わけわからん)。フランス語では20の倍数を使って「4×20+10+9(quatre-vingt-dix-neuf)」、という形で表現する。20を一つのかたまりにしたのは、人間の両手足の指の数から来ているとか。ややこしすぎる。いかに日本語の数字が使いやすいかがわかる。
そして音数も少なく、違う読みもできることから九九という概念が日本にはあって、大抵の日本人は使いこなして1×1から9×9は容易に計算できる。欧米人の方が一桁同士の掛け算を間違えやすいそうだ。日本人としてはその感覚は意外だった。そうか、九九ってすごいんだと感心した。
とか、
人間はどのようにして数を習得しているか。
これは子供を観察して調査している。生まれつき脳に備わったものなのか? 他の動物ではどうか?
とか、
脳ではどのように処理されているか?
PET(陽電子放射断層撮影)をつかって脳の活動を見ている。が、この分野に関してはまだ調査中? とのことなので、改訂増補版で新たな記述があることが期待される。
まとめ
つまり復刊してほしいということが言いたいのです。
できたら文庫で改訂増補版として。
なんとなく感じている数に関する感覚を科学で裏付けようとする試みは、大変興味深い内容だった。
数学に興味あるとかないとか関係ない。生活の中で数字は出てくるし、簡単な計算もする。身近なものの正体に迫る名著だった。
どうか多くの人にこの本が読まれますように。
終