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身の上話と方針

どうも、浪人生です。
3月も終わりが近づき、そろそろ「あっ、自分は受験失敗して、周りの皆んなの様に運転免許を取ったりできない人間なんだ、死のうかな?」とか思い始める時期ですがいかがお過ごしでしょうか。
今日から来年の2/25~26の東大2次試験までの約一年間、noteを用いて日々の気づきや勉強についての話なんかを書いていこうと思います。
どうせ見る人は居ても1~2人位でしょうから、ある程度身勝手に、読みやすさを重視せずに書き連ねていきます。

現在の学力とか

得点開示をお願いしていたので、結果発表からすぐに得点の書かれたハガキがやってきました。結果は240点程度、僕が受けたのは理科二類なので、合格最低点を80点ほど下回っています。
教科別では大雑把に、国語5割/英語7割/数学1割/理科1割と言った感じです。うん、

理系科目やばくね?本当に東大受験したんだよね?

って感じですが本人は至って大真面目に受験してます。これはヤバい、ということでとりあえず、自分なりに高校生活を振り返って、何がいけなかったのかを考えてみました。

1. 学校をナメまくってた
 
 僕の通っていた学校は、所謂自称進学校ってヤツです。地元トップ高に落ちて滑り止めとして入学したため、正直ナメまくってました。
入学すぐの模試なんかでは学年上位に位置していたこともあり、かなり天狗になりながら数ヶ月を過ごしたんですよね。
その結果ついた悪癖をご紹介しましょう。

 その1 宿題を一切提出しない
これに関しては本当に後悔しています。マジで。
宿題というのは簡易的なアウトプットの場です。その機会を逃して、長いスパンの模試での結果のみで学習内容の反芻をしていた僕はただのバカです。

 その2 定期テストを軽視する
これも勘違い系馬鹿あるあるですね。「どうせ学内のテストだし、内容はほぼ暗記じゃん笑」とか言って全く勉強してませんでした。結果は散々だったんですが、その度「うわあの問題、[この前の宿題/指定された問題集の範囲]にあったわ〜」とか言いながら心の中で「覚えてなかっただけなのでこれからやればヨシ!!」みたいな現場猫的マインドセットでいて、その上復習もせずに投げ捨ててました。
これは非常によろしくない。

 その3 学校指定教材を軽視する
こーーーれはマジで馬鹿だと思う。自分でも何してんのお前って言いたくなる。
正直に言いましょう、僕は勉強の仕方を知りません。知らない上に調べたこともありません。ただこれだけは分かる。

"自分の能力に見合った教材を!!"

これめっちゃ重要。勘違い系馬鹿の僕は一年の頃から赤チャートやろうとかしてました。いや、やったならまだマシなんですが、途中で投げ出しました。(今も自室の本棚に綺麗に保存してあります。使えよ?)

はい。これが僕の失敗高校生活で身についた悪癖ですね。
幸い、親に予備校通いの許可を頂いてからはこう言った癖を治そうという意識を持つことが出来、今では(完治はしていませんが)良くなっています。

そして実はもう一つ、僕が受験を失敗した大きな理由があります。それは...

2.勉強を知らなかった

 先程も少し言いましたが、僕は勉強の方法を知りません。理由が数個あるので、少しお話ししていきます。尚かなり個人的な内容を含むため、読み飛ばしていただいても結構です(寧ろお願いします)。

 その1 中学校時代の負の遺産
キキララ...ならぬ赤裸々な告白を致しますと、私は中学1年~3年初め頃まで不登校でした。理由は凄く些細なことで、部活の顧問との軋轢や自分の対外的な評価への不安などが重なり、精神的に辛くなってしまった為でした。
その影響で、私は中学三年間を通して、勉強という勉強をせず。宿題も(出されないので)提出せず。また、定期テストや模擬試験(統一テスト的な)による周囲との競争などにもほぼ関わらずにいました。
結果。大学受験生には必須である、家庭学習を含む勉強に関する姿勢や感覚を全く持たないまま高校に進学しました。なんで学校に行かなかったんだろう。なんで部活動に入ったんだろう。と色々思うところもありますが、後悔先に立たず。

 その2 学校生活への適応に失敗した
これは先程の話と少し被りますが、中学時代の精神的な問題は実は高校に入ってからも続いていました。何を思ったか、僕は高校入学後すぐに部活動に入部しました。
僕は集団活動にはかなり不向きというか、その場を楽しめはするのですが、一人になると、自分はあの集団の中で何をしたか、どう評価されているのか。自分が居られる場所なのか?と反省会を開いてしまうんですね。
これをされる方は結構いると思うのですが、僕の場合、一連の反省の流れで必ずと言って良いほどネガティブな要素を誇張して考える、所謂誇大妄想をしていましまして。結果自殺を考える程になってしまいました。
その結果、僕は活動に顔を出さないようになり、最終的には顧問に呼ばれ退部の意思の届出を出すことになります。
また、上で書いた"宿題を出さなかった"と言うことにも理由が少しありまして。
簡単な話です。プリントを持ち帰ることを忘れるか、宿題があったこと自体を忘れてしまうんですね。学校で居残りして片付ければよかったんでしょうが、諸々の事情でそれも出来ず。何回も「今回こそは提出しよう。僕は今日から真面目に生活するんだ」と思い提出を試みても、数枚は出せてもある日一枚提出を忘れた瞬間に、「あぁ、もうだめだ。これで怒られてしまった。僕の決心は実らなかったんだ。なんでこんなことを考えたんだろう。僕にできるはずもないのに」となるんですね。いやー面白い生き物ですね、単細胞生物かな?
何より、提出を忘れる事が毎回の様にあり、その上自分はこの致命的な記憶力の無さを隠すため、また単純に強がって見せるために、毎回ヘラヘラしてやり過ごしていたんですね。その結果はご想像通り、「不真面目で、何も出来ない人間」と言う評価の出来上がりです。
ここもまたややこしくて、僕は模試でまあまあな点数を取るタイプだったので、その事も相まって「不真面目で教師を舐めた態度を取るクソ生徒」のレッテルに進化してしまったんですよね。僕自身が幾ら申し訳なく思っていようと、自分が同級生に対して立てているメンツを潰さないためにはこのレッテルと共存していくことが得策のように思っていました。
こう言った、思春期特有の面倒臭いカッコつけや、そもそもの能力の低さなどが相まって、僕はみるみる学校と言う集団から阻害されていきます。結果単位は3年通してギリギリ、2年の頃は及落判定会議に掛けられる寸前まで行ったそうです。本当やばかった。
書いてて涙出てきました。マジで辛かったこの三年間。なんでここまで適応できなかったのかが本当に不思議でなりません。

長くなりましたが、以下に東大オープンの得点でも載せておきます。

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これが夏の第一回。英語がここから倍になるって結構すごいなとは思ったんですが、他教科は散々すぎて成長とかそういう次元じゃないですね。
実はこの東大オープンでやっと勉強の感覚というか、東大受験するならこういう感じの問題を解くんだなという感覚を掴みました。とはいえ即成長に繋がるわけではないのですが....

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これが第二回。英語が少し伸びて、他教科はほぼ横ばい。何を考えたか第一回も第二回もまともに解き直し等していないのでほぼ成長無しです。
実は僕が予備校で受けていたのは東大英語というクラスのみで、他の教科は(確か)認定が出ずに完全自力です。英語だけ微妙に伸びてるのはそういうことです。

高校三年間を通して模試偏差値は60前後、悪い時は50前半なんかで推移していました。到底東大受験者とは思えない成績を開示したわけですが、それでも僕が東大受験を決めた理由を最後にお話しして終わりましょう。

Youはどうして東大へ

結論から言うと、憧れです。高校2年の春、河合塾札幌校に東大のある教授さんが講演にいらしたんです。その時に聞いた話がとても面白くって、興奮冷めやらぬうちに控え室に質問をしに行き、名刺を頂き夏のオープンキャンパスの機会にその先生の元に訪れました。この時の楽しかった記憶と、さらに、オープンキャンパス中にあったある模擬講義にて、僕がした質問に興味を示していただいた教授さんの存在も、僕としては非常に嬉しく、こう言った環境で勉強ができるなら、これ以上を望むことはあるだろうかと。そう言う思いが、僕が東大を受ける理由です。
一応他にも、叔父が東大卒だったりとかしてその後追い的に行っちゃおうぜと言う家族のノリとかもあるんですが、それはまあ副次的なものなのであまり影響はないです。

正直、酷な話です。能力のない人間に楽しい世界を見せて、でも実際にはその楽しい世界は辛いものだったりして、何よりそこに辿り着くまでの道もひどく険しくて。夢を持って受験をすることはきっと素晴らしい事なのでしょう。ただそれは、本人がある程度の能力を持ち、またある程度夢と現実の区別ができる人間だった場合のみです。
僕のような人間が抱いてしまった夢は、一度持ってしまうと、離せばその場で爆発して、持ち続けていても時限式で爆発してしまう爆弾のようなもので、解除する手立てを見つける能力が無かった日にはもう死ぬしかありません。
僕が東大を受験しようとするモチベーションは、こういう「出来なければ死」みたいな背水の陣のようなものなんだと、たまに思うんですね。

そんなこんなで、メチャクチャ長い身の上話になりましたが、これから高校に入学する方。既に高校生で、受験を意識し始めた方が、このnoteを見て、少しでも「あぁ、こんなバカでも東大を受験しようと言う夢を抱くんだな。それに比べれば僕の夢は現実的だ。頑張ってみよう!」とか、僕と似た性格の人が、「うわ、案の定失敗してら。自分の時はここをこうしてもっと上手くやってみよう」とか感じていただければいいなと思ってます。

最後に

願わくば、このnoteを読んだ人、そして今これを書いている私が、大学受験を最も幸せな形で乗り越えることが出来ますように。
努力はきっと報われます。性格も習慣も気合いでなんとかしましょう。もし僕が2021年度の受験に成功すれば、それが一つの証拠になります。そうなることを僕は強く願っています。
そしてその意思に沿うような行動、これが無くては結果は出ません。これから不定期で更新するnoteでは、この行動に焦点を当てて更新していきたいと思います。

長々とお付き合いありがとうございました。またいつかお会いしましょう。

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