時々来る絶望が長めに滞在しそうだから書いた
限界は自分で作ったものだと聞いたことがある。でも私はそれを詭弁だと感じてしまう。
自分ではどうしようもないことは想像以上にたくさんあって、突然何かをキッカケに自分の中の何かがガラガラと音を立てて崩れてしまう時もある。
耐えられないものは耐えられないし、自分の力ではどうにもならなかったのだと自分自身を赦さないといけない時が、生きてるとあったりする。
一生懸命に走っている時は、それが辛くて怒り苦しみもがいていたけれど、それを過ぎてしまうと、そうであったことが幸せというか、抜群に楽しかったし貴重な時間だったのだと、今なら分かる。
不惑までカウントダウンが始まっていて、いよいよ自分の人生このまま進むか、少しでもそこにいる自分の自己肯定感が上がるところに近づく挑戦をするか、恐ろしく迷っている。
生きていくために労働は必要で、社会との繋がりも非常に大切だ。
でも半年くらい病気なのではと疑うくらい色んなことを思い出せなくなり、色んなことを忘れていく。
言いたくもない言葉を発してしまったり、何もしたくない。一日中暗い部屋にいたい。
生きていくことは選択したりされたりの連続。
もうこの道から降りたいと思ってしまう。
でも周りにいる人たちの優しさに生かされているうちは生きなきゃいけない気もしている。
自分の限界に絶望しながら、与えられた優しさにお返しをしながら生きなきゃいけない気もしている。
夕方のチャイムが今日も聞こえる。