見た目のデザインとゲームのデザイン、オマージュとパロディ
おはようございます。
『パルワールド』というゲームが出ました。
インディーゲームながらに爆発的なヒットを記録した本作。
Arkライクのオープンワールドゲームで、「パル」と呼ばれるモンスターを収集し、交流、戦闘、労働などをして楽しむというゲームです。
こちらのゲームに登場する「パル」が株式会社Pokemonの管理するキャラクターコンテンツ、「ポケモン」のモンスターデザインと酷似していることが物議を呼んでいます。
「パル」は「ポケモン」と違い、武器で攻撃することも強制的に労働させることもできます。
※正確にはポケモンにも戦争で使われた歴史や自身の意図に反して使われる描写はあるのですが、ポケモンオタクの記事ではないので黙っておきます。
これはユーザーが勝手に見つけた面白さではなく、公式がそう言っているので狙ったものだと言えます。
以下、Steamにおける説明文を引用します。
『パルワールド』はこのように、明確に可愛らしいモンスターデザインの「パル」に悪辣な行為を行うギャップを面白さの軸にしたゲームであることは間違いないでしょう。
これ自体に問題はありません。
それがクリエイターの表現したい世界であり、それによって伝えたいものがあるならば、非難されることはあれど、創作への向かい方として真摯と言えます。
ここでゲームデザインとグラフィックデザインの話をしましょう。
少し本題と逸れるのですが、私がメインに活動しているカードゲーム、『マジック:ザ・ギャザリング』を使って解説します。
さて、このカード、デザインと呼べる部分はどこでしょうか?
イラストはもちろんデザインですね。
マナシンボルなどのアイコンもデザインですね。
私はこのカードのすべてがデザインだと考えます。
そのすべてが、このカードがそうであるべきものであると形作っているからです。
イラストやカード名、赤い色というグラフィックデザインに加え、そのコスト、カードテキストというゲームデザインの両面で稲妻というカードを表現しているのです。
これのどれか1つを変えたら稲妻というカードではなくなってしまうでしょう。
イラストを変えるのはもちろん、カードテキストがライフを回復するものだったら稲妻としておかしく思えますよね?
デザインは、それがそうあるべき姿です。
ピカチュウはなぜピカチュウでなければいけないのか。
それは見た目がピカチュウだから、だけではありません。
「ポケモン」は長年の歴史の中で、少しずつこのデザインを確立させていきました。
「ポケモン」はシリーズを重ねるごとにその世界のデザインを、より「ポケモン」であるべきものに変化させていきました。
ステータスを変え、特性をつけ、モーションで行動を表しました。
グラフィック、ゲームの両面のデザインでポケモンを表現しました。
そして、すでに先行者がいるなら、明確にデザインに違いを持たせることを意識しなくてはいけません。
今回の件で引き合いに出される『ドラゴンクエストモンスターズ』や『妖怪ウォッチ』など、いわゆる「ポケモン的ゲーム」たちはそこに苦心し、独自のデザイン=そうであるべき理由、を作り上げたからこそ今も残っています。
『DQM』は元々持っている「ドラクエ」のIPを活かし、初代『テリーのワンダーランド』では、「ドラクエ」のモンスターを主軸にした話を展開しました。これは『DQM』でしかできないことでした。
『妖怪ウォッチ』は特に、現代における子供に大人気のキャラクター、「ポケモン」を意識し、より未来的に進んでいくポケモンに対し、どこか少年少女時代の懐かしさや、「ともだち妖怪」という言葉に代表されるような親しみやすさを全面に押し出しました。
私は今の「ポケモン」の方針はこの『妖怪ウォッチ』の存在が大きいと感じています。
『妖怪ウォッチ』の登場以降、「ポケモン」は進化を続けながらも、現実とのシンクロ、まるで自分が「ポケモン」とともに暮らしているかのようなコンテンツや、昔「ポケモン」と友だちだった人たちに向けてのコンテンツを意識するようになった気がします。
しかし、『パルワールド』は違います。
『パルワールド』があえてポケモンの世界に寄せて作っているのは明らかです。
モンスターのデザインが似ていると言われることに加え、「パル」を捕まえる手段も「ポケモン」と同じくボールです。
これではただの「ポケモン」のコピーになってします。
でも実際には、見た目のデザインが似ているだけで、したいこと=ゲームとしてのデザインが全く違うので、成立してしまうのです。
可愛いキャラクターのいる世界を露悪的に表現するだけなら、もっと別のデザインでもできますし、そういう世界を表現した作品もいくつもあります。
アニメになりますが、『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』はそういう方向で私の大好きな作品です。
こうなってくると、作者の表現したいのは「可愛らしさと汚さが混同した世界」ではなく、「最悪なポケモン世界」であることがあることがわかってきます。
この悪の世界に必要なのは「可愛いモンスター」ではなく、「可愛いポケモンに似たモンスター」なのです。
つまり、既存の「ポケモン」という世界をパロディした作品であるわけです。
芸術におけるパロディとは、元となっている作品を風刺的に、茶化すことで、自身の表現したいことを伝えたり、その落差によって面白さを表現する方法論だと私は考えます。
パロディは一定の面白さを簡単に作り出すことができる方法です。
一からものを作るのではなく、土台となっているものの面白さを借りる形で作品を作れるので、ある程度の面白さは元作品により約束されているわけです。
しかし、その一定のラインより先の面白さ、パロディだったものが主流となっていくには、元となった作品とは別の、それ自体の世界の面白さを作り出す必要があります。
「ポケモン」も、元はカプセル怪獣という『ウルトラマン』のオマージュ(この文では皮肉的要素があるものをパロディ、それがないものをオマージュとします)の要素が強かった作品です。
しかし、前述した通り、それ以降のオリジナリティを持った競合作品との切磋琢磨や、世界の研鑽によって主流として成立した経緯があります。
また、ここにおいてオマージュとパロディの違いは決定的です。
元の作品を尊敬した上で、もっと自分の好きなことを詰め込んで自分の作品にしたい、というオマージュは元作品と共存した上で主流となれます。
しかし、元の作品に対して批判的要素が含まれるパロディが主流となるには元作品を越える面白さを作り出さなければいけないわけです。
『パルワールド』が、手軽に面白さをとれる方法としてパロディを取り入れたか、真に「ポケモン」を超えようという気概で作り出されたか、は今後わかっていくことでしょう。
ポケモンオタクとしての私の言いたいことは、朝目新聞みたいな方法でポケモンを貶しやがって、という一点です。
ポケモンオタクとしても、一人のゲーマーとしても、『パルワールド』が独立したゲームとして発展していくことを期待しています。
おわり!
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