きっかけ

はじめて投稿して、なんか違うなって非公開にして1年経った。改めて投稿する。

誤字脱字文章力皆無のオタク

noteをはじめたきっかけは推しが廃業したから
なのだが、最近はだいぶ受け入れられるようになった。

なぜかというと、
彼はこの世界のどこかで生きているから。
そう信じてるし信じたい。
もう私に彼の死を知る機会は無いに等しいので
どこにいるかも分からない彼のことを祈ることしかできないけれど、

話は変わるけれど、
私はデビューして某ケータイ会社のCMで
歌っている時からflumpoolが好きだ。
活動休止する手前から最近まではだいぶ
ご無沙汰だったが、大体のCDは買って
聴いていたつもりだ。

そんなflumpoolが何回かドラマや映画の
主題歌に抜擢されたことがあった。
君に届けとブラッディ・マンデイ

彼はそのどちらにも出演していた。
爽やかで端正な顔立ちをしている
俗にいうイケメン俳優、三浦春馬。

別に熱狂的なファンだったわけでもないし
出演作品を毎回かかさず見ていたわけでもない。

何気なく好きなアーティストが歌う
ドラマや映画に彼が出ていた。
普通にかっこいいなとおもっていた。

ただそれだけ。

古参の人から見たら亡くなったとたん
執着するのは偽善なのではと思われるかもしれない。

私自身も偽善なのかとたまに思う。

しかし、いつもと違うのだ。
著名人の訃報は生きてる中で多分
何度も聞いてきた。
それらはテレビやラジオ、最近はネットニュースやSNSでもまわってくる。

見た瞬間、そうなのか。
と、そのことに対して納得理解して終わる。
それが認知してる方でも認知してない方でも。

今回は違った。
頭の中を埋め尽くす疑問符。
理解も納得もできなかった。

なんで?
どうして?
どうすればこれを、回避できたのか?

実際に会ったこともなく面識があるわけでもなく
画面越しで一方的に知っているだけなのに、

家族のように知り合いのように仲間のように
考えてしまう。彼の死の理由、

SNSでまわってくるいろんな情報に
流されながら彼の死を認めたくない。

理解できなかった。

その2ヶ月程前に著名人が出演番組にて誹謗中傷
を受けての自決したニュースを見た時は
ちゃんと納得できた。

今、とても問題されてる誹謗中傷問題。
精神的苦しみが稀に死を連想させるのは
理解出来る。

彼の死の理由がわからなかった。
そりゃ、プライベートまで、悩んでることまで
わかるはずないし、突然死にたくなることは
誰にだって予測できない。
それが、自分自身のことであっても。

20代になった頃に辞めたくなったことが
あって、悩んでいたことがあったとどこかで
知った。

だけど乗り越えてきた、と。

しかし今回は違ったのか、
あの素敵な笑顔の裏に
あの目を奪われるパフォーマンスの裏に

何をひとりで背負い込んでいたのだろう。

49日間、私は暇さえあれば考え、
涙を堪える作業をしていた。

オタクだから想像力豊かなもので
よくないことがたくさん思いつくのだ。

そんな時、SNSでスピリチュアルな投稿を
目にした。

それは自死ではないという
亡くなった本人からのメッセージ。
私はそれを見ただけで、
全部を納得理解することができた。

そういう霊的なものは信じていないのだけど
信じるか信じないかというより信じたい。
そう思った。

彼のメッセージにまた涙をぽろぽろこぼして
私はその時思った。

素敵だな、好きだな、元気でたな、
そんな風に思えたら言葉にしていこう。と

今はSNSが普及されて言葉を発信することが
とても簡単で反面難しい時代になった。

ボタンひとつで自分の思ってることが
周知し喜ばせるかもしれないし楽しませる
かもしれないし、傷付けるかもしれない。

自分が思ってる通りの感想を抱いてもらうとは限らないのだ。

ふとした言葉を発信し、傷つけたくて故意に
発言したわけではないけど、
そんな言葉でメッタ刺しにすることもある。

そんな時代だけど、
私は好きな人に好きだよとか
あなたのそういうところ素敵だよとか
言える人間になりたい。

という遠回りをして話したけど、
自分の推してる人たちはちゃんと今、
推せるだけ推し倒して生きたい。

オタクのひとりごとでした。



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