アニソン的視点によるディスクガイド マエガキ その②

 前書きが2回も続いている時点ですでに迷走している感が出てきていますが、前回書いた音楽に対してのモヤモヤや、これを始めようと思ったきっかけなんかを書きたいと思います。とっ散らかってます。あと長いです。

①意味からの解放

 最近の音楽は少し僕には難しいです。まず一つはメロディがない。ロックが無力化しブラック・ミュージックが席捲している今の音楽は基本的に繰り返しでつまらない。いや、ソウルもファンクもアフリカも、あとラテンも好きなんですけども。やっぱり流行する音楽にはそれなりに印象的なメロディが欲しいわけです。

 あと一つは手段としての音楽です。最近は主張したいことを優先して音楽がないがしろにされているような気がするのです。まあ、もともと音楽は何かを伝達したり、儀式に使われたりと、目的があっての音楽ではありました。今もトランプ政権に対してや、少し前には集団的自衛権のデモなんかに音楽が使われたりしていますが、特にトランプ批判に関してはグラミー賞まで浸食されていますが、いったいいつまでこんなことをしているんだろう、と僕は思います。(最近はアイドルも社会的な歌詞を歌ったりしますね。)せっかく音楽が音楽としてのみ存在できる世界になっているんだから音楽だけを評価すればいいのに。音楽を作る意味は音楽を作りたいから。音楽をきく意味は音楽をききたいから。それでいいじゃないですか。そして僕はそれを体現している(音楽がその内側だけで成立している)オールディーズやネオアコやAORが、中身のないものとしてなんとなく下に見られているような被害妄想にとらわれているのです。勝手に。(ちなみに僕は以上の理由でスミスをネオアコとは思いません。)

 でもその反対に世界でははっぴぃえんど、シュガーベイブ関連をはじめとした日本のいわゆるシティポップが流行っているというではありませんか。たしかに日本のインディーシーンでもミツメ、シャムキャッツ、ラッキーテープス、スカート、あと台風クラブなどシティポップ寄りのバンドが一定の支持を受けています。これはメロディに乏しい音楽や手段としての音楽へのカウンターなのではないでしょうか。

 少し脱線したので話をまとめますと、印象強いメロディと内側だけで完結する音楽といえば、アニソンもそうではないか、と僕は思い始めたのです。アニソンの中にはアニメの世界観さえあればいい。もしくはそれすらなくてもいい。そしてほとんどのアニソンが批評の的にならない。つまりそれは自由度が高いことにつながります。したがって個性的かつキャッチ―な曲が生まれやすく、しかしそれが何の評価もされず忘れ去られていくのが僕にはどうにも心苦しかったわけです。

②音楽をきく

 音楽との理想的な出会いとは、どのジャンルどの年代、誰の何の曲なのか全く分からないまま耳にすることだと、僕は思います。「音楽を聴く」の「聴」は耳+目と心で聴くんだよ、と小学校のときに教わりましたが、音楽をきくのに知識は邪魔なだけです。むしろ制作者に失礼だとも思います。「〇〇さん作曲だから良いに決まってる」、「この人のアレンジはいつも神」、あるいは、「××の歌はクソ」、「なんか最近流行ってるやつね」、逆に、「これまだ自分しか知らないんじゃないか」、等々。僕自身もこう考えてしまうことは多いです。特に最後。本質を見極める前に先入観を持ってしまうとなかなか純粋な気持ちで音楽をきくことができない。だから本来こんなディスクガイドではなく、ラジオ形式でまず曲を流してそれから曲を紹介する、という流れの方が理想的なのですが、現実的ではないので苦し紛れにこんなことをしています。

 なので、このディスクガイドではなるべくあるものはYou Tubeから音源を貼り付けて、それから紹介する、という形をとりたいと思っています。しかしアニソンはなかなか音源が上がっていない。そしてすぐ消される。違法だから当然ですが。まぁ、なければないで紹介はしますがね。本末転倒。しかし評価されないものたちを掬いあげるためにはいたしかたなし。

③フミヤマウチさんのノート

 このディスクガイドを始めようと思ったきっかけはフミヤマウチさんの「渋谷系洋盤ディスクガイド100」のノートを見たからです。こんなツールがあるのか、というのと、こんな視点でもいいのか、というのが僕の中では革新的で、じゃあ真似してみよう、と思った次第です。なので紹介形式もほとんど真似します。

 次回からやっとディスクガイドします。第1回は今年1月に亡くなったフランス・ギャルを予定してます。本編はここまで長くならないです。

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