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私のタイムカプセル

ある日、私は

高校の卒業証書を探していた

高校を卒業してから20年経っている。

20年かぁ……

早いなぁ

理想と現実のギャップ

思い描いていた38歳とは全く違う自分。

想像の中の私は今頃日本にはおらずパリに住んでいる予定だった笑笑

オシャレな服を身にまとい、美の歴史に触れて、デザインや絵画を仕事とし、休日は公園で草木を眺めてボーッとするのだ。

街を歩いている自分自身が絵画の1部であるような、そんな生活を夢見ていた。

中身というか、軸の部分は何も変わっていない気がする。

子供がいることを言い訳にしたくないというのが結婚してからずっとあった。

なぜならば自分が親に言い訳にされてきたからだ。

「子供がいるから何もできない」

これは嘘だ。

これは私自身が証明し続けている。

自分の叶えられる範囲の希望は全て叶えてきた。

この考え方はまさに親を反面教師にしている。
子供がいるから何もできない。
は、確実に嘘である。

ただ時間と自由が足りないのは否めないのでいかに効率よく日々をこなすかにかかってくるのだが……

母から受け取った愛情

私は結構親を反面教師にしている部分が大きい。
○父親をうまく立てること
○子供を言い訳に自分の人生を諦めないこと

この2点においては完全に母を反面教師にしている。

中学から口酸っぱく言われていた言葉がある。
『お母さんは結婚に失敗したから、あなたは色んな男の人を見た方がいい。』と。

そんな家庭環境のおかげでだいぶ目は養われた笑

母は反面教師だけでなく、尊敬する部分も大きい。
ただ、この尊敬する部分においては、親になってから気付いたことだ。

○才能を認め続けること
○全てを寛容に受け入れること

母から受け取った大きな愛はこれである。

親が成長しなければ子供は育たない。

一緒に成長していくものだと痛感している。

タイムカプセルは故郷

結婚する時に母に渡された袋を久々に開く。

それはずっとずっとクローゼットの棚の上の奥に閉まってあった。

中を見ると懐かしい賞状の数々。

母は、私が書道や絵画で賞状をもらうたびに喜んで、それを何十年も大事にとっていてくれたのだ。

幼児期に描いた絵や、
スケッチブックが数冊。

私の絵は、だいたい木や花が描いてある。

そして雲も多い。

そしてハートのモチーフも多い。

その中で異質を放っていたのが、

県庁に飾られた、竜の版画。

懐かしい……

実際に飾られたこれを一緒に見に行った時、母はすごく誇らしげだったな……

私の中でいつだってたどり着く、すごく単純な答えがあって

「誰かが喜んでくれたら自分も嬉しい」

これは私が仕事する上で大きな指標になっていて、

それはすでに幼少期から備わっていたのかもしれない。

タイムカプセルは愛に溢れている

人はいつだって後から気付くもの

心から笑えて満たされている時は

その幸せに気付くことができなかったりする

母は、何十年も私の描いた絵をとっておいてくれて、

私が歩んだ道を大切に保管してくれていた。

それを開けると、

懐かしい思い出と共に、母の愛を感じた。

人はいつだって後からその偉大さに気付くもの。

ちょっとした優しさや、気遣いは誰でも気付くことができる。

でも、その偉大さは、ほとんどの人が後から気付くのだ。


だから私は見えないものを大事にしたい。

タイムカプセルを残していきたいのだ。


⬇️タイムカプセル感満載のHP⬇️


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