【掌編小説】生き急いだ桜
ふいに風がふわぁっと吹き込んで、桜の花びらとよく分からない赤い何か(それは桜の花びらの一部なのかもしれない)とが、ここら一帯を吹き飛ばすかの様に、胸のこの辺にある心の縺れを根こそぎ吹きさらうかの様に、一分一秒を生き急ぐ私を、一瞬でさらってみせた。
○
急患が入ったのは一昨日の夜遅くの事だった。次の日のお昼にはその患者さんはお家に帰られた。
「急病だったから、仕方がなかったのよ」
ご遺族はそう言ってくれていたけど、私にはそうは思えなかった。医療ミスがあったとか決してそうじゃない。救えない命があるというのは私だって知ってた筈なんだけど、私は「人が死ぬのが」、「誰かが悲しむのが」、「無力な自分が」、とても、とても、『嫌だった』。
そういう想いがあったから、人を救う仕事に就きたくて、沢山勉強をした。人生の決して少なくない時間を、人を救う勉強を、心作りを私はしてきた。そうして看護試験を突破し、私は念願の看護師になった。
患者さんが亡くなる度、涙を流した。私の為に泣いてくれる友人も恋人もいた。私を必要としてくれる人は幸いにも、沢山いてくれた。だけれど、救えない様な想いをする度に私の心は縺れていく。平静と絶望と失望と安堵が交錯しては、心の底の方に沈んでいく。
私は気付いていなかった。
「誰かが悲しむ」、のも、「無力な自分」も、この仕事と向き合っていれば必ず訪れるのだ。そんな感情や現実と向き合ってきて、ようやっとこれは最初からわかってたと思い込んでたんだけど、やっぱり、『人は死ぬ』という事実を思い知った。人は死ぬという感覚を、私はいつでも隣に合わせる様になった。それは日常の中にだって潜んでいるし、どこでどうなるかなんてわからない。とにかく私は逃げ出したかった。
普段からそんな状態になってしまって、参ってしまって、私は遂には看護の仕事からも逃げ出したくなっていた。だけれど、逃げるのにも『覚悟』がいる様で、私はそれとは向かい合えなかった。あんなに嫌いな感情とは散々向き合ってきたっていうのに、それと向き合おうとするとお腹の底で何かが叫ぶ。その感覚には何か沸き上がってくる感情に、重たいニュアンスで暗い印象の重油が覆い被さっている、そんなイメージがある。
なんでだろう? 沸き上がる感情はどこか擽ったい。でも、押し潰されてしまいそうになる程重たい、のし掛かってくる暗闇によって、それらは私まで届かない。
夜勤が明けて桜並木を少し歩く。今日は休みだけど、それでも、「死と隣り合わせ」、という感覚が、私を不安にさせる。愛しい人達を更に愛おしくさせる。身近な人達の死に、今の私は耐えられそうにない。なんだか限界が来ている。桜を見ている。もう、一番を越えた頃の、私の知らない赤を含んだ桜を見ながら、こんな事になるなんて思わなかった。真剣に転職を考え始める程に私は追い詰められてしまった。あぁ、看護師辞めて何をしようか? このままじゃ壊れてしまいそうだけど、このまま辞めてしまったら、私の何かが壊れてしまうのはわかっていた。
「あの桜が散ったら」、なんて映画みたいな事考えては真剣に強風が吹いて、何かの意志で仕事を辞める事を選びたかった。
そんな他人任せの横暴な考えは、本当に突風を呼び、私の背中を押しては、桜の花びらを吹き飛ばした。
瞬間、私は桜が散ってしまう事を、強く、猛烈に拒絶した。こんな大切な決断を誰かにされて堪るものか。そして、走馬灯の様な物を観た。
私を救ってくれた、『恋人』、『友人』、『同僚』、『上司』、そして、
『「私を救ってくれていた患者さん達」』。
それぞれとの「大切な想い出達」が、瞳に灯り、脳裏を目まぐるしく廻る。
涙が溢れた。これだ。お腹の底で感じていた擽ったい感覚の正体は、私がこの仕事と向き合ってきて、死と隣り合わせで生活してきて、それでも尚、心の奥から沸き上がり続けたこの感情は、今まで何気なく見過ごしていた向き合ってきた感情の奥底にあったものは、私を救ってくれていた皆や患者さん達への、
『感謝』だった。
心の縺れは取れて、重たい感情は吹き飛んだ。春の風が、心の奥底から沸き上がるこの感情が、ただただあたたかい。
桜には、新芽が芽吹いていた。
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