『慟哭の残響』 : 1
ーーEveryday...I listen to my heart...ひとりじゃ..ない..
バラバラと音を立てて雨粒が土を打つ。木立を満たす雨音に、ひそやかな囁きが交わった。
ーーいつま…でも歌うわ…あなたの…ために…
クルクルと透明なビニール傘を回し、彼女はすんと鼻を鳴らした。濡れた木々の香りがするかと思いきや、案外ビニールの匂いが強い。買ったばかりの傘はまだまだ匂いが抜けないようだ。
足元の砂利道はそこかしこが水に沈んでいる。防水性のブーツが頼もしくしぶきを飛ばすのを眺めながら、彼女は視線を前へ向けた。
「こっちで合ってるのかなあ?『令和市』って」
人通りがないんだけど、これ、いいのかな。呟く彼女に応えるように、葉っぱがひらりと傘に降りた。
「らっしゃいらっしゃいこんにちは!どーもまいど、見てらっしゃい!!オススメはこのサボテン煎餅だよ!!おひとつ百円、さあ買った買った!!」
「、、えー、、と??」
パーンパーンと手を叩いて、カウンター越しに跳ね回る一体のサボテン。動き回るサボテンという新事実に彼女はポカンと口を開けた。やっとこさ着いた市役所で、開口一番職員が商売を始めたことにも頭がついていかない。呆然と立ち尽くしていると、サボテンの後ろから誰かがスパンと頭を叩いた。
「何を遊んでいるのですか。きちんとご相談に乗ってくださいよサボテンさん」
「あいよすまねえついついよ」
クールな表情のハムスターはバインダー片手にサボテンをたしなめる。フォーマルな衣服を着こなすハムスターの登場に、彼女は虚ろな眼差しを宙へ飛ばした。相談するならこのハムスターさんがいいかなあ、なんて心の隅っこで考える。
サボテンは棒立ちの少女に向き直ると、改めてにっこり笑いかけた。
「こんにちは、はじめまして。ようこそ令和市へ!移住をご希望でよろしいですか?こちらへ記入をどうぞ!!」
「あ、はい。えと、あのでも数日だけ滞在予定なんですけど」
差し出された『移住届』とペンを受け取りつつ、彼女は慌てて弁解する。サボテンはぶんぶんとふくよかな腕を左右に振った。
「永住だろうが2日だろうが2時間だろうが関係ないよ!ここに来たらもう令和市民だからね」
「え、ええ?極端すぎない?緩すぎない?」
「そういうもんだよ。ね、ハムさん」
「そうですね」
そ、そっかあ。曖昧に相槌を打つ彼女に、サボテンはウンウンと頷いて紙とペンを突っついた。勢いに押されるまま彼女は記入し始める。が、すぐ手を止めることとなった。
「あ、あの。えっと、サボテンさん?」
「なになに?どした?」
「これ、あの。名前のとこ、『偽名も匿名もなんでもいいよ』って書いてあるんですけど、」
「うん。呼ばれたい名前書いていいよ。名無しでもいいし、今の気分で。だいしょぶ、いつでも変えていいから」
「え、ええ??いいの??」
「いいんだよ。ね、ハムさん」
「はい、そういうものです」
サボテンの傍で相槌を打つハムスターはクールなしっかり者かと思っていたけれど、それは違ったのかもしれない。彼女は戸惑いながらも記入する。サボテンはにっこり笑った。
「うん、ソラミズ カメさんね。よろしくね!」
「あ、いえ。ソラミ カメって読むんです、これ」
「おけおけ。カメミズカメさんはどんなとこに住みたい?」
「いえだから、ソラミです!!カメでサンドはしてません!!」
「あ、サンドならこのヒレカツサバサンドがオススメだよ。アクセントのレモンがね」
「サンドイッチの話はしてません!」
彼女、空水カメが全力でツッコミを入れる。サボテンは何がそんなに楽しいのだか、大口でうひゃうひゃ言いつつ両手を叩き跳ね回った。ハムスターは無視して書面を見ている。
「ご希望の暮らし方やお住いの嗜好をお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか」
「あ、えと、でもわたし、ほんとに数日の滞在で」
「おまかせコースをご希望ですか?」
「え?あ、はい、じゃあそれで」
「かしこまりました。それでは『家具付きシェアハウス朝食バイキングセット暇人付属ゆるゆるコース』に致します。お家賃は毎日980円分のスマイルで」
「え、家具と朝食付けてくれるの…て何!?980円分のスマイルって何!?何でちょっとおトク感を狙ったの!?ていうか暇人って何!?何でそこセットにしたの!?」
「カメちゃんこれから仲良くしようね!!」
「わあ意外とやわらかい…じゃなくて!!」
カウンターを越えて飛びついてきたサボテンをとっさに受け止める。もちもちの弾力とほわほわなぬくもり、ほどよくツボを押すトゲの感触に束の間癒やされたカメはすぐさま全力抗議した。うひゃひゃと笑うサボテンは植木鉢をフリフリ振っている。ハムスターは頷きながらカタカタとパソコンを操り手続きを始めていた。
〈雨は降り続いている〉
「ここがカメちゃんのおうちだよ!」
「うわあ!すごーい!!」
『どうせ暇してるなら彼女を案内してください』とハムスターに蹴り出…頼まれたサボテンに着いていく。ざあざあと降りしきる雨なんて全く気にならないくらい、サボテンは道端の花や店について話してくれた。
駅から歩いて20分ほどすると、椿や山茶花などの庭木が出迎える一軒家にたどり着く。住宅街の中にぽつんと建つこの家は3階建てでかなり大きく、外観も落ち着いていて彼女の好みにぴったりだった。
あんな適当なオススメプランでこんないいとこ紹介してもらえるなんて!とカメは目を輝かせて眺める。サラサラと風にそよぐ庭木に、にっこり微笑んだ。彼女の荷物を抱えるサボテンは、にこにことそんな様子を見守っていた。
「さあさ、中に入って見てみようよ。きっと気に入るよ」
「うん!入る入る!!」
きゃっきゃと二人(一人と一匹?)で門をくぐって石畳を歩いて玄関前で鍵を開ける。
靴を脱いで上がると、前を跳ねるサボテンに従ってダイニングに入った。
入口のあたりでカメは足を止める。サボテンが「よっ」と片手を上げた。
「みてみてー、新種のキノコだよ!」
「おお、すごいねサボテン」
『それもすごいが、それよりも説明が必要じゃないか?』
ダイニングはオープンキッチンと合わせて大変広々とした空間だった。三人はゆうに座れるソファが二つ、ローテーブルを挟んで置いてあっても、まだまだ余裕がある。けれどもカメが目を丸くしたのは部屋の広さだけでなく、ソファに座る彼らのせいだった。
「えっ、と、」
「こんにちは、はじめまして」
『失礼した。はじめまして』
「はじめまして。えーと…」
ソファに鎮座する片方は、ごくごく普通の青年だ。茶髪がきれいだなあと思うくらい。もう片方は、二本の指を伸ばしてカップを持ち上げ茶菓子の芋けんぴをつまむ、身長1メートルほどのロボットだった。ウイイン、と微かな機動音がカメの耳に届いている。
湯呑みをローテーブルに置いた青年は振り返り、にこにことそのロボットを手で示した。
「こちらはふぃろさんだよ。離れ島に住んでる海賊の船長で、普段は島々を巡って探検や略だ…冒険してて、時々こうしてアバターを飛ばしてくれるんだ。今回は試験的にボディまで用意してくれた」
『茶がうまい。なかなか良い出来だな』
「あー、はあ。そうなんですねえ」
湯呑みをすすって満足げに頷くロボ、ふぃろさん。カメは曖昧に返事した。深く理解したりツッコんだりしちゃいけない気がしたのだ。どうぞよろしくおねがいします、とだけ言っておく。
続いて青年は人懐こい笑みを浮かべた。
「僕はにゅーろん。毎日令和市のあちこちを歩き回ったり、逆に一日中部屋にいたりするから、何か御用があればとりあえず僕に声かけてくれたらいいよ」
「あっ、なら、あなたが付属の暇人ね!」
「え?」『おお!!』
思わずカメが声を上げると、にゅーろんとふぃろは顔を見合わせた。
『驚いたな。一発でお前の暇人を言い当てるとは』
「いやそれよか、付属って何?」
「ハムのおすすめプランだよ!」
「いつの間にか僕の暇人が組み込まれてる!!」
抜け目がないさすがハムさん!!と叫ぶにゅーろんはきっとだいぶおおらかなんだろう。勝手にプランに付けられていても特に文句はないようだ。ますますこれからよろしくね、と笑いかけてくる。
「カメちゃんのその耳のやつ、カッコいいね。イヤホン?」
「え!?あ、いや、すみません!失礼しました!」
「いや、そんなことは気にしなくていいよ」
あっけらかんと返すにゅーろんに恐縮して「すみません」と繰り返しつつ、彼女は半分帽子に覆われた耳に触れた。そこには、取り付けられた小型の機械が覗いている。
「これ、医療都市で買った補聴器なんです。わたし、難聴の傾向があって。これを付けると、人間との会話がクリアにできるんです」
「へえ~!そんなオシャレなデザインのがあるんだね!」
「はい、医療都市では実用性と機械ならではのデザインへのこだわりが強くて。皆さんもぜひ一度行ってみてください。洗練された型は一見の価値がありますよ」
「それはいいね。今んとこふぃろさんはロボロボしいロボだからなあ」
『洗練された形か なるほど参考になるだろうな』
ボディ開発を進めているふぃろの関心も引いたようだ。早速医療都市について検索を開始した彼の向かいでにゅーろんは立ち上がった。ふぃろの隣に腰掛け向かいの空いたソファを手で示す。
「立ち話もなんだし座ろうよ。ごめんね、今日は僕しかいなくてさ。明日には他の面子と顔を合わせる機会もあるだろうから。」
「お気遣いありがとうございます。でもわたし、ほんと数日だけ滞在予定なので。あまり気にしなくて大丈夫ですよ」
それに回りたいところもありますから、と言うと、にゅーろんは喜んで案内するよ、といたずらっぽく片目をつむった。ふぃろはこんなどしゃ降りの中出掛ける気か、と呆れ気味である。ちなみにサボテンは芋けんぴに夢中だ。一本ずつポリポリ食べるのに夢中だ。
「どこ行きたいの?」
「令和市記憶記念館です。令和市の辿った歴史がそこに展示されていると伺いました」
「ああ、なるほどね」
観光名所だね、と笑ったにゅーろんに、ふぃろの片目がパチリと光を灯らせた。カメは微笑んだまま頷いてみせる。
「わたしの目的のひとつでもあるんです。令和市記憶記念館を見にいくことは」
「おっけ。行こうか。電車の乗り換えとか案内するよ」
『俺はここにいる。端末で連絡をしてくれ』
「ではわたしはここまでで!またね、カメ!」
「またね」
短時間でテーブル上の芋けんぴを食べ切り、お土産の芋けんぴを持たされたサボテンはぶんぶん手を振りながら帰っていった。そういえば鍵とか部屋はどこなのかとか何も説明されていない。まあこの二人のどちらかにあとで聞くことと決める。
カメはサボテンが置いていった荷物を部屋の隅に寄せ、レインポンチョ片手に出て行くにゅーろんの後についていった。
2021/09/19
新規移住者
氏名:空水カメ(そらみ かめ)
住所:令和市片田舎区本町駅前三丁目八番地 ル・ヴェルソー205号室
プラン:家具付きシェアハウス朝食バイキングセット暇人付属ゆるゆるコース
顔写真(任意):
備考:
(本人記入)
職業ジャーナリスト。前代未聞の崩壊危機を免れた令和市について取材するため来訪。一週間の滞在を予定している。
好物はたこ焼きとりんご飴