Scene 5: 行動
他力本願寺を出た海石は、幾分すっきりとした胸に手を当てていた。ふう、と深い息を吐き出す。
「ありがとう、にゅーろん。いろいろと付き合ってくれて」
「ん、いいよ。僕は暇人だからさ、令和市のあちこちに顔出してるし。頭よくないかわりに一緒に動くことはできるんだ」
にゅーろんは車にもたれて軽く微笑む。海石もつられてはにかみ、ありがとう、と頷いた。
「にゅーろんが暇人でよかった」
「はは、僕も感謝してる」
それに、と言いかけたにゅーろんは話を止めてポケットに手を突っ込んだ。スマホを取り出し、タッタと軽くタップする。それから顔を曇らせた。
「え、なにこれ」
「ん?」
令和市みらいの文化センターのオープンチャットで、海石にメンションがきていた。誰だろうか。スマホから届いたメッセージを見て海石も固まった。ひゅ、と喉が鳴る。
桜海老『海石、さっきはごめんな。肩は大丈夫だったか?お詫びを兼ねて、来週末みらいの文化センターのメンバーで集まってバーベキューしようぜ』
続けて手を合わせて『ごめんね!』と謝るサボテンのスタンプと、『私だってたまにはミスをするのです』と真顔のハムスターのスタンプとが送られている。
震える手で返事を打ち込んだ。
海石『肩って、なんのことだ?お前には、今日会ってない。今日はずっとにゅーろんとあちこち行ってたんだ。』
桜海老『えっ?』
彼は会社勤めで日々忙しく、たまの夜に海石と語る時間を持つくらいだ。ふぃろ島のオープンチャットで行われていた会話なんかも読み飛ばしていたに違いない。海石は個人的に会話できるよう、メッセンジャーで話しかけた。
海石『桜海老。さっき俺を見たって?』
桜海老『ああ。ぶつかってしまって、謝ったらお前の声がしてさ。つい肩掴んじまったんだ。そしたら、お前、びっくりして、そのまま走ってしまってよ。すげえこえー顔しててさ、いきなり悪いことしたなあって』
「…。」
びっくりした顔。こえー顔。海石はスマホを握って黙り込む。
じっと考え出した海石を眺め、にゅーろんはスマホをいじり始めた。
「よし」
小さく呟いた彼に、にゅーろんはおもむろにスマホをポケットに突っ込む。
「決めた?どうするか」
「ああ」
頷く。
「ドッペルゲンガーのことは、もう気にしない」
「へえ」
面白がるように目を細め、にゅーろんは腕を組む。
「死ぬかもしれなくても?自分と同じ顔がそこここをうろちょろしてても?」
「うん。おれだったらって、考えたんだ。ドッペルゲンガーがおれなら、ほっといてほしいと思うはずだ。それに、死ぬかもしれないなんて、生きてればみんなそうだ。いつ死ぬか、何で死ぬかなんて誰にもわからない。どう対策したって、どうしようもないこともある。じたばたするのはやめるよ」
「ふうん」
「おれは令和市民として、これからも生きていく。死ぬかもしれなくたって、いや、死ぬかもしれないからこそ。おれはおれを生きる。今、おれがやりたいように生きて、死ぬよ」
それが、おれが令和市に来て、学んだ生き方だ。
海石ははればれとした表情でそう告げる。にゅーろんは小さく笑った。
「ーーなるほどね」
にゅーろんはひとつ、頷く。スマホを取り出して何かいじると、ポケットに入れて車から体を離した。ちゃり、と鍵を鳴らす。
「帰ろうか。駅まで送るよ」
「ありがとう」
海石はにっこりと笑った。
「ーーーよっしゃ、これで心置きなく魔都設計プロジェクトに参加できる!!おれ、色々やりたかったんだ〜。やっぱ魔っぽく蜘蛛だろ毒だろ魔術だろ、自動機械人間やゴリゴリのロボット作ってもいいし、街並みもほかと違って歩くと花火飛んだり扉の仕掛けミスるとファイヤーボールとか雷とか」
「あはっ、いいねえ。市役所メンバーのリアクションが目に浮かぶよ」
抱えていた重荷を下ろした海石は嬉々として喋り出す。ずっとうずうずしていたのだろう、今にもスマホを片手に設計図を描き出しそうだ。にゅーろんはくすくす笑って海石をプロジェクトチームへ招待する。
「ようこそ魔都振興研究所へ。ハムスターのためにも、お手柔らかにね」 「ありがとう!!思いっ切りやるさ!!」
なんてったって、令和市は市民の『やりたい』をみんなで動かしていくところだから。やりたいな、はじゃあやろうぜ、に転がっていくところだから。
いつだって、飛び込んでみれば面白がって迎え入れられる。
令和市は、そういうところだ。
助手席に乗り込んでシートベルトを締めた海石は、早速魔都振興研究所チームで共有されているドキュメントを熟読し始めている。こりゃあ百人力だと笑って、にゅーろんはアクセルを踏んだ。
「忘れ物ない?前みたいにスマホ置きっぱとかやめてよ」 「大丈夫、ちゃんと持ってる。にゅーろん、今日はほんとにありがとう」 「うん。じゃあ、また会おう」
令和学研都市(桶狭間橋)駅前のロータリーで、車を降りた海石はポケットをぽんぽん叩いて確認する。にゅーろんは片手を振ると、滑るように車を発進させてみるみる遠ざかっていった。
海石もくるりと背を向けて、人混みの中をさくさくと歩いていく。相変わらずこの駅は賑わっている。乗り換えも便利だし街も栄えているし、海石もこの街を訪れるのが楽しみだった。
スマホをかざして改札を抜け、最寄り駅に向かう電車を調べながらホームを歩く。待機列に並んでちらりと電子掲示板を見上げた。
18時44分。帰宅する頃には腹ぺこになっているだろう。今日の夕飯はタコライスを作ろうか。近所のスーパーもそろそろセールをしているだろう。いいものが安くなっているといい。
『速報です』
混雑しながらも穏やかな時間に、無機質な声が鋭く切り込む。駅の掲示板にパッと映像が映り、ニュースが流れた。そこに移る光景に、ホームにいた人々は息を呑む。
「緊急速報。令和市公民館が爆破。付近の市民は速やかに避難開始。緊急速報。令和市公民館が爆破。付近の市民は速やかにーーー」
公民館が、燃えていた。