Scene 3: 沈潜
どうすることもできない。
あの日からずっと、にゅーろんと共にあちこち歩き回っている。が、手掛かりを得ることも、もちろんご本人と対面することもできなかった。
「サボテンなら何か知ってるかも。会ってみようよ」
「ここんとこ魔都設計に熱中してたけど、今も市役所にいるのか?」
「行ってみよう」
木造一軒家を改築、増築、サボテンの趣味と市民の意見をふんだんに取り入れた市役所は、一見するとただの魔改造忍者屋敷にしか見えない。しかし扉の上に大きく「令和市公民館」と書いてあるため、初めて来る人々も迷うことなくおののきながら入っていく。
ちょうど帰ってきていたところだったのか、カウンターでぱたぱたと書類を片付けるサボテンに声をかけた。
「ドッペルゲンガーですか?」
サボテンはくりくりした瞳で海石の顔を見つめる。にゅいんと片手が動いて白紙に何かを書き始めた。
「いいですね。魔都に追加しましょうか」
「ああいや、そういう相談じゃなくて。つか頼むからやめてくれ」
「おやおや?」
海石のげんなりした顔にきょとんとする。手を止めたサボテンににゅーろんが代わって説明した。
「…ってことなんだよ。僕らも色々探ってるんだけど、わかんなくてさ。サボテン、なんか知らない?海石さんのドッペルゲンガーが引っ越してきたとか」
サボテンはう〜〜ん?と首(と言えそうなあたり)を五十度ぐらい曲げてみせる。それから両腕をふりゃふりゃと振って笑った。
「あはは、いやいや〜。そんなことあったら、その方には真っ先に海石さんのところへご挨拶に行っていただきますよ。」
「え、やっぱサボテンの仕業か!?」
「えっ?ごめん、なんて?」
「だから、っ、また意識飛んでたのか!?」
「まあ、みんなポンコツですからね。わたし筆頭にね(笑)」
「認めるんじゃない!!」
「はは」
苦笑するにゅーろんは首を振って、海石の肩を叩いて促す。この反応からして、今回の件に関してはサボテンの管轄外ということだろう。がっくり肩を落とした海石は「魔都市開発楽しんで」と言いおいて背を向けた。
「ほい、いってらっしゃ~い」
サボテンは元気いっぱい手を振っていた。
「令和市民大学行ってみる?あそこの図書館なら何か文献あるかも」
「…そうだな。文献というか、何か知っていそうな人が構内にいるとありがたいんだけどな」
「どうだろうねえ。今日は誰がどこにいるんだか」
市役所を出た後、にゅーろんが車を走らせ令和市民大学へと移動する。市役所から大学へは電車や徒歩ではそこまで近くはないが、車で行けばすぐのところだった。
「ほい、着いた着いた」
「ありがとう」
車を降りた海石は、大学を見上げて目を細めた。いつ見ても圧巻の建物である。空を映す窓が美しい。だが驚くべきは、建物の中だ。外から見れば普通の建物だというのに、ひと度足を踏み入れるとーー。
「行くよ〜海石さん」
「あっ、おう」
先を行くにゅーろんが入口の前で海石を見ている。入口付近に立つガードマンがにっこりと笑って敬礼してくれた。何かと寄ることの多い海石の顔を覚えていてくれているのかもしれない。
ウイーンと音を立てて開いた自動ドアを通り抜けるにゅーろん。海石も続こうとし、
「あっ、海石さん!そこ落とし穴!」
「はっ!?」
スコン、と抜けた床に硬直する。動かした足はもう戻せない。落ちる、と思った瞬間、地下からシャボン玉が怒涛の勢いで押し寄せてきた。
「うわわわわ!!?」
「海石さーん!!!」
ボコボコボコと溢れるシャボン玉に掬われて体が宙へ浮かび天井を(パカンと開いた)突き抜け飛んでいく。小さくなるにゅーろんを見下してから、海石はふうと息をついた。
(まあ、いいか)
毎度のことながら、全身で体験を経験するこの大学の仕掛けには驚かされる。しかもこれで相手を選んで細かく設定を変更しているというのだから、設計者はとんだ天才な馬鹿である。そしてそれを導入する学長も。
無数のシャボン玉は、案外しっかりした安定感と、包み込まれる安心感がある。体の力を抜いた海石はしばしの空中散歩を楽しんだ。
あいにくというかなんというか、本日の大学ではどこもかしこも様々な講義が白熱していた。大学の活動が活発なのはいいが、乱入して相談するには適していない。図書館でめぼしい文献を漁ったのち、二人は目新しい収穫のないまま大学を出た。
大学の側にある庭園付きの大食堂で遅めの昼飯を食べながら、にゅーろんはじっと海石を観察している。
海石はしょんぼりと小さくなってカレーをつついていた。落ち込んでいる要因として、ドッペルゲンガーという存在の情報の少なさや、探しているもうひとりの海石に関する情報がほとんどないこともあるだろうが。何より、ドッペルゲンガーを題材とした物語のほとんどが、主人公が死ぬバッドエンドだったことも関係するだろう。
にゅーろんは温かいお茶をぐいっと飲み干し、湯呑を置くと大きく頷く。
「こうなったら、あそこ行こう」
「あそこ?」
「とっておきだよ」
にっ、と笑ってにゅーろんは伝票を掴み立ち上がった。
にゅーろんが走らせる車の窓を開け、頬杖をついて海石は過ぎ行く景色を眺める。どこへ向かっているのだか、ずいぶん長く走っていた。
建物のほとんどない、のどかな景色だったのが、だんだん遠くに高層ビルの影が見えてくる。都会に近づいていた。
にゅーろんはひょいと大きな道路から脇道へ入り、曲がりくねった道を走り出した。ぐねぐねとした山道を登っていくハンドルさばきはたいしたものである。
そうしてようやく、ひとつの建物が姿を表した。
「他力本願寺?」
「そうそう」
目を白黒させる海石を振り返り、ニヤリと笑う。
「海石は引っ越してきて間もないもんねえ。ここは知る人ぞ知る駆け込み寺だよ」
「へえ」
海石はてきとうな相槌を打ちつつ寺を見上げる。言っちゃ悪いが、ボロボロだ。にゅーろんに案内されなければ、廃寺だと思って通り過ぎていたことだろう。大都会に近づく途中でこんなところがあるとは知らなかった。
軽快な足取りで階段を登っていくにゅーろんについていく。頂上では、蔦の広がる茅葺き屋根がひっそりと待ち受けていた。
門をくぐり、石の敷かれた境内を歩く。きょろきょろ周りを見回したにゅーろんはあ、と声をあげ、木々が茂る左側へ進む。枝葉に隠されるようにして細い道が続いていた。少し進むと、木々に囲われていた空間が急に開ける。
「いたいた」
「?何が…。あ、」
開けた場所には先客がいた。松の下に寄り添うようにして埋まる大きな岩の上。紺の着物がひらひらと風に吹かれ揺れている。岩に腰掛け、煙管をくゆらすおっさんがいた。
おっさんの視線の先を見た海石ははっと息を呑んだ。
「おーいおっちゃーん!」
全く構わず手を振るにゅーろんに、おっさんが振り返った。二人の姿に目を留め、煙管を下ろす。
「ようお参りです」
にこりと笑み、一礼した。
令和市の姿に目を奪われていた海石も、彼の声にはっと我に返る。住職の方か、と慌ててぺこりと頭を下げた。
「はじめまして、おじゃまします。あの、ここにお住まいの方ですか?」
もしそうなら、ひと声かけておかなくてはならない。もしかすると私的な庭の範囲にずかずか踏み込んでしまうかもしれないからだ。いや、もう立ち入りすぎてしまったか?
恐縮する海石に対して、おっさんはぷぷっと吹き出してみせた。
「ははは、いやあ。こんなボロ寺、住めるところじゃござらんよ」
からからと笑う気前のよさにびっくりする。にゅーろんは隣で苦笑していた。
「それよか、お参りはされてこられましたかな」
「あ、はい。あ、いえ、これからです」
「僕は他力を奉納しに。」
「さようですか」
何を奉納するって?聞いたことのないワードに海石の頭ははてなでいっぱいになる。にゅーろんがなぜか何も説明してくれないので、おっさんに伺うような視線を送った。おっさんはそれを受けると、煙管をくわえる。ふう、と煙を吐き出した。
「このお寺っちゅーのはね。己の力だけで生きにゃーと、いろんなもんをしょいこむ方が。ちょいと駆け込むとこなんですわ」
ゆるりと微笑み、おっさんは慈しむように朽ちかけたお堂を眺める。
「他力の力を信じてみなされ。きっとあなたの力になる」
海石はよく分からないまま頷いた。
勝手知ったるにゅーろんがガラガラと引き戸を引いて中に入る。海石はなんとなくぺこりと頭を下げてから、おそるおそる足を踏み入れた。
「え、」
息を呑んで目を瞠る。にゅーろんが振り返って海石の手を掴み、ニッコリ笑った。
「大丈夫だよ、海石さん。大丈夫。」
お堂の中に入った瞬間、視界から色が消えていた。目の前のにゅーろんも、自分の手も、畳も、木の柱もすべてが白黒。色彩が失われたことで、はっきりしていたはずの境界線が曖昧になる。映し出される世界はあまりにも頼りなかった。握られた手が温かい。
手を引かれながら、海石は慎重に、慎重に前へと歩を進める。小さなお堂の中に仏像はない。代わりにあるのは『他力本願』と記された掛け軸だけだ。
にゅーろんは掛け軸の前に正座すると、目を閉じ胸をトントンと叩いて手を差し伸べる。それから手を合わせた。海石は戸惑いながら彼の隣に腰を下ろし、手を合わせて目を閉じる。
(ええーっと…。)
おっさんの眼差しが脳裏をよぎる。
(ドッペルゲンガーとか、死ぬかもだとか、わけわからん出来事がうまく収まりますように)
ふー、と深く息をつく。にゅーろんは海石が立ち上がると、顔を上げて手を差し出す。海石はその手を掴んで引き上げた。
「ありがとうございました」
門のところでお礼を述べると、おっさんはにっこりと、嬉しそうに笑った。
「いえいえ。こちらこそ、はるばるお越しくださって、ありがとうございます。またいつでもお越し下さい」
それからおっさんは煙管を袂に戻し、すっと手を合わせ穏やかに目を閉じる。
「ここに集まる他力が、海石さんの助けとなりますように。いついかなる状況でも、海石さんが他力を求める心を忘れませぬように。他力本願、他力本願。」
なむ、と頭を下げる。丁重に頭を垂れるおっさんの姿勢は、境内に溶け込むように美しい。海石は思わず見惚れていた。