Scene 7: 転機
海石は駅を出ると、無言で歩いた。てくてくと歩く彼の後ろで、『海石』は右に左にぶつかり合い逃げ惑う人々をのんびり眺めている。
「すげえ騒ぎだこと。で、どこで話す?このへんのカフェは無理そうだ」
「あそこにしよう」
海石が指差した方向を見て、ドッペルゲンガーは楽しそうに肩を揺らす。
「なるほどね。たしかに、あそこなら話の途中で崩れることもないし、人もいないな。」
いいな、そこにしよう、と頷くのを見て海石は再び背を向けて歩く。目指すは駅近くにある展望台。高層ビルほどにも育った巨大な楠を利用した見晴らし台は、令和市を眺めるにもってこいだ。海石はそこを対話の舞台に選択した。
互いの体力のなさをバカにつつ、ヒイヒイ言いながら長い階段を登りきる。ちなみに二人共、登るための第二の選択肢であるはしごは断固として拒否した。
頂上へ到達した海石は、眺望台に出るなりはっと息を呑んだ。ドッペルゲンガー『海石』は柵に腰掛け平然と景色を眺める。
「あ〜らら。だいぶ、崩れてきてんなあ」
「そん、な、」
建物も、道路も、オブジェも、空さえも。
あるべきかたちを保てず、崩壊の魔の手に侵食されている。遠くでは山が削られ、炎や煙が燻っていた。うかうかしてるとここも崩れてきちまうな、と『海石』はのたまった。
海石はぐっ、とせり上がるものを呑み込む。そして表情を取り繕い、柵上に座る彼の隣で一望した。『海石』はお、と目の上に手をかざして身を乗り出す。
「あっちの方には海が見えるぜ」
「へえ。あ、海賊島、見えるかな」
「そりゃ遠すぎるんじゃ…おっ、しさく島が浮いてやがる。ん?あそこに無事な建物があんな…ひょっとしてゆかりの部屋か?しぶといな」
「あそこは頑丈だよ」
海石は口元をほころばせて胸を張った。自信満々なその態度に『海石』はわざとらしく唇を尖らせ、つまらなそうにそっぽを向いた。そんな彼に、海石は穏やかに問いかける。
「なあ、ドッペルゲンガーの『おれ』。お前は何者なんだ?」
「おれ、だろ?」
「そうか?
本当に、そうか?」
「なーんだよその言い方は。生まれてからどんな暮らししてきたか、ここで何食って何して生きてたか、趣味は何か、イチから全部話せば納得してくれるのか?」
面倒くさそうながらも、『海石』は要求されればそれに応えるつもりのようだ。景色に背を向け海石に体を向ける。己の膝に頬杖をついて顔を向けた彼に向かって、海石は静かに問いかけた。
「なら、聞くけどさ。おれは、これまで何回お前に殺されたんだ?」
この展望台からは、何回お前に落とされた?
幼なじみと一緒に懐かしい思い出を振り返るような、あたたかい記憶を取り出すような、そんな緩やかさを伴う調子で投げられた問いに対し、『海石』はからりと笑ってみせた。
「そんなの、数えきれねえよ。」
海石は苦笑した。
「やっぱり、そうか」
「ああ。ここ以外にも、色々なところで落ちてったからな。うっかり落ちたことも、俺が落としたこともある」
ほんとに、色々だったよ。と言って、『海石』は大きなあくびをした。
「縁ってのは、ほんの小さな交わりだ。ほんのちょっとのすれ違いで、砂粒みたいな積み重ねで、ちょっとずつ未来がずれてくんだよ」
ま、お前、いつも死ぬけどな。告げる姿は悲しみも喜びもなく、黙り込む海石の前でだらしなく座っている。
「でも、なんでお前がそれに気付いたんだ?記憶でもあんのか?」
「いや。ただ、ふぃろさんに『ドッペルゲンガーの正体は未来に紛れ込んだお前だ』って言われた時、なんとなく…既視感があった。『ああ、まただ』って」海石は展望台に突き出るごつごつしたはしごを撫でた。「でも、」と続ける。
「でも、何回もおれはお前と会って死んでるはずなのに、今おれは生きてる。同じ崩壊寸前を繰り返してるってことか?
繰り返すってことは、未来に進めないってことは、生き残る、が正解なのか?
おれが生き残るまで、正解のルートに進むまで、令和市は未来に進めないのか?」
「正解?正解があんのか?」
「ないか」
「ないな」
お互いうんうんと頷き合う。ぴゅうぴゅうと風が吹く。『海石』は輪郭を歪め道路に巻き込まれながら沈む商店街を見下し、呟くように海石の疑問に答えた。
「未来に進まないんじゃない。その先がないんだよ。令和市が滅亡すれば、空間は消えて時間は消える。もう、ない」
「‥なら」
「ただ」
『海石』は振り返る。カチリと視線が組み合わさった。
「"お前"の選択はRETRYじゃない。LOOPだ」
海石は目を見開く。
キインと耳が痛む
ぐにゃりと手元のはしごが歪んだ。
彼は淡々と語を連ね る
お前は何度も繰り返している
同じ時を繰り返している
同じ崩壊の末路を辿っている
同じ選択を最後にしている
『令和市よ、もう一度』
お前は何度も試している
令和市を守らんと
お前がRETRYを選択する限り
お前は納得するまでお前の行為を選び直し続けることになる
お前のLOOPは終わらない
お前のLOOPは断たれない
長い沈黙
遠くで信号が鳴っ ている
Ceased One、お前が選べ
この選択で
終わらせるのか終わらせないのか
彼は唸る 木目を睨んで考え込む
ぷつり
音が一瞬途切れる
彼は力をふりしぼり ことばを押し出した
わかったよ
お前の中には
無数の嘆きがある
無数の悲しみがある
令和市の死に納得できなかった
おれの死が
令和市民として生きていく中で
納得できなかったこと
消化不良の気持ちが
たくさんあるんだ
おれはまだ生ききってない
吐き出すような 滲むような
懇願にも似た声音が零 れ る
それで死んでいった
おれたちが
繰り返される時間の中で
思いをたくさん溜めていったんだ
彼は揺れる木の枝を見つめる
相槌のようにさざめく枝葉を
声なき声を挙げる木の葉を
彼は伝わるものを受け取った
彼は彼に向き直 る
今気づいたおれは
今を生きてるこのおれは
たくさんの
おれの想いを消化しないといけない
かすれるような 絞り出すような声は
徐々に力を帯 びていく
瞳 に光が灯る
芯が透 る
おれはすべてのおれの思いをひっさげて
この先に進む
意志を籠めた
確かな響きが告げる
「LOOPは終了する。
これが最後のRETRYだ」
海石は、はっきりと言い切った。
「それがお前の選択か。」吐息をつきつつ、『海石』は呟く。少しだけ 力を抜 いたよう に眉を下 げ、笑っ た。
「ならいいよ。
また 会おうな」
海石に は解っ た。その言 葉は、もう会 うことはな いからこ そ放た れた言 葉 と。
柵の上 が傾 ぐ。
支 の い宙 へ と 重 のま に 体 が吸 込まれ 。
落ちる。落ちる。落ちる。
『海石』は
そら に消 え