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Scene 8: 機縁

高所の風は身を裂くように吹き抜ける。

ぱたぱたと服の袖がはためいた。

沈みゆく空の色が目にしみる。

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「どう、して」

声が震える。驚愕を表す瞳は小刻みに揺れ動いた。
彼はぐしゃ、と顔を歪める。

「何で、そんなことするんだよ…
 馬鹿がッ!!
 今すぐーー今すぐ、その手をはなせ!!」

『海石』は そらに消えかけ
 海石に腕を掴まれた。

海石は歯を食いしばり、右手で『海石』の左腕を掴んでいる。右半身は完全に外にせり出し、左手と左半身が辛うじて木の柵に引っかかっていた。

楠がざわざわと葉を揺らす。
海石は手に力を込めた。

『海石』は怒鳴る。ぶらぶらと宙ぶらりんな足が風に煽られる。

「馬鹿野郎が!!手をはなせ!!」
「嫌だ」
「舐めてんのか!?お前が今ここで死ねば、どうなると思ってる!!さっきのお前の、命がけの選択が惜しくねえのか!!?今の、生きてるこのお前の思いを無駄にするな!!」
「だったら、尚更はなさねえよ、ばーか!」
「ああ!?」

目を三角にする『海石』に向けて、海石は思いの丈をぶつけてやる。

「さっきのおれの選択が、命がけだって知ってんなら!!あの重みを知ってんなら、わかるだろ!!尚更手なんかはなせねえ!!」「なっ、んで、」
「孤独に沈む死は、もう終わりだ!!!」

『海石』は限界まで目を見開く。
海石は泣きそうだった。こみ上げる涙を懸命に抑え、のどを震わせ怒鳴り返してやった。

「おれはもう、誰も悲しませたくねえんだよ!誰もひとりにしたくねえんだよ!!
ずっとずっと、独り死んでった"おれ"がいるのに、それに気付いたのに、今目の前でひとり消えかけてる"おれ"が今目の前にいるのに、手を伸ばせば届いたのに
今更手えはなせるわけ、ねえだろうが!!」

バカヤロー!!と叫ぶ海石はやけくそだった。あれだけ済ました面をさらしていたあの『海石』が、ポカーンと口を開けて呆けているアホ面をさらしているのだからガッツポーズぐらいしてやってもほんとはいい。ほんとは遠慮なく笑い飛ばしてやりたい。が、正直無理だ。己の体重を片手で支えるなんて、一般人の彼には難しい。火事場の馬鹿力とはよく言うが、海石は『海石』を掴むだけでフルスロットル状態だった。とても、持ち上げられそうにない。

ずる、すると、片手が滑る。はっと気付いた『海石』が片手を伸ばして海石の手を払おうとするより先に、海石は左手を柵から離して両手で彼の体を掴んだ。

なっ、と抗議を上げる彼は暴れて離れようとするが遅い。海石は無理やりその身体を自分のほうに引き寄せた。乗り出しすぎた身の重みに片足では耐えきれまい。生まれたての子鹿のように震えている。

海石は焦燥を浮かべる『海石』に対し、朗らかな口調で問いかけた。

「こういう時ってさ、どうすりゃいいと思う?」
「心中しようって時の話か?」
「いや、八方手詰まりの時」
怪訝な顔つきをする『海石』は推測できないようだ。己の思考回路を辿るだけの話なのに。
海石はニヤリと笑いかけ、正解を告げた。

「他力本願。おれらじゃもうどーしようもないから、こりゃもー他力本願だ。」

他力の力を信じようぜ。
自信満々に、いっそ清々しく言い切るその姿に、『海石』は呆れたような、それでいて眩しそうな、ゆらめく眼差しをよぎらせた。

それでも、ややあって、ふと苦笑いする。

「それがお前が学んだことか」
「そうそう、一緒に唱えようぜ。せーの、他力本願、他力本が…あ、」

ずるり。
柵に絡めて踏ん張っていた足首が滑る。力尽きた足首は柵にかからず空を切る。二人は宙に投げ出された。

「あ〜」

海石は『海石』を抱きしめ、身を丸めた。

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『まだだよ、海石さん!!』

ーー海石のポケットから、にゅーろんの声が響き渡った。

落ちゆく二人の頭上に影がよぎる。

「ほいほいまいど!!
サボテンフライだよ!!」
「カラッと揚がりそうですね」

のんきな声と堅苦しい声が降った、と思った瞬間、何かにばふっと埋もれる感覚。世界がぐるんと回転し、次に気付いた時には二人まとめて柔らかな羽毛の上に乗っていた。

海石は瞬きを繰り返し、ゆっくりと身を起こす。自分が乗るものを見下ろす。

「ジェット…飛来鳥、隊」
「お困りの方はお声がけを!市民の方を守ります。どうもどうも、サボテンです!」
「海石さん、こんばんは」

返事のつもりでピエー、と鳴くのは伸びやかに羽を広げるジェット飛来鳥隊隊長だ。サボテンが羽の上でぴこぴこ踊り、ハムスターが隊長の首元に収まり慣れた手付きで隊長に指示を出している。

海石はふにゃ、と笑みを浮かべ、自分に押しつぶされた『海石』を抱き起こした。

「ほら、『おれ』。生きてるぞ。これが他力本願だ」
「マジモンの他力本願じゃねえか…」
「あっはっは!おっさんすげえわ」

青い顔の『海石』は完全に脱力しており、海石に対して文句を言う気力もないようだ。大人しく座っている。ハムスターもサボテンも同じ人間が二人いるこの現状を疑問におもわないのか、どちらの海石にも大した反応をしなかった。

代わりにサボテンが誇らしげに胸を張っている。そり返らんばかりに嬉しさをアピールしている。

「これで最後の市民救助ですよ!
 今のところ死者ゼロですからね!」
「え、すげえ。全然ポンコツじゃないな、サボテン!!すげえ!!」
「ありがとうございます」

ハムスターが綺麗に会釈してみせる。

「海石さんがスマホをオンにしてくださったおかげで、今回の救助は間に合いました」
「…。スマホ?」
『えっ?』

素っ頓狂な声がポケットから上がる。

『嘘でしょ?まさか海石さん、単純にウッカリスマホを切り忘れてたの?敢えて僕らに聞かせてたわけじゃないの?』
「・・・」

海石はおそるおそるポケットに手を伸ばす。引っ張り出して、悲鳴を上げた。

「やべえ!!残り3パーだ!!むしろよくまだ生きてたな!?」
『うっわーやっば』
『海石らしいといえばらしいのか』
『めちゃくちゃ慌ててたもんなあ』
『ウッカリさんですねえ』

にゅーろん以外にもいるのか、同じ音質で次々に声が重なっている。顔を引きつらせる海石に構わず、ふぃろが落ち着きはらった声で尋ねた。

『それで、海石。これからどうする気だ?何も言わなければ、職員達はお前らを避難所に案内するぞ』
「いや、おれは避難所には生きません」

慌てて海石はハムスターを止める。ハムスターは隊長を撫でて移動を止め、ホバリングしながら海石を振り返った。

「どちらへ向かいますか?」
「みらいの文化センター方面へ。みらいの文化センターは、もとより現在からみらいを探るところ。時間が入り乱れることに慣れてる場所だから、この崩壊にも最後まで耐えうるはずだ。それに、みらいの文化センター裏手には、ほとんど放置されてる丘がある。丘のふもとはわりと平らで、面積もあったはず」

海石がつらつらと考えつつ述べるなり、スマホ越しににゅーろんがあはっと声を弾ませた。

『そういうことか!わかったよ、海石さん。必要な物は文化センターにだいたいあるし、こっちで準備して待ってるね』

「あ、あるのか?」

『あるよ〜、なんたって文化センターだもん、お風呂も台所も楽器もね!白衣に緋袴に千早にと、巫女装束は足先までバッチリ!!ああでも、これから料理を即興で作らなきゃね!あとまだ文化センターで粘ってた市民のみんなを集めてくるよ』

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『にゅーろん??何言ってんだオメー?』
『ふぃろさん、解説して?』
『あーと。つまり、宴の準備をすればいいんだろ』
『宴え?』

「そうともさ」

海石はニヤリと笑みを刻む。『海石』は戸惑いを浮かべていたが、口をつぐんで会話を見守っている。ハムスターがなるほどそういうことですか、と呟く隣で、サボテンが「わっしょいわっしょい!!」と両手をふりふりリズミカルに跳ねていた。ちなみにここは遥か上空の鳥の上である。

「これからお祭りをするんだよ。生者も死者ももてなすために。生者も死者も楽しむために。もてなして、楽しんで、ーー死者が、ゆくべきところへ行けるように。」

『海石』は真顔で海石を見つめる。海石はその視線を受け止めた。『海石』は息をつき、視線を外す。

「そういうわけだから、演奏できる人いるかな?そっちに」
『いるよ〜。まいまいさんはピアノできるし、他にも色々』

ハイッ、と力いっぱいサボテンが挙手する。

「わたしはベストな曲を見つけます!」
「いや、ありがとう、サボテン」

海石は首をふる。

「サボテンは、ほかの市民と一緒に料理を食べて、楽しんでほしい」
「?わかりました!得意ですよ」
「ハムスターもね」
「そうですか」
「クソ野郎ちゃんは…。」

海石はふと考え込む。

「クソ野郎ちゃんには、頼みがあるんだ。いいかな?」
『びっくりするくらい、すべての人がひと夏の思い出って感じ、ひと夏の楽しい思い出がいるよ。』
「ありがとう、よろしく。」

「では、行き先はみらいの文化センターへ!!隊長さん、よろしく〜!!」

ジェット飛来鳥隊隊長は雷のように日の沈んだ空を切った。



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