My ソウルペアレンツ
私は現代では、アーティストの役割はかつての聖職者に近いと思います。
聖職者と言っても色々ですが、例えば小鳥たちへ福音を伝えた、アシジの聖フランチェスコ
正月に杖の先にドクロを掲げ「ご用心!ご用心!」と叫びながら通りを練り歩いた一休宗純
インドのミーラは、女王の身でありながら通りに出て狂ったように踊り始め、激怒した王に城を追い出されますがそれでも踊りをやめませんでした。
このような人たちが、現代に生きていたら間違いなく宗教の道ではなくアーティストへの道を歩んでいたはずです。
今回お話しする、私が長年ソウルペアレンツと慕っている二人はアーティストですが、同時に宗教によらない宗教性を体現している稀有な人達です。
逆に江戸時代あたりにこの二人がいたら、きっと宗教の開祖くらいにはなっていたかも知れません。。。。。
私が彼らに初めて会ったのは、会社員を辞めてリサイクルショップの店員として働いていた頃でした。
そのお店は建物の2階にあって、やってくるお客さんはエスカレーターに乗って上がってくるのですが、彼ら二人~一見ちょっと派手な格好をした初老の夫婦~が上がって来たときに、私はカウンターの中から眺めていたのですが、なんだかすごく『光って』見えました。
「これは何かタダ者ではないな!」
と感じて、
「ちょっと接客してきまーす!」
と同僚に声をかけて家具コーナーへ向かった二人のあとを追いかけて行きました。
「こんにちは~!いらっしゃいませ~!家具をお探しですか?ところでお二人はすごくカッコいいですね!いったい何をしている人たちなんですか?」
普段ならお客さんに絶体こんなこと聞きませんが、あまりにも『光って』見えるので思わずこう聞いてしまいました。
二人は笑いながら、自分達が前衛音楽のミュージシャンで、お店から一駅ほど離れた二人の家では、ときどきお客さんを集めてミュージシャンが集まってフリージャズのセッションをしている、と話してくれました。
駆け出しのタップダンサーでもあった私はミュージシャンとのセッションの経験を積みたかったので、
「僕は実はタップダンサーなんですが、僕もそのセッションに交ざって一緒にやってみたいです!」
と伝えると、
「いいけど、ウチは客もミュージシャンも耳が肥えてるからね~、覚悟して来なよ!」
と言われて、その言葉にビビってセッションに参加するのは半年くらい後になってしまったのですが、
これがきっかけで、この二人~O夫妻~も店に来るたびに声をかけてくれるようになり、私もしばしば二人の家を訪ねて、ときには夕飯をご馳走になったりする仲になっていきました。
二人と知り合って、しばらくすると、段々この二人が、今までの自分が知ってる人達のカテゴリーには収まらない、とんでもない人達だということが分かってきました。
O夫妻が音楽を始めたのはパンクロックが原点だったそうで、おそらく日本で一番最初にパンクを始めたのはO夫妻だそうです。
「当時はライヴの後に犬の首輪に5寸釘を打ち付けたアクセサリーなんか売ってね~。
これが良く売れて儲かったよ」
などと、笑いながら話してくれました。
しかしだんだん世の中にパンクロックが浸透してくると二人は更に先へ進みたくなり、パンクをやめて、
「日本の伝統へ回帰しよう」
と、オリジナルの神楽を作って、日本中の過疎になった地域で失われた祭りを復活させて回りました。
「そういう地方の人達って元気が無くなっているからね。
私たちがお祭りしに行って、人も集めてパ~~って意識を非日常の世界に上げてあげると凄く元気が出て喜ぶのよ。
ただ、やり始めた当時は上げっぱなしになっちゃって意識を日常に戻してあげる方法を知らなかったのね。
なかなか日常の意識に戻れない人が出てきちゃって、今はそんなこと無いですけどね」
と、奥さんのS子さんが当時のことを笑いながら言ってました。
しかし、日本中で土建屋が高速道路や橋やトンネルやダムを作っていた時代、地方では開発の名のもと建設予定地にあった神社や寺は壊され、また過疎になった地域では跡取りが途絶えて、やはりいくつもの神社や寺が無くなってました。
「そうするとね、私たちの事を聞いた村の人たちが、
『あんたたち頼むから神様をもらってくれないか』
って潰れた神社の御神体を持って来るようになったんだよ」
O夫妻の家にはいくつもの大小様々な石や、古い銅鏡のようなもの、遺跡の欠片?のようなものが置いてあるのですが、それらは全て御神体なのです。
「新しい神様もらって来るとね、もとからうちに居た神様が怒ってウチの中を御神体が飛び回ることがあるんだよ。
そういうときは、
『この神様も、あんたたちと同じでどこにも行くところが無いんだ!どうか一緒にこの家に居させてくれないか!』
って一生懸命説得するの。
そうすると、神様も許してくれて飛び回るのやめてくれるんだよね」
こんな、にわかには信じられないような話をさらりとしてくれた事もあります。
集まってきたたくさんの神様1つ1つに、O夫妻は毎日、祝詞を捧げ大切に世話をしています。
そうなると、1日の大半を神様のためにとられてしまうのですが
「みんな神様だからね。大事にしてやらないと」
と言って、決して手を抜くことはありません。
「だからね僕ら仕事らしい仕事をしたことは無いんだけど、お金にも食べ物にも困った事が1度も無いんだよね。必要なときに宣伝しなくてもライヴやってお金入ってきて、食べ物も誰かがたくさんくれるから、うちは食べ物はいつもたくさんあって余ってるの。」
「神様もここが無くなったら行くところが無いから、きっと必死になって守ってくれてんだろうね~」
と笑いながら言ってました。
2年ほど前、パートナーを連れて久しぶりに訪ねたとき、O夫妻は私たち二人だけのために
「ハレルヤ」
というオリジナル曲を目の前で演奏してくれました。
元々パンクロック出身の二人ですから、演奏技術を完全に否定したような、フリージャズの極地のような、演奏。
けど、ときに
『神がかり』
と演奏を聞いた人に言わせるプレイは健在でした。
演奏が終わって、私もパートナーも涙が溢れて、止まりませんでした。
「僕たちね、最近、新しいステージに入ったんだよ」
お二人の年齢はすでに70歳代後半を越えてますが、いまだにこんなことを言うのです。
古来の部族のエルダー(長老)というのは、おそらくこんな感じだったのではないでしょうか?
年齢を重ねることでますますその魂の美しさが磨かれていく素晴らしさを、身をもって教えてくれる二人のような人を私は他に知りません。
今回の最後に、数年前私が都心から遠く離れた地方に独り移住した頃、二人から届いた、『ライヴのお知らせ』の最後に書いてあった、勇気をもらった言葉を載せて終わりたいと思います。
『お金もない、地位も、若さも、名誉もない、仕事すらない二人が、最高に幸せなところをお見せします!』
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