30代でスキルゼロから取材ライターに 「好きを仕事に」できた再出発ストーリー
「ああ、また仕事続かなかった」
人生で何度目かわからない、退職の日。私はため息をついた。
「やっぱり私は社会不適合者なんだろうか……」
ゼロどころかマイナスになった感覚だった。
…………
ここから私は浮上して、現在はライターとしてなんとかご飯を食べられるまでになっている。その軌跡を書いていこうと思う。
仕事を辞めて、ライター講座に飛び込んだ
「さて、これからどうしようか」
パワハラ社長のワンマン経営に嫌気が差し、後先考えずに会社を辞めた。
「やっぱり私は組織で働くのは向いていないし、なににも縛られず自由でいたい」
そう思った私は、身につけられるスキルはないか考えた。
「そういえば、私文章書くの好きだったな」
SNSに投稿した記事などで、文章を褒められることはあった。
そこで、検索してみると「Webライター」という仕事があるらしい。いろいろ見漁っていく中で、オンラインスクールを見つけた。先生にも好感が持てて「この人から学びたい」と思った。
しかし、無職の私にとって高額の受講料。
迷った。
「でも、私に残された道はこれしかない」
そんな崖っぷちに立たされている気分だった私は、「えいや!」と申し込みボタンを押した。
はじめての仕事は1記事50円の激安案件
スクールでは文章についてだけではなく、マーケティングやブランディング、ライティング案件の獲得方法など幅広く教えてもらった。毎回、講義の情報量が半端なく、はじめて聞く言葉だらけで、必死にくらいつく。
スクールも後半に入り、実際に仕事として文章を書くことにも挑戦しはじめた。
最初の案件は「初心者歓迎!」のうたい文句に誘われた、20記事1,000円というもの。
1記事50円だ。
こんなに苦労して、時間をかけて書いても、最低賃金以下の値段にしかならない事実に絶望した。
でも、私はここで諦めるわけにはいかなかった。スクールに大金を注ぎ込んでいるのだ。
「元を取るまでは絶対に諦めない」
半ば、意地に近かったと思う。
激安案件に疲弊して、好きだったはずの文章を書くのも全然楽しくなかった。
それでも、私は「これを乗り越えれば、輝かしい実績を持つ先輩たちのようになれる」と信じて、文章を書き続けた。
SEO記事が嫌になり、取材ライターに振り切る
嫌になりながらも続けていくうちに、「私はSEOライティングが向いていないのかもしれない」と気づいた。
「リサーチをネット上だけで行うSEO記事よりも、直接人にインタビューして、その内容をもとに書く方が楽しいんじゃないだろうか?」
そう思いはじめた矢先、所属していたライターコミュニティで「取材・インタビュー」に関する講座が開かれた。
講座を聞いてますます取材に興味を持った私は、教えてもらったことを実践し、無事に案件を獲得。最初の仕事は、飲食店の取材だった。
最初はもちろん緊張した。
でも、もともと人の話を聞くことが好きだった私は、質問を重ねるうちに「相手のことをもっと知りたい」という気持ちがどんどん出てきて、心から取材を楽しんでいた。
執筆をするのも、SEO記事より格段に楽しかった。
「私は取材ライターが向いているのかもしれない」
取材ライティングの魅力と自分の適正に気づいてから、徐々に取材の仕事を増やしていき、単価も少しずつ上がっていった。
今では、取材・インタビューのお仕事だけに絞っている。
好きなことを続けるために
私の人生を変えたもの。
それは間違いなく、ライティング講座に飛び込んだことだ。
組織で働くのが苦手で、転職を繰り返し、ろくに知識も経験も積み重ねてこなかった私が、やっと見つけた自分の「好き」と「得意」なこと。
「書く」仕事の中でも、特に「取材・インタビュー」を見つけたこと。
仕事をやめたときの私には想像できなかったことが実現している。
「書くこと」が私に新たな可能性を与えてくれた。
そして、次に目指していることがある。
それは「取材の仕事でインドに行くこと」。
インドが大好きな私。「インドに関わる仕事がしたい」という気持ちはずっと前からあった。だから、インドの雑貨を売ってみたり、ヨガを教えてみたり、いろいろ試しては挫折してきた過去がある。
けれど、今は「取材ライティング」という武器を得た。今後はこの武器を使って、インド関連の仕事をクリエイトしていくことに挑戦したい。
好きなことをやり続けるために、私はこれからも書き続ける。