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豪日記「BIWAのなる家」

私が住んでいたシェアハウスのオーナーは、フィルという初老の男だった。フィルの家は、人よりも獣っぽいにおいがした。猫を飼っているせいかと思ったが、この家の主であるフィル自身からも獣臭が漂っていたし、家の周りには砂埃にまみれたガラクタのようなものがたくさん、でも大事そうに置いてありそれはまるであちこちから拾ってきたオモチャを拾っては溜め込んでいる犬小屋のようだった。
綿あめのようにふわふわした髪の毛には時々クモの巣やペンキがついていて、「なんかついてるよ」と教えてもさほど気にしていない様子が、彼をより獣っぽく思わせた。

初めてこの家に来たとき、彼は家の前に生えている木を指さして
「ビワ」と言った。
「ビワ?」と私は聞き返した。
日本語でこの実のことをビワと言うだろ?と言われ、初めて私はビワだ!と気がついた。

彼は親日家だった。
敷地内には新しい家と古い家があり、彼は私に「アタラシイ、キレイ」「フルイ、ヤスイ」と時折日本語を混ぜて説明してくれた。
新しい家の裏庭に出て、餌を出して口笛を吹くと、マグパイという白黒のカラスのような鳥が飛んできた。
後に私が友達を家に連れていくたびに彼は裏庭に呼びマグパイの餌やりを見せていた。
私の姉が日本から遊びに来たときもだ。
この裏庭が、彼のとっておきのおもてなしらしかった。

私は古い方の家の部屋に、Yちゃんという女の子とルームシェアをすることにしたのだが、家賃を払いに行くたびフィルは私なのかYなのかどっちだ?と冗談か本気かわからない顔で確認した。
そういえば古い家に住んでいる人を説明してくれたときにインド人が二人、中国人が二人と言ったが実際にはスリランカ人とモルディブ人、台湾人と香港人だったし、失礼だなぁと思ったけど彼にとってはあまり重要なことではなかったんだろう。

そして古い家は本当に古くてボロだった。
玄関のドアは立て付けが悪くて風の強い日はパカパカ開いたし(今思えば防犯上よろしくない)トイレの水は外に貯めてある雨水を汲んできて自分で補充してから流さないといけなくて、「おしゃれな外国暮らし」とは到底かけ離れたものだった。

ある日ピチピチのミニスカートにロングヘアー、メイクばっちりのギャル風の女の子が二人、下見に来たことがあった。日本人だった。
おそらく二人でルームシェアを考えていてフィルの家をガムツリー(オーストラリアの賃貸や仕事の情報などを見つけられるサイト)で見つけ、街から近い割に家賃が安いことに惹かれて下見に来たのだろう。
オンボロの台所に入った瞬間、彼女たちはゴキブリを見るような目で顔をしかめた。実際この台所はよくゴキブリが出た。フィルがまた片言の日本語を織り交ぜて色々説明をしていたが、彼女たちはもう充分だというように目配せをしていた。私のことも「日本人だよ」と紹介してくれたが、彼女たちはゴキブリを見るような目で「どうも…」と言った。なんとも気まずい空気だった。

彼女達が出ていったあと、別の部屋に住んでた香港人のハウスメイトが笑って言った。
「あの子達は絶対ここに住まない」

結局あの二人は、ビワもマグパイも見ることもなく、二度と会うこともなかった。

ハッキリ言って、この家に住みつく人は変わっている。ものすごく個性的で、ワイルドで、良い人もいれば悪い人もいるけど、面白い。ミーハーで、外見や世間体を重視する人はこの家に住まない。
私にとってこの家がやけに住み心地が良かったのはそういうことだと思う。

フィルは月に一度、インターナショナルパーティーなるものを開いた。
それぞれ自分の国の料理をワンプレート用意して持ち寄るのだ。そして食事の途中で変な帽子を皆に被せ、スキヤキソングをバンジョーで演奏し、最後にアイスクリームを皆にごちそうしてくれる。お決まりのパーティーだ。

フィルには一回りほど若いパートナーがいた。ひょろっとしたフィルに対してふくよかな彼女は、笑い声が低くて図太かった。 魔女の宅急便のオソノさんみたいな豪快な笑い方をする人だった。なぜ結婚しないのかはわからなかったが、オーストラリアでは事実婚はそんなに珍しくもないし、フィルにとって夫婦であるかパートナーであるかは、インド人かモルディブ人かってくらいどっちでも良いことなんだろう。
二人がソファーにくっついて座ってテレビをゲラゲラ笑いながら見ていたのが、今でも私の中にある幸せのシンボルになっている。

自分が満たされるなるために必要なものを、私はこの家で教えてもらった。

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