夫婦の姓について思うこと。
Twitterで見かけたこの記事を読んで、「選択的夫婦別姓」について、もやもやしていたことがあった
この記事では、男性が
「普通の結婚」
「俺のことを愛していて、結婚したいと思っている」
「部下がいるから、名字を変えるのは部下になめられる」
といことばを発している。
ここに感じていた違和感が何なのかがすっと落ちる感じがした。
というのも、最近同じように結婚した私、夫姓を名乗ることにしたため、ちまちま銀行口座や会社の手続きをしていたところだが、私達はどちらも「自分の名字にこだわりがなく、周囲(親など)にも強制されなかった」というなんとも幸運なケースで、夫には「どちらの姓にする?」と聞かれたくらいだった。
evernoteに「氏名変更手続き関連」メモを作成(とても便利だった)し、1つ1つ作業していくと、たしかに面倒ではあるものの、「夫が私の名字を名乗ることになったら、同じことを夫にやってもらうだけなんだよなぁ」とも思っていた。
そこでこの記事を読んだとき、ふっと思ったことが、
①氏が変わることによる不便さ
②それを当然のように女性がかぶる文化
という2つの問題があり、それをまぜこぜにしているから、ややこしいのでは?という思いだった。
私がツイッターに「パスポートの氏名変更のために、6,000円高くない?」とつぶやくと、既婚の友人から「わかる〜!なんで女だけって思うよね!」というコメントが付いたりするが、これは②の課題。
上の記事でも、仕事のことも触れられているけれど、メインで問題視されているのは②の課題なのかな、と思うところだ。
手続き不便だから、押し付けられるのがむかつくのであって、かといってふたりともその不便さを被るべきだ!というのも不幸を生む考えだし…と思ったときに、氏が変わっても特に不便じゃなければどっちかに揃えてもいいか?という問いに変えて聞いてみたら、もう少しフラットな見方もできるのでは、とも思ったりした。
ようは、「いろんな手続き面倒」=「別姓認めろ」というのはやや短絡的すぎるように感じるのだ。
もちろん、フリーランスで仕事している人や、名前が仕事になっている人、家柄など、名字にこだわる人もいるのは承知している、そもそも別姓論に反対するつもりもない。
ただ、日本の戸籍制度では、現行筆頭者と違う名字については認められておらず、また、「戸籍によって一体感を感じる」みたいな時代錯誤な考え方も捨てるべきとは感じるものの、相続や遺産、ローン、保険などあらゆることが「血縁」に基づいて動いている中、この制度をひっくり返すのは当然簡単なことではないなとも感じるところである。
多様な生き方が認知される中、選択的夫婦別姓については、概ね賛成できるとも思いつつ、「どちらかの姓にするかを話し合いで決めることができる」「氏が変更になっても、不便なことがない、少ない」という未来を別方向から目指すことで、解決できた多くの問題もあるのではないか、と思うところだ。
ちなみに私自身は、先に書いた「パスポート氏名変更のための印紙代6,000円」が納得できず、(当面海外にも行けないので)まだ、それだけがevernoteに残ったままになっている。