Xデザイン学校ビギナーコース#7
※↑に注釈を書いたものの、色々あって投稿がかなり遅くなって
しまった。
録画を見直してのリフレクションです。
ナラティブは雑味が含まれる
今回のワークでアクティビティシナリオとインタラクションシナリオを作った。発表したシナリオに対してアドバイス頂いた、「雑味があるといい」。このリフレクションを書くまでの2週間、アドバイスもらった時のことを頻繁に思い出した。
ユーザはもっとドロドロしている。色んな感情が混じっている。シナリオを書くときに、「あーそうそう!」「そういうことあるよね、わかるわかる」
と、わかるように書いてみてはどうかとのこと。
そのシナリオの前段でどんな情景かをユーザの気持ちも含めて説明すると、それを書いたら良いと言っていただいた。雑味を捉えられていたのかもしれないが、言葉に落とすことに距離があったと気付いた。
UXの世界でシナリオはナラティブだと講義冒頭であったが、見事に自分という語り手による一方通行のストーリーを書いてしまっていた。
そして、この例がなるほどなと思った。
俳句とは写生。その俳句を詠んだ人が状況を思い浮かべられるように書くこと。書き手が一方的に状況を映すことではない。ナラティブも同じ。
(プレバトを見る目が変わりそう)
ストーリーを飛ばすと情報が雑になる
考えてきたサービスを一つ一つのシーンに落としていくと、各自が思い描いていたことが違ったり、解像度が低かったりと判明した。
ユーザの気持ちがサービスによって良い方向に変化するのってどこだっけ?どう変化するんだっけ?
シーンは色々あるけど、そこが肝だよね?
と明らかにしていくうえでも有効だと思った。
時代やデバイスが変わっても、人の本質的欲求は変わらない
時間が経って講義録画を見直していると疑問が湧いてきた。
なんでアクティブシナリオ、インタラクションシナリオ、どっちも必要なんだ?
ちゃんと講義で答えてくれていた。美味しいものを食べたいとした時に、調べるデバイスは瓦版から新聞、PC、スマホへ変わってきた。それでも誰かが勧めているものは安心できるとか、流行っているものが好きとか、とかとか欲求は変わってないないのだと思った。
何をしたいのか定性的なもの、数えられないものを捉えていきたい。