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【映画レビュー】『悪は存在しない』は「悪」は存在しないが、「罰」は存在する

※この記事は、『悪は存在しない』の新たな視点からの作品解釈です

領域と罰

本作では、当初悪だと思われていた芸能会社の高橋や黛も、実は社員として指示を受けていただけであることや、黒幕的な社長やコンサルも、コロナ禍の不況から抜け出すために、それぞれの立場を全うしているだけであり、タイトル通りに「悪」は存在しないことがわかります。

ただし、本作で「自然」と「社会」という領域が明確に設定されていて、それぞれの領域に属する登場人物たちが、その領域を横断・侵犯しようとする際に、その結果として、何らかの「罰」を受けるという絶対的なルールが実は描かれているのです。

つまり、『悪は存在しない』では「悪」は存在しないが、「罰」は存在する。ということです。

衝撃的なラストを理解するためには、「領域」と「罰」という二つのキーワードが重要となっています。

領域と登場人物の分類

本作の登場人物たちを、どの領域に属しているのかを分類すると以下のようになります。

・完全な自然の領域:鹿
・ほぼ自然の領域:花
・自然と社会の領域:巧、猟師
・ほぼ社会の領域:住民、黛
・完全な社会の領域:社長、コンサル、高橋

領域横断と生じる結果

それぞれの領域に属している人物が、別の領域に侵入しようとすると、以下の罰が結果として現れる。領域横断の度合いによって、罰の強度も変わります。

・鹿:「完全な自然の領域」から「自然と社会の領域」への2段階横断
   →猟師に狩られる

・黛:「ほぼ社会の領域」から「自然と社会の領域」へ1段階横断
   →棘で手を怪我する

・高橋:「完全な社会の領域」から「完全な自然の領域」へ4段階横断
   →巧にチョークスリープされる

・花:「ほぼ自然の領域」から、「完全な自然の領域」へ1段階横断
   →鹿に襲われ、脳震盪

・巧:「自然と社会の領域」に属し、自然と社会のバランサーとして存在する
   →バランスを崩す高橋を絞め落とす

つまり、1段階の横断ではイエローカードのように警告をうけ、2段階以上の領域横断ではレッドカードを受け、罰として処分(死)を受けるということです。

ラストでの生死

この領域横断の理論に従うと、ラストでの高橋と花の生死がわかるようになります。

高橋は完全に社会に染まった状態から、自然での生活に興味を抱き、最終的には鹿の水飲み場という自然の聖域に踏み入れる2段階以上の領域横断をしてしまったため、バランサーの巧によって絞め落とされてしまいます。

もともと完全な社会の領域にいた彼が、真逆の領域に急激に近づいた結果、死という罰が与えられたのでしょう。

次に花ですが、元々、地元住民よりも自然に近い存在であったものの、鹿の水飲み場へ1段階の領域横断を行ったため、手負いの鹿に襲われ脳震盪を起こした状態で、巧らに発見されます。

しかし、1段階の横断であるため、あくまで警告であり、彼女は死んではいないと考えられます。

まとめ

この作品では、それぞれ違う領域に属する人物が描かれていますが、彼らが対峙しているのは自然でも、社会でもないのです。

彼らは「他領域を侵犯すると罰が下される」というシステム自体と対峙しており、主人公はそのバランスを保つために、黙々と仕事を続けるのです。

鑑賞日:
5/10 Bunkamura ル・シネマ
12/23 早稲田松竹




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