見出し画像

怠慢だろうか?

スーパーで売ってる水がなくなるとか、食料品や生活消耗品の買い占めとか、そういうのって本当に嫌い。
そのこと(買い占められて、必要なものが買えなくなること)自体が嫌いなのではなくて、そういう、買い占めをする人たち、まして「買っておいたほうがいいよ、備えておいたほうがいいよ」とか言ってくる人、本当にうんざりする。

買い占める、買い溜めるその自己中心的というべきか、そういう人間の嫌な部分が見えるような気がして、またあるいは生きることへの執着というか、「何が起こっても自分だけは、自分たちだけは、」みたいな、そんなものないのかもしれないけれど、なんとなくそんなものを感じ取ってしまう。

そもそも、それほど、生きたいと思えることが、すごい。

よく自分で、「何のために生きているんだろう?」とか「何のための人生だろう?」とか考えることがる。
最近の、これらに対しての腑に落ちる考えは、
死ぬときに、それまでの「生きててよかった」と思えるタイミングや瞬間の数が、「死んだほうがマシだ」と思うタイミングや瞬間の数よりも多ければ、それが私の生きていた意味(今の私の生きる意味)になるのでは?という考えだ。
それっぽい、大それた目標や意味を掲げるよりもよっぽどしっくりくる。
きっとそんなもんだと思う

まだ生きていたいと思う理由って、私が今死んだら、それをとても悲しむ人たちがいるから、それでしかないような気がする。(何か成し遂げたいことや、大きな目標、人生のゴール、とかそういうものを持って生きているひとは、もちろん素晴らしいと思う。)

なので、わたしひとりの人生だけを考えた場合、
明日死ぬかもよ?となっても、ああ良い人生だったな、と、今なら思える気がする、というか実際に思ってもいる。(命を大切に、とか、病気で生きたくても生きられない人がいるのに、とかそういうことはここではお門違いで、そういうことを話しているのではない。私だけの人生の話をしているから、それは私が私の価値観で決めていいものであるはず)

みんな、人生を素敵なものにしようとしすぎ
今までの記憶とか、これまでに抱いたフラジャイルな気持ちとか、温かい想いとか、そういうもので充分だと思う。怠慢だろうか?


いいなと思ったら応援しよう!