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日記:青緑に溺れたいとき

このサムネのような青緑、好きなんですよね。
明るい海の波の色。
溶けて消えたくなる色です。
暗い青緑も好きですが、今は明るめがマイブームです。

本文はちょっとだけ重くなっちゃったので、ご注意を。
今後のためにこのまま出しておきます。
また、書き始めから放置してた日数が結構あるので、書き足し部分との謎の温度差(違和感)が生じているかもしれませんので、そこもご容赦を。


無い色を渇望する

青緑、色彩心理学的には、クリエイティブな人が好む色だとか…。
ただ、皆が皆そうというわけでもなく、自由になりたい、休みたい、コミュニケーションがうまく行っていないなど不安定な時にも欲するらしく。
私の場合はそっちなんじゃないかな…と思います。

海や空に溶けて消えたい、というような渇望が結構あるもので。
希死念慮というより、人間の身体に入っているのが面倒くさいというか…
広い場所に行きたい、溶けて漂っていたい…というような感覚です。

ここ暫く、特定の明るい青緑がないと死ぬ…という精神状態に陥っており、海やそれ的な色の画像を見せて、なだめすかして落ち着かせてきました。

私は脳内で色や映像をイメージできないため、実際にその色をしている物がないと、欠乏状態を解消できないのが困りものです。

この…発作ですが、色々な色で時々起きるんですよね。
最近は青緑多めですが、
水色、青、黄緑、緑、オレンジ色、黄色、赤…その時によって違うし、
指定も様々です。そして範囲が狭い。
ジャストでこの色の!エネルギーが!ないと!死ぬ!!!
…という謎の渇望。
色彩の食い患いじゃないですが、何かそんなような感じの…。
石や音楽でも時々起こります。

今は妥協できる色のガラス製品(ダブレット)が手に入ったので、
それで一旦落ち着かせることができました。
上が綺麗なパライバカラーのガラスで、下がおそらく天然水晶。
人工石パライバとのたまっていたので、
ワンチャン、パライバベリルか…?でも価格的にはガラスだろうな…?
どうやって内包物の模様綺麗に入れてるんだろ、もしかしてアクリル樹脂…?と思って買ったら、普通に貼り合わせでした。
真横から見ると線や境目、色の違いが見えやすいのでわかります。
まぁ…人工…石…?です。
水晶に綺麗な色ガラスがついてると思えば、個人的にはアリです。
天然のトルマリンだ、と言って騙すのはダメですけどね。

この物欲というか色欲…いや色欲って書くと違いますね、
色彩欲…?何なのでしょうか。本当に。

ぱたっと短期間で収まる時もあれば、
延々とその色のことを考えている、という…
自分でもどうかと思うぐらい執着する時もあります。

音なら、こういう音楽が聴きたい!という気持ちが湧いたら、
最悪脳内再生すればいいので、そこまで困ったことはないのですが。

色や映像イメージは…現物が無いと本当にどうしようもないです。

小説を読んで、風景が思い浮かぶとか、
目を閉じて何かイメージするとそれが浮かんでくるとか、
一切出来ないので、それが出来る人は本当に羨ましいです。

誘導瞑想で綺麗なビーチにも草原にも行くことができない…
悲しきアファンタジア…TT

絵面がイメージできないというのは、
かなり損をしている気がするので、
どっか脳いじって回路の復元なり何なりして、
機能が使えるようになればいいのに…と思ったりはします。

断捨離の反動・強迫観念を振り払う

断捨離、まだ続けていますが、
体調崩したので一旦休止していました。

掃除、思った以上に反動も来るし凄いです。
メンタル面もケアしつつ挑んだのですが、
それでも変化を拒否する流れが。。結構強固でして。

捨てるのがひと段落(完遂はしてない)したあと、
再び、なんっかどんどんと散らかりだし。
ものが減っても散らかるってどういう事やねん?!と、頭を抱えました。

そして、
片付いてくると散らかしたくなる…のは、
掃除・断捨離を終わらせたくない?のかも…と;

終わらせて、自分の本心と向き合いたくない。
やりたいことに、気づきたくない。
本当にやりたいことを、やらせたくない。

そんな気持ちがあるのに気づきまして;
結構ね、対処してきたんですけどね、、、
まだ、居るみたいですね。防衛機制なナイトくん…。
何人いるんだ。いい加減にしてくれ。

精神的なところもどうにかしないとこれ以上やっても
「ぶり返す」だけかなと思ったり…もしまして。

それから
「時間が空いたなら何を差し置いてでも整理し続けなければ」
という強迫観念にとりつかれ始めたのもあり。

何よりも先に掃除をしなきゃ、終わらせなきゃ、ってなってきたので…
……この完璧主義はねー。
あかん。
これで前に潰れたので。止めないとと思って止めました。

適度にテキトーに生きないと死にます。

先延ばししすぎるのもいけませんが、
それしか見えなくなっちゃうというのは、いけません。

良い状態ならいいですが、嫌になってきたり飽きてきて、
もう嫌だなぁと思い始めても、
無理矢理やり遂げようとしてしまうのはねー…危険です。

死ぬより怖い走馬灯

断捨離で物をあれこれ見返していて思ったんですけど。
本当に、私は自分の人生を生きてこなかったんだな…というか。
歪だなぁと…反省しました。
というより、呆れた、の方が近いかもしれません。

次々出てくるものの中には、大した年月が経っていなくても、
完全に忘れ去っていたものも多く。

それらを見る度に、
何とも言えない嫌な…残念な気持ちになるというか。

色々な事を恐れて向き合わずに過ごしてきたこと、
自分がやりたいことはすぐ諦めて捨て去ってきたこと、
やりたくないことは自分が壊れても我慢し続けてきたこと、
自分の駄目さ、無責任さ、非情さ、無関心さ、
クズさ、有言不実行、計画力・継続力のなさ、嘘つきっぷり…

片付ければ片付けるほど、
スッキリもするけど、モヤモヤも増えていく。

浮き彫りになっていく空っぽさ。中途半端っぷり。

ほんと、、何も持ってないんだな…。
多少は積み上げてきた気がしてたけど、全くもって、
出だしで挫折しかしてないじゃん…
挑戦はしたみたいだけど、なーんも結実してない……

と、やや凹みました。

…私は死ぬのは怖くないんですが、
死んだ直後だか死ぬ直前だかに、
「人生の走馬灯」を見せられることが本当にあったら、
嫌だな、って思うのです。

聞くところによると、一瞬で人生を再度追体験するとか…。
そんなの……なんかもうそれが軽い罰というか……;
うっすら記憶してるだけで必要十分。
もう一度追体験というのは本当に無理です。
戻りたいあの頃、とか、何のカタルシスもないのですよ、私の人生。

…そんなに自分の人生を愛してないのか?!
少しはいいこともあっただろうに、何て贅沢な!?
と、言われそうですが、まぁ……やってみればわかります。
感謝や学びはありましたけど…。二度は勘弁。です。

別にいつ死んでもいいのですが、
走馬灯を見なきゃいけないなら、まだ死にたくない…;

こんなこと思っているような人間が、
過去の遺物を掘り起こし続けて、
正気を保っていられるわけもなく。

他の理由もありますが、成れ果てになっちゃう前に一旦引き上げました。

…ミジンコは既に人間性失ってるだろとか言わないでください。

大丈夫。
心はミジンコでも見た目は一応人間ですから。

…ん?

まぁいいか。

消したいパターンと自己イメージ

存在を忘れ去っていた割に、手に取ると心を削ってくる、、
数々の遺物と対峙してみて、思ったこと…。

私の過去の記憶がぶっ飛びがちなのは、
人生の大半が
「どうでもいい」ことばかりだった
から…かも。ということ。

「私のやりたいことじゃないから、どうでもいい」
「私はやらされているだけだから、どうでもいい」

だから、すぐ忘れる。

「私がやりたいことは、許されないだろうから、どうでもいい」

だから、すぐ忘れよう。

そして、何でもすぐ忘れるようになってしまった…。
という流れ。

大体において、何事も親や周囲への忖度ありき、だったので。

本心なんて、遠い昔にどこかへ仕舞ってしまった。
出てこようとする度に押し込めて、踏みつぶして、粉々にして。

ある時からもう少しちゃんと扱おうと思って、
向き合うようにしてきているのですが。

昔からちゃんと育ててきた人とは比べようもないぐらい、、
ボロカスで崩れやすいし小さいままです。
すぐどっか行っちゃうし。

昔の癖が出てしまって、これからは大事にするとか言いつつ叩き潰すことも結構あったので、なかなか信用されていないというか。…仕方ないです。

私は親が歓迎しないものばかりに興味を持っていたので、
繰り返し拒否・禁止されるうちに、
興味を持ったことは何であれ積極的に好きと思うことを諦めるようになり、
そのうち、興味が湧いてもすぐ自動的に消えて(消して)しまうようになりました。

それは社会人になってある程度の自由を得た後も続きました。

自分の興味関心の種火を消さないように大事にして、
自力で入門、入り口付近まで辿り着いても、
さてやるぞ、というところで物凄い抵抗、消去しようという自動プログラムが作動するのです。

親に言ったら嫌な顔されそうなものは特に。

急に嫌気がさす、興味がふっつり消えてしまう、
体調が悪くなる、絶望感に襲われる、何もしたくなくなる、
興味を持ったこと自体を忘れてしまう。
そして、結局続かない…。

長い時間をかけて徐々に矯正?して、(+ナイトくんワークも)
あからさまな反応は出ないようになってきましたけど。
まだ、若干そのモードが残っているので、
意識的でいないとうっかり発動します;


私が子供のころ興味を持った「いけない」ものとは。
ゲーム、TCG、武道、機械の組み立て、プログラミングなど…でした。

私は生物学的には女児だったわけで。
こういういかにも男児が好むようなものを、やりたいだとか欲しいだとか、あるいは興味があるとほのめかすだけでも、
親の顔が引き攣るわけです。

当然物品の購入も渋られるし、渋々買い与えてくれても、見学に行けても、
実際は乗り気じゃない親からは、
早く興味を失ってくれないかな、女の子なのに、
なんでこんなものに興味を、と…いう、心の声が。
聞こえてくるわけですよ。というか態度にも出てるし。

面倒だな。一時の気の迷いだろう。
こんなものに興味を持つなんて。
まだ興味があるの?まだ??まだ???
今度はあんなものに!?どうしてそうなの!?

(今は時代が違うけど、インターネッツとか全然普及してない頃なので、
プログラミングに興味があるとか言ったら、
しかも女児がそんな様子を見せたら、
まぁ将来有望~、ではなく、
うわぁ将来絶望~、という反応が返ってくるわけです。

う、う、うちの子、このままだと可愛いお嫁さんに成長できずに、
ゲームとパソコンのオタク?マニア??になっちゃうかも…!?
ヒィ…そんなの絶対ダメ!!そんなJavaとか書いてある本、
絶対手に取らないで…こっちに持ってこないで…!!…!(オェェ…)
みたいな??
よくわからんけどそういう感じの忌避感を思いっきり出されて牽制されたのを覚えてます…。
実際言われた言葉としては、
「あんたそんなの…読むつもりなの…?」
ぐらいですけど。
本屋で親の強く嫌がる気持ちを感じて、心が折れました。

本は…自分のお小遣いで結局買ったんですけど、
(買うものは許可とらないといけないから親に事前に見せた)
開くたびに思い出すんですよ。

応援されてない。嫌がられている。
色々試して出来るようになっても…喜ばれない。ということを。

その頃は親の評価と肯定が絶対の価値観で生きていたので、
これはキツイ訳です。

そしてお決まりの、消去プログラムが発動。。

あれ…本当に私はこれがやりたかったんだっけ?
興味があったんだっけ?
うーん、違う気がするな…。本当は興味なんか無かったのかも?
そうだ、気の迷いだったんだろう。
こんなもの全然好きじゃないし、もう知らない。
全然読みたくもないし、何でこんなもの買っちゃったんだろう。
つまんな。お金の無駄だったな。バカみたい。早く捨てて忘れよう…。 

と、無事に興味を失うというわけです。
この出来事自体、何年もあとのカウンセリングで色々辿って引きずり出すまで、完全に忘れてました。)

その後、少しずつ隠れて;ゲームを遊んだり、
許可を得られるものを探って、
大丈夫そうなものは表でも趣味としたり…してましたが。
基本的に何事も親の機嫌次第、許諾ありき。
親が乗り気ならいいものの、乗り気でなくなったらその瞬間から諦めて止めるなければいけないし、逆に私が飽きたりやっぱり嫌だと思っても、親が続けてほしいと望むのなら、好きでい続けなければならない。
何事にも私の感情・意志は関係ない。ってことで。

許されても、なんだか気が乗らない。
でも許してもらえたのだから、楽しいと思わなければならない。
好きな筈なのに息苦しい。…まぁまぁ辛い状態でしたw

…なぜ強く反発しなかったのかというと、ちょうど反抗期をやるべき時の頃、親自体の心が別件で傷つけられており、壊れそうだったからというのがあります。
今は、当時の私が、いかにも反抗期です!みたいに暴れ散らかしていた方が、親にとっても衝撃&早期の学びになったかもしれず、耐えたのは悪手だったのかなと…逆に悪いことしてしまったのかなと思ったりもします。
私自身もどう頑張っても健全な精神には育たなかったしね。

…と、いう、背景、、
頭で分かっていても、未だにやらかします。

気を付けていないと、熱意が冷めやすいというか。
興味を持っていたこと自体を、ふっと忘れてしまうのです。
ある日突然冷めて、見向きもしなくなる。
別に嫌いになるわけではなく、意識の外に追いやってしまう。
再発見すると、あれ?こんなのあったっけ?
確か、好きだったような?と…思い出せるのですが、
感情丸ごと消えているので、何も感じません。
それまで完全に忘れ去っているし。

熱量が大きい程、急に消えたりして…

普段は飽き性、と言って済ませていますし、
実際に飽きっぽさはありますが、
それとは別で、感情がぶつっと消えたり忘れたりしてしまう…のが。
ほんっと、厄介なんだよねぇ―――――!!!!

わらえないですぅ~~~www(TT)えへへへ…

自分で自分の動向が読めなくて困ります。

今こんだけ熱量があっても、
明日には感情がゼロになっているかもしれない。
あるいはふっと意識が逸れて、忘れてしまうかも。

いつまでこの気持ちを大事に出来ると思う? 
わからない。
この気持ちを育てても大丈夫か? 
だめかも。
また叩き潰されないだろうか? 
ありえる。
また叩き潰してしまわないだろうか? 
それもありえる。

そもそも、私の感情なのか??? 
……。

好き…かも…?ということに対して、
一生懸命こう…情熱?パッション?を呼び起こそうとしても、
火はつかないわ、燃えないわ、あんまり燃やすと逆に強い抵抗で即座に鎮火されるわで…なかなか続きません。
不完全燃焼どころじゃないです。不本意。

でも何に熱意を燃やしていたかも、ログや物品を残してないと一緒に忘れてしまうから、下手打つと、ただただ謎の空虚感に襲われるという…。
(なので最近は対策してます)

ほんっとね…。

自分がどういう精神構造してるのか見れば見るほど、
残念過ぎるというか…。
治そうとしても…。
外傷を手当てするような対応では足りず、
骨格や臓器を作り替えることが必要なレベルなので。

時機を逸したら余計に治しづらくなる。
若ければ若いほどいいし、年取れば取るほど手遅れ感がでてくる。

人間らしくなるために時間がかかってて泣きそう、
というか既に泣いてますが、ほんとにねー。
すぐには治りません。真人間への道が遠すぎる。

そもそもが普通の手当じゃないからさ。
さっきも書いたけど、
ヨシヨシ、辛かったね、とか言われて優しくハグされる程度のことでは、
もう治らないんですよ。バンドエイドじゃ足らないの。
時間をかけて歪んで育ち切ってしまった以上、
傷を塞ぐとか縫うとかじゃなくて、
自分のお腹を改めて掻っ捌いて、骨や臓器の位置や形を手動で整え直す、
何なら他のものと入れ替える…ような手術が必要なのです。
めんんんんどくさい。
もっとお手軽に治ってよ…と思うけど無理なんです。
塞げばいいような軽い傷じゃなくて、
本体の形そのものになっちゃってるから。(何度でも言う)

もういいや、別に、と諦めて、
そのまま生きることもできるんですけど。
私はもう少し健全な人間に近付いてから死にたいです。

で。
何が入っているんだか忘れ去っていた箱やら、引き出しの奥や、
なんやかやから、大事ではないから忘れていたもの、
大事だからこそ忘れていたもの、色々と出てきました。
それらを見て、

「やりたくないことばかり、やらされる」

「やりたいことは、やらせてもらえない」

「自分の意見や望みは、隠すか、早めに感情ごと消さなければいけない」

そういう感じで長らく生きてきたなぁ~、と、
つくづく。

だからまぁある程度の自由を手に出来るようになってもなお、、
自分で壊してしまいがちなんですよね…。

いい歳ぶっこいてまだこんな体たらく……。
ここまで来るの、10年か20年くらい遅いんですよね…。
……と、絶望しそうになりますが。

自分を肯定するようにする、というのが一番きついです。

自分のことは否定するのが当たり前、否定されて通常、
褒められたり肯定されたら否定して、
フラットかマイナスに戻す、、べき、
みたいな自動化された癖…習慣…をこう、、捻じ曲げるのに、
めっちゃエネルギー要ります。

何でも否定する方が楽なんです。叩き潰す方が。
悲惨な感情、ネガティブに浸っている方が、辛いけど安心するのです。

自分を痛めつけている方が、駄目なままでいる方が、
何もしなくていいから、変化しなくてラクなのです。

ずっとずーーーっと、自分がゴミな無能であれば、
悲しいけど、今まで通りで「何の問題もない」から。

でもそれにも疲れたので、
解体工事&和解工作をやっております。

遅々としてますが、そんなに簡単には治らんのですよね。
アイデンティティとくっついていて、執着があるから。
自分の駄目さ、無能さにも、それはそれで「利得」があるから…。

向き合わないようにして押し込めてきたことが多すぎて。

物理的には狭い部屋ですが、
私室はその人の心にぎゅぎゅっと凝縮されている闇…というか、
澱が、歪みが、詰まって、映し出されている空間なわけで。

片付けきるのは、、楽じゃなさそうです。

モノだけじゃなくて情報、メンタルも整理することになるとは……。
………知ってたケド(ーー)キツイネ

早く終わらせてぇぇ~~~~~~~TT

このところ青緑が欲しい、とジタバタしていたのも、
水色~青は自己表現とか悲しみ、
黄緑~緑はハートチャクラ、平和、ってことで、
閉じ込められてきた意志を解放したい、感情を表現したい、
癒しが欲しい、などの気持ちの表れだったのでしょうか。

今まで買っていた色味よりは明るくなっているので、
多少はこう…精神状態がまともになってきている、というような意味合いであれば嬉しいのですが。

サムネのような色彩の青緑な海で溶けて消えたい、
という気持ちも強くあります。
人間の身体だと狭いから、
もっと広範囲の空間や波そのものになって浸ってみたい、
シロナガスクジラとは言わないから、
せめてマッコウクジラぐらいになりたい、という。

無茶な欲求です。

こういう気分になることって…どうなんでしょうか、
別に珍しくない…だろうと思いたいんだけどそうでもないのかな…。
時々は、ありますよ……ね?;


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
こんな長文を読破してしまう奇特な方々が、
それぞれお好きな感じの海を探索する良い夢が見られますように。
(というか私が見たい)

…もちろん夢なので溺れたりしません。
もしリアル追求型の夢で溺れかけても、なんかこう酸素ボンベがどこぞから降ってきたり、クジラにタックルかまされて中空に投げ出され息が出来るようになったり…的な超展開になって助かるので大丈夫です。多分。

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最果てのミジンコ
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