ここは分岐点《読むスピ系解毒剤》

(注:分割やめたので約1万と…2千字程度あります)
(まとめるのがへた)

 よく、ここまで来たものだ、と思います。まだまだ戦争は絶えませんが、人間の意識は「少し前」とはとても変わりました。現代社会では凶悪な犯罪が増えている、という雰囲気がありますが、実際は逆です。一定の暴力を「凶悪な」「犯罪」であると見なし、糾弾する人が増えたのです。暴力行為自体の総量は減りつつあります。
 少し調べれば、昔の方が(ほんの数十年前も含みます)よほど惨たらしいことを、人々が抵抗なく行っていた様子がわかります。それは、どの国・どの地域・どの人種でもです。それは、昔の人の方が精神性が低かったというより、価値観や倫理観、そして環境がかなり違っていたから、そうならざるを得なかったのでしょう。
 最近では、奴隷や人身売買が違法になり、女性が家や男性の所有物ではなくなり、子どもの権利も認められ、どんな命もかけがえの無いものだという認識が広まってきました。かつて「よくあること」だったレイプは「性犯罪」となり、「ただの躾け」だった体罰は「虐待」となり。ありふれた殺人は、世間を騒がせる珍しいニュースになり、権力者も罪を犯せばある程度はまっとうに逮捕されるようになりました。また、相手が異教徒であるというだけで唐突に殺し合うことも減り、簡単に行われていた拷問は減り、捕虜の扱いに関する取り決めも結ばれ、戦争は起こしにくくなっています。
 かつて言葉が通じなかったり、身なりや肌の色が違うだけで化け物扱いされていた「異界の住人」は、ただの「異国に住む人間」になり、別の生命体であるかのようだった男女その他は、誰もが人間であり、対等である、という意識を、徐々に獲得しつつあります。
 まだまだ暴力の横行する地域もありますし、相手を「奴隷」と呼ばないだけで実質奴隷のように扱って使い倒すような人間なども、いたりしますが、全体としては、人間は、「かつてよりはマシな考え方・行動をする生き物になりつつある」と言えます。

 これらの変化を引き起こしたのは、いくつか理由があると思います。ひとつは、人間の生活が新しい技術や発見によって向上してきたこと(他人を襲って奪ったり、他人を奴隷として使わなくても、生きていけるようになってきた。呪いや神の怒り、悪魔の仕業、などとされてきたものの仕組みが理解され、治療法や対処法が分かってきたため、迷信にすがる必要がなくなった、など)。次に、知識の伝播が飛躍的に容易になっていったこと(本を読める人が増え、視野が広がり、他者の立場に立って物事を見られるようになってきた)。
 また、仕事をするにも、覚えること、知らなければならないことが増えたため、簡単に人の命を奪って次を探すよりは、生かす方が利益が出る場面も増えた、ということなども挙げられるでしょう。(この点は今後機械の台頭でどうなるかはわかりません。ただ、それは恐れることではなく、喜ぶべきことなのでは?と思います。「機械に人間の仕事が奪われる」のではなく「人間が、一日の起床時間を目一杯労働に割かなくてもすむようになる」ということなので。ここは「労働教」の狂信者がたくさんいる世界なのでまだ厳しいでしょうが、今現在も人間は働かされすぎです。誰もが自由ではありませんし、対価も生かさず殺さずのラインに調整されていて、本当に無残です。多くの人は「社会とはそういうものだ」という労働教の教義を幼少期から刷り込まれているから、疑問に思わず、あるいは多少疑問に思いつつも、理不尽な状況に耐えているのです。……もし本当に、人間の社会が発展しているのであれば、今のような古い労働の形は、いずれ全面的に変わっていくものと思います。今後もこのままだと、行き過ぎた資本主義によって破綻する未来しか見えません。競争を無くせとは言わないけど調整はされて然るべきかと。その調整をする機関に属している方々が……なせいでなかなか前に進まないのですが)

 かつては、本を読める人間も圧倒的少数でしたし、社会階級や性別などによって、学習していい内容すら制限されていました。でも今は、少し前とは違って、より多くの人が、完全な無知・知ることすらできない状態からはなんとか脱却し、自分の意見を持ったり、情報機器を使えるようになって、遠く離れた人と通信したり、いろいろな見解に触れたり、情報を手に入れたりできるようになってきました。そのため、以前より(情報統制などで)物事を隠すこと・大きな嘘をつくこと、人々(庶民)を黙らせることが、難しくなってきています。私はこの流れは、非常によいものだと感じています。

 しかしながら、これだけ技術が伸びても、いや、伸びたせいで、追いついていない点もあります。人が機械・技術に依存し、インターネット上に氾濫する情報に浸かり、振り回され始めているのです。せっかく個々の能力を生かすことができるだけの力を手に入れても、大勢が、少数の人間の意のままに流される農場の羊のままでいたら、あるいは、安楽に手に入る情報を呑み込むばかりで考える力を失っていったら……全く意味がありません。再び、人々は扇動されやすくなり、戦争は起されやすくなることでしょう。

 想定以上に「普通の人」がインターネット上で自由に振る舞って発言力を得始めているので、そうなって欲しくなかった存在には都合が悪い状況になっています。なので、人々から自由を奪いたい存在は、今後ちょっとした事件も見逃さず、インターネットや通信の監視・制限の強化・個人情報の把握に利用するでしょう(事件・事故・トラブルは、自ら工作して引き起こすかもしれませんが)。

 今では、サーバ上の情報で誰が何を考えているか丸わかりです。スマホのGPSや、インターネット上の検索などの履歴から、行動を監視・予測することは容易にできるでしょうし、ヘンな動きをしている人間は既にマークされているでしょう。
 個人的には、人間の能力などを数値化して評価・管理したり、人体にチップを埋め込みはじめたら、いろいろ終わりだと思っています。何事も、今のような、「大衆」のことを本当には考えていない政府の存在が主導して広めるようなもの(もしくは、制限するもの)は、表向きの理由・利益・用途以外に、裏の理由・利益・用途があると考えてよいでしょう。陰謀論までは行かずとも、疑り深いぐらいで丁度良いはずです。

 (個人情報を入れまくるSNSなどは、いい情報バンクです。誰が誰に情報を提供していないと言い切れるでしょうか。普通に生きていれば、詮索されることは少ないかもしれませんが、それでも気持ちの良いものではありません。スイーツや飲み物の画像ぐらいならまだしも、何でもかんでもSNSに上げる人は、自分の住所、所得、生活サイクルから周囲の人間関係、持っているもの、思想、すべて自分から見ず知らずの他人に教えているようなものだということは、理解しておいた方がよいです。
 一旦インターネットにアップロードしたもの、クラウド上で管理していたものは、自分で削除したとしても、データが絶対に跡形もなくどこからも消えたかと言われれば、そうとは限りません(基本的には他のデータを上書きするのに使われて、そのうち消えるとは思いますが、サーバの管理会社に秘密裏に保存されていたり、誰か別の人がダウンロードしていたら自分では消せません)。んなもん知られてもあたしゃ気にしねえ!むしろ教えてやるぜ(パスワード以外ならな)!という鋼の心を持つか、気になるものは秘して伏せ、アナログで持っておいたり、心の中に、自分でしか開けない金庫でも作って、その中に保管しておきましょう。)

 今現在、日本人は戦争を起こしそうな感じはないように思いますが、周囲では戦争を起こさせたい国が多く、そのうち乗せられて、周辺の隣国を叩きまくる人間が増えないとも限りません。日本国内にも、他の国との溝を深めるべく奔走する人々がいます。偏向報道・情報/世論の操作に使われるメディアは、新聞やラジオ、テレビから、インターネットに主軸を移しつつあります。最近はニュースだけではなく、一般人・一団体の上げた声が大衆に支持された…ように見せ、動画やSNSなどで拡散させて、結果的に実際の世界的な運動に繋げています。子供が担ぎ上げられることが多いのは今も昔も変わりません。人間の意識・感情を一定方向に強く煽る情報に簡単に乗せられてしまうのは、得策ではありません。何か意見を目にしたときは、一度感情を外して、色々な立場に立ってその意見を吟味してください。賛成・反対の立場だけでは足りません。賛成している人たちのうち、どんな層の人が、何をもってそれを支持しているのか。反対している人たちには、どんな人がいて、それぞれがなぜ・何を問題視しているのか…。自分が不快だから反対する・自分の側こそが絶対に善、正義と思って相手を見下す、反対されること自体に激怒し、感情的になって話を聞かない、または人格攻撃をする・相手の意見を曲解し、一方的に決めつける……そういったことは、混乱や負の感情をばら撒く原因になるだけなので、やめてほしいと私は思います。喧嘩したければ好きなだけすればいいと思いますが、どのみち「いい結果」は招かないだろう、とだけ。


 テレビは視聴者離れを、新聞は購読者離れを気にして、インターネット上には嘘ばかりだという論調が多いですが、本当にそう(嘘ばかりなのはインターネット上の不確かな情報だけなの)でしょうか。
 仮定の話ですが、もう既に、人々は高い技術力を駆使した偽の映像で毎日精巧な嘘をつかれ、拡散される情報は制限されており、発見が隠されたり、存在しない人がテレビに登場していたり、嘘ばかりになっているかもしれません(一応、冗談です)。「ネットではフェイクニュースが多いが、民放のニュースで流れる映像ならば改ざん・合成などされていない」と、誰が言い切れるでしょうか。画像など、誰もが入手可能なソフトで、そこにいたはずの人物を一瞬でかなり自然に消したり、あるいは余計な人物を出現させたり簡単に改ざんできるような時代なのです。変なもの・都合の悪い人物が映り込んでいたら、そこだけちょっと消して出す、など、もう当たり前のようにされている可能性が、なくもない、と私は思っています。

 そもそも、誰か人間が作り、発信する時点で、中立の報道は有り得ません。必ず誰かの意図が入っています。少し見ても、都合よくセンセーショナルに伝えるための、切り抜きの情報ばかりです。おめでたい話や、芸能人のスキャンダルや逮捕劇、どうでもいい政治家の揚げ足取りの報道などは、あまり「注目されたくない」ニュースを隠すためにされることが多いです。全く報道しないとあとで追及されるので、表面的に一瞬だけ報じます。「注目されたくない」のは、一般の人間のためにならなかったり、あまり知られると困る、ということです。また、隠しきれないほどの大問題は、人々に「この意見・考え方が正しい」という正解を与えて操作します。

 ニュース番組では、コメンテーターや「知識人」が、人々の意見を代弁する体で、人々に「こう感じろ」「こう考えるのが正義」とばかりに、意見を、世論の空気を、作り出しています。日本のバラエティ番組は、いじめを肯定するような内容も多く、また、お前たちはこう考えてこう反応しろ、こういう顔をよしとして、こういうことを気にして、こういう生活をしろ、という内容ばかりです。

 平成後半の具体例を言えば、ある有力な新聞紙が、日本人やアジア人女性を変態扱いし、貶めるような新聞記事を英語で書いて発信していたり(アジア人をより下に見せるため・女性の性被害を増やすため)、あるテレビ局が、いろいろな番組内で日本を上げつつ、海外を蔑んだり(老人が安心して現状維持をし、若者をもっと助けなければなどとは思わないようにさせる・他の国の人間を蔑むように仕向ける、など)、あるいは日本人が他の国の人間を差別しているシーンを切り抜いて、何度も何度も放映したり(海外への主張にもなるし、日本人は酷いと思わせられる・国内で同じ国の人間同士を屑野郎だと思わせるなど)、日本は借金大国だから、いずれまずいことになる、と嘘で不安を煽ったり(増税したり、年金受給の開始時期を延期することを納得させる前準備・本来なら減税あるいは最低賃金の引き上げが必須ですが)、やりたい放題です。

 どこの情報ならいい、というものはなく、どこも似たり寄ったりです(なので、いろいろな情報を集め、自分で繋げ直すしかありません)。インターネット上でも、当然、さまざまな場所で、工作は行われているでしょう。不都合な情報は削除したり、あるいはそれをこき下ろす情報を流して混乱させたり。有名人は使いにくいので、中堅の、一般人に毛が生えた程度のインフルエンサーを買収して何か言わせる、ということも増えてきているのではないでしょうか。捨てアカウントを大量に作成して(こういうことを言う酷い人間がいる、と示すための)既成事実を作ったり、敵味方双方を自作自演して勝手に問題を盛り上げている場合もあるかもしれません。誰が…どんな立場の、どの程度の知識を持った人が…なぜ、その発言をしているのか…くらいは考えておいて、それから内容についても精査すればよいと思います。

 さて、(私は)もうこれ以上、戦争に巻き込まれるのは勘弁なので、そういった未来は是非とも回避したいものですが、国家間で兵器を用いて交戦する典型的な戦争までは行かなくとも、人が人を、物理的・精神的に緩やかに追い詰め、日常の中で死に追いやり、実質的に殺し合う、という擬似的な「戦時下」に陥る可能性は今後大いにあり得ます。目には見えない内戦、のようなものでしょうか。というか、そのような内戦、あるいは内戦に見える戦争は、各地で既に起きてしまっているとも言えます。
 日本で言えば、例えば、少子化や自殺者の増加。少子化は、誰か日本人を減らしたい人たちが、政治的な権力を持つ立場にいて、わざと制度を整えず、女性を支援するフリをして、生きづらい世の中を作っているように見えます。(女性を社会進出させ、出産年齢を引き上げ、子供を減らす/男性の賃金を下げ、未婚率を上げる/独身でなら生きられるが、子供ができたら共働きでないと破産するような賃金に調整・妊娠出産費用や学費等の支援は控える/負担増で倒れる人間を増やす環境を整備・育児や介護を支援する保育士や介護士は低賃金で使い捨てる・または海外から人材を調達し、日本人の雇用を減らすとともに過酷な労働環境で外国人を酷使し、日本へのヘイトを溜め、親日の国家と将来的に決別させる準備をする、など)
 少子化に繋がる様々な「対策」は、生まれた人を殺す代わりに、人が生まれる未来を殺している、と言えるでしょう。そして生まれてしまった人は、他の社会制度や歪んだ学校教育、忙しすぎる労働環境と低賃金などによって殺されるのです。

 現在の日本の社会は、一度レールを外れると、非常に再起しづらい構造になっています。自分のせいだろうが、何だろうが、外れてしまったことに対する絶望や、外れることへの恐怖は、とても大きいと思います。このような状態を放っておいたり、実状に合わせた救済措置を講じたり、あるいは今ある制度を本来の意味で「改正」していかないのは、頭がおかしいとしか言いようがありません。
 誰が、誰のために、何のために、「そんな現状」にしているのか。日本人を、根絶やしにしたがっている存在がいて、自らそうなるように仕向けている、と指摘する陰謀論者が出てきてしまうのも当然の成り行きです。
 学校や職場での辛い体験による自殺も、見えない戦争の犠牲者、と言えるのではないでしょうか。制度が変えられない(変える気がない誰かが牛耳っている)以上は、「大衆」にあたる人々が、そして変えられる立場・意見できる立場の人間が、少しずつ声を上げ、個人個人で、現場から、手の届く範囲で変えていくしかありません。それならできる、そしてそこから変化が始まる、と考えています。誰かの号令に合わせ、なんとなく附和雷同して動く時代は、終わりにしなければなりません。

 こんなグダグダな状況の中で、今後育っていく人間、あるいは今既に成人している人間たちが、嘘を嘘と見抜く前提の知識を持っていなかったり、論理的に考える能力が貧弱だったり、極端な思考に陥らないための多面的な視点を持たずにいたら? また、他人などどうでもいい、という冷え切った心の持ち主ばかりになったら? 
 何度となく繰り返してきたかつての過ちを、また「やらかしてしまう」ことが大いにあり得ます。私は、それだけは絶対に避けたい。

 そのためには、知識も当然必要ですが、この世界が嘘ばかりであることを思えば、ただ闇雲に(出だしからして嘘かもしれない)知識を蓄えるよりは、「危ない」道を選ばないための、常識に囚われず、柔軟に、「今、ほんとうに大切なことは何か」を見極め、選択することのできる力を持つこと、自分も他人も等しく尊重し、一時的な感情に振り回されすぎない、健全で安定した精神を持つこと、が大切だと考えます。
 それに加えて、変な宗教・スピリチュアルにハマらないための前提知識、解毒剤、解呪のための考え方、捉え方、方便、自身の精神の支柱を持っておく、というのも大事です。

 社会に不安が拡がるとき、それはカルトが勢力を拡大し、餌となる人員を補充する絶好の機会です。不幸を前に、これこそ天罰!神罰!とか、○×神の怒りを見よ!と手下が嬉々として触れ回り、この仕打ちを受けたのはあなたや人類のカルマだ原罪だ、今こそ悔い改めよ・ワレを信じよ・ワレに祈れ、さすれば救われる、○×様こそ真なる神のメッセンジャー、生まれ変わり、生き神、救世主なるぞ……!○○様に従えばあなたの魂は浄化されて天国にアセン★ション!できますよ…?!とかなんとか騒ぎまくって小魚が釣り針に引っかかるのを待つのです。平時なら「はぁ?よう言うわ」と一笑に付す人も、有事の際には冷静な判断が出来なくなり「そそそそうかも?信じたら助かるかも??」となって一本釣りされるかもしれないので要注意です。

 カルトやエセスピリチュアルだけではなく、一般的な、もはや各国で文化の一部と化しているメジャーな宗教も、質がいいとは思えません。今までどれほどの悪事(を成す動機・を正当化する方便)に利用されてきたか知れたものではありませんし、「鎖」でしかないので、大切なところだけ残して、要らんものは捨てるべきだと思います。

 私たちは今、とても危うい平和の上に立っています。日本は敗戦後、確かに再び「平和」になりました。日本が復興・発展したのは、日本人のど根性もあるかもしれませんが、実際は、日本を貧しいままにしておくプランもあり、経済的に発展できたのはアメリカの一存のおかげで、また、それ(日本を経済的に発展させること)は、将来の中国などとの戦争に備えて、日本を「防波堤」にするためだった、とも言います。
 私たちの日々の生活、当たり前だと思っていること、頑張ったからこうなったと思い込んでいる結果、そういったものは、ほぼすべて「作られた(支配層からそうなることが許可された)」ものであるということです。アジア全体を貧困のままに留めておくプランが採用されていたのなら、どれだけ日本人が頑張っても、色々な政策や禁止令に阻まれて、今のような生活環境は無かったことでしょう(今も絶妙なさじ加減で周りの国々から首を絞められていますが)。
 ここは大いなる作為の下で作り上げられた、一部の人間が「支配する人間たちを飼育するための環境」ですから、行政制度や学校教育(日本の場合は、昔は兵士や企業戦士、今は従順な羊の養成機関)などがツッコミどころ満載なのも頷けます。私たち個人が、戦わない戦士(必殺技が「戦わない」の戦士ってことですが、「抵抗しない」という意味ではありません)にならなければ、いつ誰の一存で戦争状態になるとも限りません。

 人間は、徐々に暴力的な面を抑えられるようになり、残酷な行為自体は少なくなってきています。しかしながら、大量破壊兵器、特に「核兵器」という、ほんの小さな爆弾で街を、あるいは地球を壊してしまえる(そして、その後周囲の環境を汚染し続ける)力を手に入れてしまっています。
 開発した国は、最初は、どれほどの影響が出るのか知らなかったのかもしれませんが、もう既に、国内外で人体実験をして、その恐ろしさを知っているはずです。たとえ、諸外国を威圧するためのものとしても、敵味方以前に人類終了のお知らせを運んでくる可能性が大いにある、扱いきれないものを、なぜ作り続けるのか、持ち続けるのか、私には理解できません。また、既に核兵器「以上」の威力のものを秘密裏に開発していないとも限りません。宇宙開発と言いつつ実際は……という、フィクションによく出てくる設定のような話が、実際にあったら笑えません。
 何にせよ、人類は、今すぐにでも滅ぶことが出来ます。絶滅するのに、地震や火山噴火、洪水、劇的な気候変動などを待つ必要はありません。常に常に、岐路に立たされている状態です。そこが今までとは違うところで、留意すべき点です。私たちは数年で、あるいは一瞬で滅び去ることが出来ます。

 そんなご大層な結果を招くのに、自分は関係ない、と言える人間は、言っていい人間は、どこにもいません。時代が動くとき、よく見える位置には、声の大きい人間や、並外れた能力を持った人間がいますが、ただ、大きな結果を招く引き金や動力となるのは、いつでも、人々の些細な日常の行い、思考の持ち方、それらの積み重ねです。
 わずかな差別の視線や、扱いの差、不条理な世間の常識、親や教師からの教え、ほんの数人からの、心ない罵声。ちょっとした小競り合い。「そんなことで?」というものが種火となり、憎しみや誤解が連鎖、暴発して、国家規模の戦火に発展したことは多々あります。「自分は特別な人間ではない」と思う人も、「自分(たち)は正しい(側だ)」と思う人も、付け入られる隙があります。戦争の火種や、都合の良い駒として使われないよう、そんな存在に成り下がってしまわないように、心がけて欲しいと思います。

 私は、それが正しかろうが間違っていようが、あまりにも痛いのとかキツいのとか辛いのとか、とにかく悲惨な苦しみ成分過多の世界は嫌だから、人が罵り合ったり、脚を引っ張り合ったり、殺し合うばかりの世界を見るのが胸糞悪いから、そうならないように、と思って書いています。
 「もうイヤ!」の嫌、というよりは「このまま奴らの作戦通りの未来を描くのは願い下げである」という方の、嫌、です。「奴ら」というのは、実体があるかどうか、実際はどんなモノかはわからないものですが、確実に在って(在るように見えて)人々の足を引っ張り続けている何か、何者か、のことです。(レプ何とかや秘密結社のどうたらいうアレではありません。)
 私にとって「奴ら」は、現実に耳を傾けたとき、常に背後で鳴り続けている、低く暗い音のようなものです。古くさく、血なまぐさく、人々を不安にさせるような、頭の上からのし掛かってくるような音。常に響いていて誰も気に留めないのに、誰もがその調子に大いに影響されている、聞こえざる主旋律、というか。私たちがその音と共振さえしなければ、それはすぐにでも消えていく、とも感じるのですが、多くの人がその音を自分の中でも響かせて増幅させているがために、鳴り止むことがなく、社会全体を覆って、いい音を邪魔し、かき消し、曇らせている……そう感じます。そういうわけで、私はその「嫌な音」を止めたいのです。

 愛に溢れた世界を目指すとか、魂を磨くとか、そういうのはよくわかりませんが(突き詰めれば愛のないところはない?)、何を求めるか、よしとするかはそれぞれで、違いを認め合いつつ、それぞれが好きなように生きられる世界がいい、と思ってはいます。

 というか「愛」という謎ワードは何なのでしょうか。言葉だけ都合よく使われていますよね。執着心や性欲を美しく言い換えたり、相手を脅したり、言いくるめたりするのによく使われています。人それぞれの解釈で辞書の定義なんか知らねぇという状態になっている「愛」という言葉は、もはや誤解や混乱しか招かないような「罪な言葉」だと思います。「愛」が「ある」だの「ない」だの、厄介ごとの種ですし、よいものだとするのなら、それがわざわざ確認されない、具体的な言葉として切り取られないぐらい当たり前の、空気のようなものになってしまえばいいのに、と思います。

 私がこれを書いている基本的な理由は、自分自身の好みの方向に、砂粒1つ分でも世界をそっちに寄せたい、という願望があるだけです。

 端的に言って、人間が「人類」としての意識(自覚)もなく、こんな低い精神性のまま、カルトのタマゴや幼獣も野放しで、日々の小規模な戦争すら止められず、科学技術だけ発展させたところで、今のように存在していられるのは、もってあと数世代くらいでしょう。そして長期的に見て、生き延びられるとは到底思えません。今すぐに対応できるのは、というより、しなくてはならないのは、精神性の向上だと思います。(ただし、その機会に乗じて「まるごと」乗っ取られたり、全体的におかしな方向に引きずられたりはしないようにしたい)

 私は「またかよ?」という事象が引き起こされることを、心底避けたいと思っています。私たちはより慎重に、自らと向き合い、精神性を高め、ほとんど獣の「まあまあ賢いサル」状態から脱し、「新しい人間」へと進化していかなければならないと思います。
 人間には並外れた「適応力」があります。だから、割と、「変わろうと思えばすぐ変われる」し、「新しい環境にも、意外とすぐ慣れる」のです(定着するかどうかはその後次第ですが)。変化が早いに越したことはありません。というか、「遅刻ギリギリ」だと思います。私も人のことを言えませんが、それが出来るか否かで、多数派がそうなることが間に合うか間に合わないかで、未来は大きく変わると確信しています。

 そのためにも、私は(既存の)「宗教」は不要であると考えます。精神性向上のためには「宗教」廃絶が欠かせません。なぜなら、今私たち人間が「神」(や預言者や聖職者や偉い人や巫女や何やかや)から与えられたとされる宗教の教義こそ、人間たちの精神性を縛り、その向上を遅れさせ、また一定レベルに留めおき、聖職者など指導者側がその他大勢を効率的に支配したり、脅したりするための道具、足枷だからです。(たとえ発起人/教祖が割といい事を言っていたとしても、後世の人間による要らない手垢まみれで、もう原形を留めていません。ねつ造、改ざん、後の人間に都合のいい解釈を付け加えたり、都合の悪いものは削ったり、地位を高めるために厳かな儀式や決め事を新設したり…逆に歴史ある宗教ほど業が深いのでは?w)

 そもそも「神」は居ません。それは人間が作り上げた幻想です。また、仮に、「神」が何らかの形で存在していたとしても、大多数が無責任すぎるので、信仰に値しないと考えます。人間にとってほとんど害悪しかもたらしてこなかった存在を、あるいは、脅しばかりで自分を信じなければ殺すなどと言ってくる存在を、自分の名の下に暴力行為を正当化して暴れまくる人間を野放しにしてきた存在を、なぜ人間が、崇め奉らなければならないのでしょうか。そして、これまでの、奇跡や神の恩寵と捉えられてきたことは、「神」ではなく、人間の力が発揮された結果、なのではないでしょうか。

 よくある宗教のクソ教義に、我々の神を信じなければハルマゲドンが来る、とか、○×神を信じれば来世で救われる、などがありますが、嘘八百もいいところです。騙されないで下さい。人が何を信じようが、始まりがあれば終わりがあり、私たちは必ず死にます。宇宙も死にます。永遠のものはありません。終わります。だからなんだ?という話です。そんなふざけた事を言って、人々の間に不安や恐怖を蔓延させようとしている存在の僕になることに、何の得があるのでしょうか。
 人間が人間として、互いに手を取り合って生きていくのに、上から目線の神や、誰かにとって都合のいい、てんでバラバラの教義などは、不要です。邪魔です。今こそ、人は神を、捨てるべきです。そのような時期がきていると感じます。日本に居ると切羽詰まった感じはなかなかしないのですが、また何かあってからでは遅いです。
 これを読んでいるあなたは、どう感じ、考えているでしょうか。

(「宗教・スピリチュアル」だけに絞って話そうとしても、社会・経済と繋がってるのでどうしてもそこからになってしまいます;集団をまとめるための基盤に使われてきたものですし、未だに人を縛るのに都合がいいから滅茶苦茶利用されていますからね)

(最初期に書いたので、宗教廃絶!とか言ってますし、面倒なのでマイルドにはしていませんが、要は本質だけ残してあとは形骸化すればいいのにと思っています)

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