自己"分析"という言葉の罠
こんにちは。アンチモンです。鉄は熱いうちに打てと言いますし、思いついたことはすぐ書いちゃおうと思います。
私が就職活動をしていて感じたのは
「あれ、自分って何者なんだろう?」
ということです。
きっと就職活動を経験したことのある人なら誰しも感じたことのあるであろうこの疑問ですが、私は自己"分析"という言葉がその一因であると考えています。私の実体験も交えて説明していきますね。
そもそも"分析"とはなんぞやというお話しですが、wikipediaによると以下の通りです。
ある物事を分解して、それらを成立させている成分・要素・側面を明らかにすること。
このように分析とは「1つの物事を複数のパーツに分解すること」を指します。自己分析では過去のとあるエピソードから自分の強みや弱み、性格を抽出します(他のやり方もあるかもしれませんが大多数の人はざっくりこのやり方だと思います)。
最初のうちは自分のことを分かったような気がして楽しいです。「そうか、私はそういう人間なんだ。」「今まで気付いてなかったけど、こういう強みあるんだなぁ~。」なんて思いながら私はサクサク自己分析を進めていました。
しかしいくつかのエピソードでこうした作業を繰り返すうちに、
「で、結局自分ってどういう人間なんだろう。」
という思考の迷路に陥りました。
自分を構成する様々な要素1つ1つについてはよく分かりましたが、それら要素を束ねてどう表現すればいいのか分からなくなっていたのです。つまり、自分のことを知れば知るほど逆に自分が分からなくなっていくという負のスパイラルに陥ってしまったわけです。
実際の面接の際も、確かに1つ1つのエピソードに関する分析的な視点も求められますが、それ以上に大切なのは「で、結局君はどういう人間なの?」という"一貫性"です。
しかし、自己"分析"しかしていない人は面接官に一貫性を伝えることはできません。自己"分析"は私たちに自身の要素を教えこそすれど、一貫性をもたらしてはくれません。
就活する上で自己分析の重要性を説く人たちは大勢います。確かに就活を進める上で自分について細かく知ることは必要です。しかし、それ以上に大切な一貫性について多くの人は教えてくれません。
このことを少しでも多くの就活生に知ってもらうために自己"分析"なんて言葉を使うのはやめて、自己把握とか自己理解っていう言葉を使えばいいのになぁなんて最近思ってます(きっともっと相応しい言葉があるんだろうけど、私の頭では思い付きませんでした)。
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