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2022年6月28日

昨年の今頃は前店舗からの完全撤退、そして新店舗への準備真っ最中であった。まさに同時活動。ご協力いただいた仲間、有志達のことは一生忘れないし、これまでの自分のたいしたことない人生の中ではずば抜けて一番の大仕事であったのも間違いない。

移転し、新店舗オープン前の大仕事もスタッフの力が本当に大きかった。連日連夜にわたるその仕事も忘れることはない。自分も余裕がない中、能力が足りないながらも出来ることは精一杯やった。

コロナ禍の中経営者になり、それ以前の自分の仕事とはまるで違う局面も迎えていた。はっきり言って現場の運営だけではなく、いわゆる経営者の仕事。これはお金だけのお話では決してない。とはいえ、コロナ禍の中ほぼ占めるのは運転資金や移転の資金を捻出することではあったが。ただそれにまつわることはそれ以前の自分では見えないことが多々でもあった。単に国や行政に訴えることだけでもない。

移転オープンし、それをなんとか乗り越えられたのはやはりそれまで"続けて積み重ねて"きたことがすべてだったかと振り返られる。今もまだ日本や周囲の生活は戻ってはいない。移転した意味や成果はまだまだこれからの運営であるかとも自覚はしている。しかしながらあの時たくさんの協力を得れたのはそれだったのではないかと。協力いただけた方からもそのことは直接聞けたのも事実で。

そしてこの二年半、協力金が経営を救ったのも事実だが決してそれだけではない。この二年半パークダイナーに出続けてくれた地元を中心とするアーティスト達がいたから。むしろ彼ら彼女らがいなかったら、たとえ協力金があったとしても無理だったろう。当時から考えると叩かれ、後ろ指を指され、疎まれる立場だったかと思う。それでも一人として、そしてバンドとしての選択で、十分注意をはらいながら出演してくれてたと思える。そして昨年クラウドファンディングが無事成功したのも、これまで長年のパークダイナーに関わっていただいたたくさんの全国の方々であった。パークダイナーを救ったのは出演者と間違いなくそのたくさんの方々である。心より感謝に尽きます。

来月で移転からはや一年になる。あっという間だったが、全店舗の思い出は正直昔のことのようにも思えてはいる。それくらいすでにこの今の新店舗で数々の思いや悩みや希望と共に生活してきた一年であった。

ライブハウスで活動することというのは、音楽そのものや活動自体を楽しみ、それぞれの思いや目的を果たすためというのは最前提ではあるが、費やすものも決して小さいものではない。正直、リスクを極めて低く活動出来る環境や場所も他にたくさんあるだろう。ライブハウスを避ける選択もあるだろう。それは間違いでもない。しかしその中でライブハウスを選択してくれるアーティストのおかげでライブハウスは存在出来ている。そして自分は音楽活動する上で、それが一番だと思い馬鹿みたくそれを長年信じてきた。それ以外を否定するわけではなく、細かい比較論ではなく、これは自分を信じる上で大事なことだからだ。

すでに成功出来てる、賄えている以外のアーティストの負担や費やすものが大きい中で、ライブハウスは応えていこうと思う。なぜ我々が長年それでもライブハウスを続けていこうと思うのか。楽しく音楽をすること、真剣に音楽と向き合うこと、時に誰かと勝負すること、そして最後は自分自身が叶えたいこととの勝負だということを。

精一杯歌ったり、作った歌や曲をプレイするのは誰かに向けてですよね?誰かというのは誰でもいいのです。

我々はそれに対して全力でサポートをしたい。サポートの仕方はアーティストの数だけ多様です。


ライブハウスで変わらずこれからも待ってますね。

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