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タパヌリオランウータンの悲しい過去

「もっとも絶滅の危機に貧している動物」と言われたとき、読者のみなさまはどのような種を思い浮かべるでしょうか? 実は、私たちヒトの進化の隣人であるオランウータンのなかに、そうした種のひとつであるタパヌリオランウータン (Pongo tapanuliensis) がいます。

オランウータン属は、ボルネオ島に住むボルネオオランウータン (P. pygmaeus) と、スマトラ島に住むスマトラオランウータン (P. abelii) の2種より構成されると長らく考えられてきました。しかし、スマトラ島の、スマトラオランウータンが住む地域より南の地域 (図1) に別のオランウータンが生息していることがわかり、形態やゲノムの研究*2から、2017年に新種と報告され、タパヌリオランウータンと名付けられました*1。

しかし、新種の報告と同時に、タパヌリオランウータンが圧倒的な絶滅の危機に貧しているという悲しい事実も明らかになりました。タパヌリオランウータンの生息地は1023平方キロメートルしかなく、生息個体数の推定値は767頭 (95%信頼区間で213−1597頭) という非常に小さな数字です*2。さらに、タパヌリオランウータンが暮らす森林にはダムの建設計画があり、もし計画が実行されれば絶滅は確実になってしまいます*3*4。こうした状況のもとで保全の努力が続けられていますが、さまざまな関係者のさまざまな思惑が絡み合い、芳しい成果はなかなかあげられていないようです。

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図1. スマトラ島北部の地図。紫の領域が現代のスマトラオランウータンの生息地、オレンジの領域が現代のタパヌリオランウータンの生息地。黒い四角で囲われた範囲に、1800年代以降の過去のオランウータン (タパヌリオランウータンと考えられる種) が生息していた。(元論文*5よりCC BYの規約にのっとり転載)


過去の分布域を復元する

保全を進めるうえで、タパヌリオランウータンに適した生息地はどのような森林か? という疑問がありました。現在のタパヌリオランウータンが暮らしているのは、比較的標高が高い高地林が主です。しかし、もともと高地林を好んでいたためなのか、森林伐採や狩猟の影響を逃れて高地林に追いやられただけなのかは明らかになっていませんでした。これを明らかにするためには、現代人からの影響が及ぶ前の、過去のタパヌリオランウータンが生息していた地域がどのような場所だったのかを復元する必要があります。

そこで、Meijaard博士たちの研究グループは、歴史生態学のアプローチによって、過去のタパヌリオランウータンの生息域を復元しました*5。現代のタパヌリオランウータンが暮らす地域と、そこからさらに南側の地域について、1800年代の初頭までさかのぼって、オランウータンがどのくらい広い地域の、どのような状態の森林に生息していたかを調べました (図1)。

19世紀のスマトラ島では、現代のような生態学の研究は行なわれていません。そのかわり、植民地支配や探検のために訪れた西洋人がオランウータンに関する記録を残しています。全体的に、そうした記録の信頼性や精度は、現代の生態学研究の論文に比べてはるかに低いものですが、そうしたものであってもある程度の証拠となります (参考: オランウータンとの出遭い)。今回の研究では、オランダ語で書かれた文献が調査され、19世紀以降のタパヌリオランウータンの生息域が復元されました。(オランダは植民地時代のスマトラ島の宗主国でした)

文献調査の結果、23地点で、タパヌリオランウータンと考えられる種について言及した記録が見つかりました。それらの地点の植生などを検討した結果、かつてのタパヌリオランウータンの生息域には、高地林だけでなくさまざまな種類の低地林も含まれていました。また、分布域の広さを比較したところ、現代のタパヌリオランウータンの生息域は、1890年代の生息域の2.5%、あるいは、1940年代の生息域の5.0%の狭さに縮小していることが明らかになりました。

時間的な変遷を見ると、1970年代の工業的な森林伐採より以前にタパヌリオランウータンの生息域は減少していました。このことから、小規模な農業活動や、狩猟活動によって、タパヌリオランウータンは人間活動からずっと脅威にさらされてきたことがわかりました。


まとめ

論文が示したのは、タパヌリオランウータンが想像以上の生息域減少を経験し、人間活動からもたらされる脅威によって高地林に追いやられたわずかな個体群がかろうじて生き残っているだけにすぎないというきびしい現状でした。論文の要旨には以下のように書かれています。オランウータンを対象にする研究者として、この悲観的な事実が重く心にのしかかり、論文を読みながら悲しい気持ちになってしまったのでした。

タパヌリオランウータンを保護するには、これ以上の分断と殺害を防ぎ、個体数の減少を防がねばならない。これらを達成するための協調したアクションをとらない限り、タパヌリオランウータンは数世代のうちに絶滅する運命にある。(執筆者訳)

同じ地球上に住む進化の隣人の一種が、今後数十年のあいだに本当に絶滅に追いやられようとしているとき、私たちにできることは何なのでしょうか? 研究者である私は、すこしでも多くの人にこの事実を知ってもらいたいと、この論文を紹介するために記事を書いてみましたが、ほかにもっとできることがないだろうか……と悶々としています。
(執筆者: ぬかづき)


*1 Nater A, Mattle-Greminger MP, Nurcahyo A, Nowak MG, de Manuel M, Desai T, Groves C, Pybus M, Sonay TB, Roos C, Lameira AR, Wich SA, Askew J, Davila-Ross M, Fredriksson G, de Valles G, Casals F, Prado-Martinez J, Goossens B, Verschoor EJ, Warren KS, Singleton I, Marques DA, Pamungkas J, Perwitasari-Farajallah D, Rianti P, Tuuga A, Gut IG, Gut M, Orozco-terWengel P, van Schaik CP, Bertranpetit J, Anisimova M, Scally A, Marques-Bonet T, Meijaard E, Krützen M. 2017. Morphometric, behavioral, and genomic evidence for a new orangutan species. Curr Biol 27:1–12.
*2 Wich SA, Fredriksson G, Usher G, Kühl HS, Nowak MG. 2019. The Tapanuli orangutan: Status, threats, and steps for improved conservation. Conserv Sci Pract 1:e33.
*3 Laurance WF, Wich SA, Onrizal O, Fredriksson G, Usher G, Santika T, Byler D, Mittermeier R, Kormos R, Williamson EA, Meijaard E. 2020. Tapanuli orangutan endangered by Sumatran hydropower scheme. Nat Ecol Evol 4:1438–1439.
*4 インドネシアのオランウータンが絶滅危機、生息地にダム建設計画|BBC News Japan
*5 Meijaard E, Ni’matullah S, Dennis R, Sherman J, Onrizal, Wich SA. 2021. The historical range and drivers of decline of the Tapanuli orangutan. PLoS One 16:e0238087.


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