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シリーズ「新型コロナ」その3:今こそ医療現場への「ブラッドシフト」を!

今から9年前、3.11東日本大震災が起き、私が暮らす生活圏もすっかり被災地と化したとき、ブログを書き始めた。
私はその最初の記事で、「ブラッドシフト作戦」を世に問うた。

「ブラッドシフト」とは、素潜りで深く水の中へ潜ったときなどに、人間の体に起きる特殊な生理現象だと言われている。酸素の供給が断たれたとき、心臓や脳など、生命維持に必要不可欠な臓器に、より多くの酸素が行き渡るよう、他の部位への血流をなるべく抑えるという働きだ。

当時の被災地は、いわば極端な血流不足で瀕死の状態だった。日本列島全体を、ひとつの人体にたとえるなら、東北に血流を集めないかぎり、日本列島全体が死に瀕することになるだろうと、私は感じていた。
そこで、被災地に「血」(生命維持に必要な水や食糧その他の物資、人員、エネルギー、医療、情報といったものすべて)を集中的に送り込んでもらえるよう訴えた。

その際、ブラッドシフトへの第一ステップとして、次の心構えを挙げた。

「自分も苦しいが、もっと苦しんでいる人たちがいる。多少貧血気味になろうと、自分の生命維持に問題がないかぎり、不要不急のエネルギー消費を控えよう」

そして第二ステップは、自分の身近にいる人で、自分よりも被災者に近い誰かを一人思い浮かべ、自分はその人に何ができるかを考え、それを行動に移すことだとした。

当時も、「被災者への供給が不足しないよう、不要不急の買いだめに走らないでください」という呼びかけがあった。被災地以外の住民たち(特に東京の住民たち)がパニックを起こし、買い急ぎ、買い溜めに走ったからだ。
今回のコロナ騒ぎでも同じことが起きた。
大きな犠牲を払って得たはずの教訓は、まったく生かされていない。

子どもと大人の違いを一言で言うなら、「子どもは自分のことしか考えない。大人は他人のことも考える」ということだろう。これは年齢に関係ない。たとえ子どもでも、他人のことをしっかり考えて行動できるなら、その子は大人だ。たとえ大人でも、自分のことしか考えないなら、その大人は子どもだ。
ついでに言うと、「より大人」は、今生きている他人だけではなく、未来の他人のことも考え、今の自分の行動を決めるだろう。どれだけ先の未来を見越せるかが、その人の「大人度」のバロメーターとさえ言えるかもしれない。

3.11のときは、被災地、つまり特定の地域へのブラッドシフトが問題だった。今回はいわば特定の職業へのブラッドシフトだ。
私たちは今、日本列島全体が大量出血によって失血死しないよう、そして、生き残りの最前線である医療現場にもうこれ以上機能的負担をかけず、むしろなるべく多くの血流をそこへ供給するために、自宅に引き籠り、エネルギーの節約をおこなっていることになる。これは、皆で協力して生き延びるための、生命維持活動なのだ。

あなたがもし、「いや、自分はただ引き籠って大人しくしているだけでは物足りない。何か少しでもお役に立つことがしたい」と思うなら、医療現場に必要な「血」を送り込むために、今できることとは何だろう。
こんなふうに考えてみてはどうか。
あなたには、何らかの職業がある。客商売かもしれない。小売業、店舗経営、サービス業、娯楽施設の運営かもしれない。しかし、同時にあなたはほんの少しではあれ医療従事者でもある。ほんの少し教育者でもあり、料理人でもあり、芸術家でもあり、ヒーラーでもあり、ジャーナリストでもあり、エンターテイナーでもある。
あなたの特殊なノウハウ、才能、能力、知性、愛情、美意識、センス、個性、そして意欲は、時と場所を選ばないはずだ。

私は、先のブログの記事で、「このブラッドシフトの最終段階は、すべての血が混じり合い、ひとつになること」だと述べた。すでに多くの被災者が関東以南に散らばっている。これによって、北と南、東と西の「血の交じり合い」が起きているに違いない。
今回はおそらく、地域的な血の交じり合いではなく、職業上の血の交じり合いがテーマとなるだろう。

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アンソニー  K
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