シリーズ「新型コロナ」その28:日本の対応はなぜ後手後手なのか
■日本のコロナ補償は手厚いが遅い
この新型コロナウィルスのパンデミックを経て、感染症の流行に対する国の初期対応には、大きく分けて2つあることがわかってきた。ひとつは疫学的な対応、もうひとつは経済的な対応。初期対応と言ったのは、個人の心理面やコミュニケーションの問題などが後発の問題としてこれから浮上すると思うからだ。
台湾や韓国は先手先手の対応で世界中から絶賛を浴び、中国でさえも世界の先陣を切って経済再開を果たしている。コロナ対応では後発組のはずの欧州でさえ、すでに経済再開へ舵を切っている。
日本のコロナ対応はなぜこんなに遅いのか・・・。
ひいき目に解釈すれば、初動の出遅れは、東京オリンピック・パラリンピックの成り行きが大いに足を引っ張った、という事情はあっただろう。国も都も、「様子見」と「調整」に追われ、コロナそのものへの対応がそっちのけになった感が否めない。マスコミもその片棒を担いだ。しかし、多くのことを同時進行でやらなければならない「待ったなし」の状況で、国がひとつのイベント(大きさに関係なく)の動向に引きずられているようでは、ましてや国外の圧力や判断に振り回されているようでは、独立国家とは言えない。
とにかく、緊急事態宣言を出すタイミングも遅かったし、それに迅速な経済政策を添わせなかった、という点も遅い。
安倍首相は、世界最高水準の補償だと豪語しているが、総額だけ見ればそのように見えるものの、スピード感や浸透度という面では、先進国レベルには到底達していない。
■ドイツの迅速で手厚い雇用維持政策を可能にしたもの
たとえばドイツの例を見てみよう。
https://president.jp/articles/-/34398
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story-germany-freelance_jp_5e96c524c5b6ead14004eb96
ドイツでは、零細企業や個人事業主に対して、3カ月で最大1万5000ユーロ(約180万円)の助成金が出されている。申請して2日で1カ月分に相当する5000ユーロ(約60万円)が振り込まれたという報道もあり、またベルリン在住のフリーランスで働く日本人にも、申請から2日後に60万円が振り込まれた、という例もある。
ベルリンはニューヨークやロンドンほど物価が高くないので、5000ユーロあれば大人1人なら概ね3、4カ月は平均的な生活ができ、節約すれば、1カ月1000ユーロで暮らすことも可能だという。
つまり、ドイツはフリーも含めた労働者に、節約すれば5カ月は暮らせる額の支援金を一度にポンと出す用意がある、ということだ。
なぜドイツはこれほどまで迅速で手厚いかというと、ドイツでは労働者が残業をした場合に、その残業時間を銀行口座のように貯めておき、後日休暇などで相殺する「労働時間口座制度」と呼ばれるシステムが普及している、ということがひとつある。加えて、企業が景気悪化などで操業時間を短縮して従業員の雇用の維持を図る場合、政府が減少した賃金の6割を補償する「操業短縮手当制度」が存在する。
この2つの補償制度によって、ドイツはリーマンショックも乗り越えたらしい。たとえば「労働時間口座制度」によって、不況期に休業を余儀なくされた従業員は、景気回復後に労働時間を増やすことで、雇用が維持されたという。また「操業短縮手当制度」から所得補償がなされることで、人々の所得の減少がある程度は緩和された。
今回のコロナショックでもドイツ政府は、これらの制度の適用要件を緩和することで、雇用・所得環境の悪化を軽減しようとしている。たとえば「操業短縮手当制度」は、従業員の10%で労働時間が短縮された場合に適用される運びとなった。
加えて社会保険に関しても、企業に代わってドイツ政府が負担する仕組みが用意されている。これら一連の措置は、2020年末まで継続される予定だが、場合により延長もあり得るという。
ドイツの補償は、スピード感と期間の長さで、先進国の中でもトップクラスと言えるだろう。
申請はオンラインが基本だが、たとえばベルリン州でのフリーランスの申請では「名前」と「住所」と「税金番号」ぐらいの簡単な入力で、実績や収入の減少を証明する書類も必要ないという。最初は申込みが殺到してサーバダウンしたりしていたようだが、整理券を発行するようになり、順番がきたら申請者にメールで知らせるシステムになったという。
このような仕組みがコロナショック以前にできあがっていたことが、今回のドイツの手厚い雇用維持政策を可能にしていることは間違いないようだ。
■日本の対応が遅い理由
慶應大学大学院経営管理研究学科(慶應ビジネススクール)准教授の小幡績氏は、日本の対応の遅さとして、2つの理由を挙げている。
https://www.newsweekjapan.jp/obata/2020/04/post-53.php
ひとつは、専門知識の不足と軽視。
「政府の感染防止策、対応策は、世論に突き動かされたもので、その世論も、一部のメディアで煽る専門家に振り回されて、かつそれをSNSで増幅した、論理的でないものであり、科学的なアプローチ、検討を致命的に欠いているものであった。しかし、それに対応する形で、専門家を集めた会議などを行っておきながら、結局は、世論優先で政治的に対応を決定してきたために、非常にチグハグで、効率の悪いものになった。」
この指摘はどこまで当たっているか?
まず、日本政府がどこまで非論理的で非科学的な世論に煽られたかは定かでない。
私の見立てでは、日本政府のコロナ対応のチグハグさ、効率の悪さの原因は、大きく分けて4つある。
〇専門知識不足というよりも、感染症に関する経験値と危機感不足。
日本はSARSもMERSも経験していない。せいぜいインフルエンザ。諸外国がSARSやMERSからどんな教訓を得て、そこからどんな対策を導き出したかに学ぶこともしなかった。この手の感染症は、日本にとって、しょせん「対岸の火事」だったのだ。これは専門家の手抜きであり、政府の危機感の薄さであり、国民の認識不足である。
〇既存の特措法の建てつけが柔軟な対応の足を引っ張っている。
今回の新型コロナウィルスの正体が徐々にしか明らかになってこなかった、という事情を踏まえつつも、実態が明らかになるのに合わせて、国も地方も迅速に超法規的(超実定法的)、脱慣習的、特例的に振る舞えず、相変わらず何かにつけて「特措法の範囲内で~」を繰り返しているドタバタさ加減は、まるで野球の試合で、「新型コロナ」というフライが上がったのに、二人の野手が「どちらがキャッチするのか?」とばかり見合ってしまい、結局フライ球を取りそこなう様を思い出させる。
〇専門家と政府との間の確執。
専門性を軽視しているのではなく、専門性が足りていない(偏っている)のだ。
医学や疫学の専門家だけを集めた専門家会議は、何とか感染拡大を防ごうという方向に働く。一方政府の方は、経済への打撃を最小限にとどめたい。両者が対立関係になるのは必至で、それをうまいこと収め、最終的な着地点を見出すためには、まったく違う専門的観点を導入する必要がある。たとえば経済学、法学、危機管理学、数理物理学、防災心理学、臨床教育学といった分野だ。それが、このシリーズを通しての、私の一貫した主張でもある。
今頃になって、政府にもようやくそうした動きが見え始めたようだ。
※「コロナ諮問委に経済専門家追加へ 衆院予算委で西村担当相」5月11日
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200511-00000072-kyodonews-pol
〇極端な縦割り行政の弊害。
「大阪モデル」に対する西村大臣の牽制の仕方などを見ても明らかだが、国と地方自治体がフライ球を間にはさんで「お見合い」をしてしまっている様と同じように、PCR検査を間にはさんで、厚生労働省と文部科学省が牽制し合ったまま、どちらもなかなか自分から動き出せない様も、極端な縦割り行政の壁を超えて横のつながりを持てない窮屈さ、偏狭さがうかがわれる。
※山梨大・島田眞路学長 PCR検査が増えないのは「厚労省が大学を活用しないと決めたから」と持論を展開
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200511-05110091-sph-soci
※大学のPCR検査能力、文科省が調査 山中教授も提言
https://www.asahi.com/articles/ASN5D7HZRN5DULBJ00J.html
さて、小幡氏が主張するもう1つの理由は、日本のコロナ危機が、世界でもっとも深刻度の低いものである、ということだ。日本の新型コロナ感染者の死亡者数は、欧米に比べると一桁から二桁少ない。
こうした事情から、日本は「真の意味での危機感がなく、ただの空騒ぎをしている」と、小幡氏は言う。
「切実な声は、ほとんどが中小企業、とりわけ飲食店からのものだ。このままではつぶれてしまう、死んでしまう、というものだ。ほとんどすべては経済的な危機なのである。」
確かに日本人は、「この新型コロナウィルス感染症は、それほど人が死なない病気だ」と、どこかでまだタカをくくっているのかもしれない。相対的に言えば、今は確かにそうかもしれない。
実際問題、3月初頭の時点では、「8割が軽症ですむような新型コロナウィルス感染症が、重篤な感染症を前提としている特措法に馴染むのか?」という議論に始まり、「緊急事態宣言は、抜かなくてすむに越したことはない伝家の宝刀だ」という議論につながる、というレベルの認識だった。危機感の薄いところから、日本のコロナ対策は始まったのだ。「ダイヤモンド・プリンセス号」という最大のケーススタディが序章としてあったにもかかわらず・・・。
いわば、今回の緊急事態宣言に続く、強制力のない様々な自粛要請は、危機感の薄い国民意識からすれば納得づくのものではないため、ことさら経済的打撃がクローズアップされがちかもしれない。
しかし、これから抗体(抗原)検査が普及してくれば明らかになってくるだろうが、まだ多くの人が抗体を持っていない(感染後治癒者が少ない)という意味では、これからもっと大きな感染爆発が起きないとも限らないのだ。そこはワクチン開発との追いかけっこになっていくだろう。
一方、経済評論家の加谷珪一氏は、税制の問題を指摘している。
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2020/05/106.php
たとえばアメリカでは、個人の確定申告による納税が普及しているため、税務当局は個人の年収や住所、口座番号を把握している。そのため税務当局のシステムが給付額を自動的に計算して、勝手に振り込んでくれるという。
「日本は源泉徴収制度を採用しており、企業に徴税業務を肩代わりさせているため、税務当局は基本的に一定年収以上の源泉徴収票しか企業から受け取らないなど、個人の正確な納税額や口座情報を把握していない。このため住民票をベースに一旦、申請用紙を送り、国民が自ら申請するしかないのだ。」
「欧州は労働関係の助成金が豊富で、日頃から多くの企業が支援制度を利用しているため、企業側が仕組みをよく理解している。役所もオンライン申請や書類の簡略化などを積極的に進めてきたこともあり、手続きがスムーズに進んでいる。一方、日本では労働法制が厳格に運用されておらず、各種支援制度も有効活用されているとは言い難い。雇用調整助成金の存在を知らなかった企業も多かったようだ。
制度の適切な運用には役所と企業、そして国民が制度に高い関心を持ち、日頃から地道な努力を積み重ねる必要があるが、残念ながら日本はこうした取り組みをおざなりにしてきた。結果として非常時にうまく制度が機能しないという状況に陥っている。」
つまり、日本は社会保障制度を整備はするものの、実際の運用となると、国民へのアピールも含め、まだまだ手薄で、国民の方も制度の活用に慣れていない。そうしたチグハグさ、効率の悪さが、こうした事態になったときに一挙に噴き出している、ということらしい。
■国民の危機意識を低める「日本式カースト制度」
上記で、日本のコロナ対応のスピード感のなさ、チグハグさ、効率の悪さについて、私が考える主な理由を4つ挙げたが、これらに共通するもっとも根本的な理由を、最後にひとつ挙げておきたい。それは「日本式カースト制度」とも呼ぶべきものだ。
「民主主義、自由主義、資本主義の日本で、そんなことあるわけない」と、あなたは思うだろうか。そう思うなら、あなたもかつてはいたはずの学校の教室の中を思い出してみればいい。「スクール・カースト」という言葉を聴けば、あなたもピンとくるのではないだろうか。学校の教室の中でさえ、子どもたちは肉体的・社会的・文化的序列や力関係の中で生きているのである。
もちろん子供たちの世界は大人社会の反映であるに違いない。「官僚主義」「事なかれ主義」「忖度」といった精神文化も、すべてこの「日本式カースト制度」から生まれていると私は見ている。この目に見えない社会制度の成立には、国民も一役買っている。日本では、誰もがこぞってピラミッドの上を見上げているのだ、忖度するにしても批判するにしてもだ。「親方日の丸」「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」「泣く子と地頭には勝てぬ」という価値観・世界観は相変わらずなのだ。一方で「平等」を説きながら、もう一方で権力や財産を握る者への憧れや特別視が日本人の精神風土に根を生やしている。
全員がこぞってピラミッドの頂点を見上げているからこそ、超法規的、脱慣習的、分野越境的に対処しなければならない事態に至っても、縦割りの壁を超えて横のつながりを持つことができないでいる。まるで「ウイルスは縦方向にだけ動いてくれる」と思い込んでいるかのようだ。
日本はもちろん、科学技術の面では間違いなく先進国だろう。たてまえ上の政治体制は民主主義で、法治国家でもあり、経済体制でいえば自由主義、資本主義でもあるだろう。しかし国民のメンタリティは相変わらず「群集心理」に動かされやすく、封建制や父権主義から卒業できずにいる。法律・政治・経済の体制や科学技術がどれだけ先進国レベルでも、国民の精神性がそれに見合うレベルとは限らない、という点がやっかいなのだ。国も国民も低次元で相互に影響し合っているという意味では、「政府は世論に振り回されている」という小幡氏の主張に戻るだろう。
こうした「日本式カースト制度」とも呼ぶべきものが、国民の危機意識を低め、自分で考え、自分で決断し、その結果に自分で責任を持つという、真の「自立性」から遠ざけ、そうした国民の意識レベルが政府のあり方にも反映している、と私は見ている。
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