シリーズ「新型コロナ」その22:あなたがラーメン店の経営者だったら
■コロナ禍は私たちにどんな選択を迫っているか
コロナ禍によって、すでに「一億総生き直し時代」が始まっていると言ったが、それは具体的にどういうことだろう。
たとえばあなたが都心でラーメン店を経営しているとする。
ランチタイムには行列のできる、けっこうな繁盛店だ。しかし、このコロナ禍によって、店の継続が困難になってきた。営業自粛のため、店を閉めざるを得ない。家賃だけがかさむ。たとえ店を開けたとしても、3密を避けるために、席を半分にせざるを得ず、どだい客足も半分以下に減っている。やむなくテイクアウトを始めるが、家賃、伝光熱費、材料費を払ったら、ほとんど手元に残らない。このままでは、やっていけない。
緊急事態宣言が解除されるまでの我慢、と思うのだが、給付金が下りるのが先か、閉店が先か、という切羽詰まった状況だ。給付金が今すぐ下りたとして、最初の1~2カ月は何とか持ち堪えられても、3カ月目以降はわからない。たとえ緊急事態宣言が解除されても、3密回避やソーシャルディスタンス保持は、新しい生活様式として今後も続くという。都心で飲食店を経営すること自体が困難になってくる。
あなたは選択を迫られる。しかも、この選択は先延ばしにすればするほど、傷口が広がる。コロナ禍は現在進行形だが、コロナ以後の「生き直し」もすでに始まっている。開店休業のまま、何とか家賃を払い続けて、事態が収束するまで持ち堪えるのか、それとも傷が浅いうちに撤退するのか?
そもそも、事態が収束したとして、以前の客足は戻ってくるのだろうか? すでに多くの企業がテレワーク化されたり、時差出勤が定着し、今後もその体制が継続すると聞く。近隣のサラリーマンが常連客だった店にとっては大打撃だ。
材料を供給してくれていた業者も、次々と廃業に追い込まれていると聞く。これでは、やりたくても店を継続していくことはできない。今後もし同じような事態が起きたら(たとえば、流行の第二波がきて、再び緊急事態宣言が出されたら)、もうおしまいだ。
「この店は継続できるのか?」「私が今やるべきことは何なのか?」「他に私にできることは何なのか?」「そもそも、私はこの店を継続させたいのだろうか?」
様々な疑問があなたの脳裏をよぎる。
これは極めて実存的な悩みだ。つまり、どこを通っても結局「そもそも私はなぜ、何のために存在するのか」という問いかけに行きつく。たとえ小さなラーメン店の経営だったとしても、あなたには高度な経営哲学が要求されている。
あなたが、その場所でラーメン店を経営する根本的な目的とは?
そもそも、なぜラーメンだったのか。いや、そもそもなぜ飲食業だったのか?
なぜ実店舗経営だったのか?
すべてがスタート地点に戻される。
コロナ以前の世界では、人が集まりやすい場所に実店舗を構えて、美味しいラーメンをリーズナブルな値段で提供すれば必ず繁盛して、それで生涯生活が成り立つ、という当たり前だった法則が、コロナ以後の世界では通用しない。
■コロナ以後に要求される生き方の三位一体
さて、問題を整理しよう。
あなたがあくまで実店舗を続けたいとする。しかしデリバリーも続けないと経営は難しい。今までは、ラーメンだけで勝負してきたが、サブメニューとして餃子やチャーハンも始めないと間に合わないかもしれない。あなたは業態の拡張を余儀なくされるわけだ。
もちろん、どれだけ街にウイルスが蔓延しようが、ラーメンに対する人々のニーズが消えてなくなったわけではない。ただ供給体制を変えざるを得なくなったのだ。
これは、コロナ以後には、あらゆる業種に要求されることかもしれない。今までは、ひとつの業態でも、人気が出れば成立したかもしれないが、コロナ以後には、商売を支える柱は、一本では足りないことを意味する。もしかしたら、商材もひとつでは足りなくなるかもしれない。複数商材の複数業態による複合経営が当たり前になるだろう。終身雇用神話がすでに崩壊し、副業も解禁されているくらいなのだから。
あなたが業種にもこだわらないなら、選択肢はさらに増える。「ラーメンじゃなかったら・・・いや、そもそも飲食業じゃなかったら、私は何ができるのか、私は何をすべきか、いや、私はそもそも何がやりたいのか?」
「やりたいこと、できること、すべきこと」この3つは、ラーメン店の経営に限らず、人が生きていくうえで調和をとるべき普遍的な人生の課題である。この3つは、仕事に関しての「動機(目的)」「技能」「やる気」の3つと大きくかかわってくる。
あなたにとってラーメン店が、やりたいことであり、できることでもあり、すべきことでもあるなら、たとえコロナ禍であろうと何であろうと、あなたは継続することに何の迷いも抱かず、常に前向きに技能の向上に努め、やる気も萎えることはないだろう。そうなってくると、あなたは実店舗にこだわらなくなるかもしれないし、実店舗だったとしても、都心にはこだわらなくなるはずだ。それをあくまで都心、あくまで客数にこだわるとしたら、あなたは単なる金儲けの目的でやっていることになる。お金を儲けたいなら、ラーメンである必要もない。
あなたにとってラーメン店が、やりたいことではあるが、できることでないなら、できる人を探してきて、その人に店を任せ、あなたは経営に徹した方がいい。やりたいことではないが、できることであり、生活のためにやるべきことなら、あなたではない経営者を探した方がいい。
店を継続する動機(目的)の部分にも、技能の部分にも、やる気の部分にも迷いが生じているなら、さっさと店を畳んで、人生をリセットした方がいい。
自分が本当にその業種・業態にしがみつく必要があるのかないのか、それが可能か不可能か、そうしたいのかしたくないのか、という自問自答は、コロナ以後の世界が、すべての人に迫ってくる根本的な実存的問いかけだ。
コロナ禍は、すべての人を実存的深淵の中に放り込む。その深淵を避けて通ろうとすることは、立ち直り・生き直しを避けて通ろうとすることにほかならない。その生き方は、いずれ淘汰されるだろう。
私は個人的に、すべての人が、「やりたいこと、できること、すべきこと」の三位一体に目覚めて、コロナ以後の生き直しに向かうことを望む。