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シリーズ「新型コロナ」その2:緊急事態宣言と経済的補償はセットか?

■またしても人命と経済を両天秤にかけるのか?

今、新型コロナ絡みの報道を見ていて、猛烈に違和感を感じることがある。それは、「緊急事態宣言に伴う外出自粛要請と経済的補償はセットである」という論調だ。「家に籠って外出するな、仕事はなるべく自宅勤務に切り替えろ、それでもだめなら業務を一時停止しろ、と要請するなら、真っ先に生活を補償しろ」「金をくれるなら、家にいてやる」という論調だ。
これは政府の要請に対する国民からの正当な要求(交換条件)のように聞こえるが、元来、外出自粛要請とは、「あなたと他の人の命を守ることを最優先にしてください。そのためにしばらくの間は外出を控えてください、人との接触を極力控えてください」というメッセージのはずだ。

今はまさに全地球レベルの緊急事態である。過去にもこういう事態がなかったわけではない。感染症の蔓延に限らず、人類は様々な存続の危機を乗り越えてきた。今回の新型コロナウィルスもそのひとつだ。「自分ひとりが何とかなればいい」というエゴイズムは、最終的には自分の首も他人の首も絞めることになるだろう。

確かに、日本の現政権の新型コロナ対策は、後手後手に回っている感がある。それが感染を広げる要因にもなっているだろう。このことに関しては、改めて取り上げるが、国民の方にも数々の早合点、不理解、油断、慢心があったと、私は感じている。たとえば、「重症化するのは高齢者や基礎疾患を持つ人だけで、若者は大丈夫」といったデマ、「感染爆発を防ぐための自粛はいいが、やりすぎると経済が崩壊する」といった「命とお金」を天秤にかけるような論点・観点がそれだ。

この両天秤のバカバカしさ、ウソくささを、私たちは3.11のときに、もうさんざん経験して嫌気がさしているはずではないのか。
戦後日本の経済発展のために、そして核の平和利用のために、というスローガンのもとになされてきた原子力開発は、ろくな安全対策もとられないまま、結局のところ自然の猛威の前に、なすすべもなく木っ端微塵となり、多くの命を犠牲にした挙句、ついでに計り知れない経済的損失までもたらした。
結果として私たちは、自分たちの命を経済に売り渡したのだ。
今、新型コロナウィルスを相手に、またしても人命と経済を両天秤にかけるような真似をしたいのだろうか?
原子力で学んだ教訓を、新型コロナでどれだけ生かせるか、私たちの人間的成長が今こそ試されている。

■優先順位と取捨選択は違う

ここで、はっきり断っておくが、優先順位をつけるということと取捨選択する(AのためにBを犠牲にする)ということは、まったく別の態度だ。私は、人の命を守るために、経済を犠牲にしていい、と言っているのではない。政府として、国民に今でき得る限りの政策を打つことは当たり前のことだ。
ただし、人命尊重と経済の維持・発展が両立し得る状況ならいざしらず、緊急事態である今求められているのは、「どちらかを捨ててどちらかひとつにしろ」ということではなく、「優先順位を間違えるな」ということのはずだ。
「命か生活か、どちらが優先か」という事態になったとき、答えは自明ではないだろうか。命がなくなってしまってからでは、生活もへったくれもない。「まずは何とか命を守ることを最優先に考えよう。それができたら、次に生活をいかに立て直すかを考えよう」ということである。
ものの優先順位を間違えず、それに基づいた行動がとれるなら、それによって被った影響からは、後々必ず立ち直ることができる、と私は信じる。その方がかえって経済的損失は少なくてすむはずだ。

優先順位をつけるということと取捨選択するということがどのように違うのか、ひとつの例を示そう。
1981年、経営危機に陥っていたスカンジナビア航空に新しい社長、ヤン・カールソンが就任した。彼は、会社を立て直すにはよほどはっきりした具体的な経営目標(ヴィジョン)が必要だと考え、当時どこの航空会社も手がけていなかったビジネス客にターゲットを絞った経営を旗印に掲げた。ビジネス客は目的地で会議や商談などが待っているわけだから、フライト中の過剰なサービスよりも定時の離着陸の方が重要なはずだ。そこでカールソンは、フライトの遅れが当たり前のようになっていた当時の航空事情に反し、あえて定時の発着にこだわった。
しかし彼は、航空会社にとって何よりも最優先なのは安全なフライトであることを忘れてはいなかった。そこで、「安全が最優先、二番目に定時発着、三番目にサービス」という行動規範を現場に徹底させた。
この優先順位は、たとえば次のように断行される。ある便が機械的な不具合によって遅れが出そうな場合は、安全確保のため、定時離陸は迷わずあきらめる。一方、機内食が届くのが遅れて、その到着を待っていたのでは定時離陸ができない場合は、迷わず機内食の方をあきらめる。もちろんこの場合は、機内食の供給以外のサービスに可能な限り心掛けることは当然だ。日常的にどのようなトラブルが起きようと、この優先順位が常に頭にある限り、現場の社員は判断に迷うことがない。ビジネス客にとってのこの徹底した利便性の実現により、スカンジナビア航空はわずか一年でV字回復した。

ケン・ウィルバーはこう言っている。

「サルを12匹殺すかアル・カポネを殺すかという事態になったら、私ならカポネを殺すでしょう」(「万物の歴史」より)

日本の政治家で、次のように断言できる人はいないものか、と私は思ってしまう。
「今、この緊急事態において、一人の赤ちゃんの命を守ることと、100人の大人の生活を維持することが、なかなか両立できない事態になっています。どちらかに優先順位をつけなければならないなら、私は断固として一人の赤ちゃんの命を守る方を優先させたいと思います。そのためには、医療崩壊だけは何としても食い止めなければなりません。しかし、それは私一人ではとても実現できません。そこで、国民の皆様に是非ともご協力をお願いしなければなりません。これ以上の感染拡大を防ぎ、崩壊寸前の医療現場を守るために、不要不急の外出を控えてください。その結果、生活が立ちいかなくなることもあるでしょう。その補償に関しては、私が政治生命を賭けてお約束したいと思います。だからこそ今は、命を守ることを最優先にした行動をお願いします」

私がここで言いたいことは、ウィルバーの先の言葉ほど深くはない。
ウィルバーは、人間の命とサルの命と、比べ方次第ではサルの方が重い、と言っているのだ。その言葉の意味するところは、とてつもなく深い。その真意について、ここではいちいち解説しないが、一方私は、人の命と人の生活とを比べたら命の方が重い、と言っているだけである。
「経済が破綻したら、自殺者が増える」という論調もあるようだ。しかし、はっきり言っておこう。人は経済破綻によって死に追いやられるのではない。「経済が破綻したら、生きていかれない」という間違った思い込みによって死に追いやられるのだ。死に至る病とは、「お金がない」ということではなく、「生きるすべがない」あるいは「希望がない」ということだ。さもなくば、経営危機に陥ったスカンジナビア航空は、沢山の自殺者を出さなければならないことになってしまう。

■電力不足なら節電するはず

今、すっかり疲弊し、枯渇し、最優先でエネルギーを必要としている人たちや業界がある。ひとつは重症の患者さんたちであり、もうひとつは医療現場である。この最前線現場では、設備、資材、器具、人材などの一切が足りていないと聞く。今はそこに重点的にエネルギーを注ぐ必要がある。
3.11東日本大震災のときにも同じ事情があった。被災地では、生き延びるための食料、水、エネルギー、医療などが圧倒的に不足していた。そこへいかに外部から必要なものを供給するかが喫緊の課題だったはずだ。今、それと同じ意味のことが、全国レベルで起きている。
もし私たちが今、早合点、不理解、油断、慢心によって、自分本位の行動をとるなら、原発事故による放射能汚染によって、目の前に救助を求める命がありながらも、その命を救うことができない、という事態が、医療現場で起きるだろう。(すでに、患者の緊急度に応じて優先順位をつけるという「トリアージ」が起きている)

では、私たちは医療現場にいかにエネルギーを送り込めばいいのか。どのような行動規範が、それを可能にするだろうか。
こんなイメージはどうだろう。今、医療現場では圧倒的に電力不足だ。外部から集中的に電力を供給する必要がある。ならば、医療現場とは直接関係ない外部の私たちは、不要不急の電力消費を厳に控えるはずだ。
これ以上感染者が増えてしまうと、医療現場がどんどん崩壊の方へ向かってしまう。それを何としても食い止めなければならない。これは行政だけが取り組めばいいという問題ではない。国民ひとりひとりが自分事として考えなければならない最優先課題である。
「今私は、自分の個人的な事情をしばらく脇に置いて、不要不急の外出を控えることを求められている。もし、生活が立ちいかないから、という理由で、私がものの優先順位を間違えるなら、どこかで誰かの命を危機に晒すことに直結しかねない。だから私は、少なくともこの時期、自分や自分の家族の命、ひいては見ず知らずの赤ちゃんの命を守るため、優先順位を間違えないようにしよう」という強い意識を持つこと(行動変容)が、国民ひとりひとりに求められているはずである。

■覚悟を決めれば何でもできる

「そんなきれいごとを言われても、私の生活はすでに今現在立ちいかないのだ。私の命は誰が守ってくれるのか?」という声が聞こえてきそうだが、そういう人には、こう言っておきたい。
「あなたの命を守ってくれる誰かを探す方法はひとつではない」

かくいう私はどうか。
私は基礎疾患を持っている。実際、今月に入って持病が悪化する事態にもなっている。しかし、緊急事態宣言を受けて、向こう一カ月は医者に行かず、(パートナーの力を借りつつ)自分のからだは自分で何とかする覚悟を決めた。日常生活維持のために必要な食料や日用品・消耗品の買い出し以外は外出もしないつもりだ。そしてこのnoteを書き続けるつもりだ。

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アンソニー  K
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