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ウクライナ問題に寄せて(その5):100人に1人の逸材

東側の大国が、西側寄りの政権に統治された隣国に軍事侵攻した。その隣国の東側寄りの地域を自分たちの陣営に併合しようという意図らしい(それ以上の意図も垣間見えるが)。
その地域は、もう何年も前から「独立したい」対「独立させたくない」をめぐって、激しい内紛が続いている地域だ。
その東側の大国は、8年前にも同じ隣国の別の地域に対して同じことをし、併合に至ったという経緯もある。
この間の経緯には、緩衝国を間に挟んでの、東西両陣営の複雑な鍔迫り合いがあるようだ。いずれにしろ、あらゆる地域紛争が、地球を二分するかたちの東西対立(東西冷戦と言ってもいい)の縮図になっていることに変わりはない。
そこで、西側の陣営が武力介入すれば、たちどころに大きな戦争へとエスカレートするだろう。8年前もそうだが、今回も西側諸国は直接的な軍事介入を避けた。その代わりに、被侵攻国へ武器、物資、戦費を供与し、さらに、侵攻国に経済制裁を加える、といった間接的な介入によって、その侵攻に対抗し、抗議している。
しかし、私たちは、このような方法で侵攻が止められないことにも、薄々感づいている。事情を知れば知るほど、経済制裁は今起きている侵攻を止めるための処方箋ではなく、もっと後になって現れる「副作用」を、両陣営にもたらすだけのように思えてならない。
だからと言って、もちろんこの被侵攻国を舞台に東西両陣営が直接対決すればいい、という問題ではない。被侵攻国の党首は、西側陣営の直接介入を望んでいるようだが、そうなったら、この国は焼土と化すだろうし、核戦争にもなりかねない。
結局のところ、直接的であろうが間接的であろうが、「対抗」や「抗議」というやり方では、火に油を注ぐことにはなっても、鎮火にはならない、ということだ。直接的であろうが間接的であろうが、あらゆる地域的紛争が、世界全体を二分する東西対立の「代理戦争」になってしまっている事情こそが、もっとも憂慮すべき点だろう。
この点に関して、日本も同じ運命を辿らないという保証はない。
いったい人類はいつまでこの「袋小路」状態を続ければ気が済むのだろう。

どう考えてもはっきりしていることは、東西どちらかの勢力を拡大させたり弱体化させたりする危険なシーソーゲームはもういい加減卒業し、地球を二分する大きな対立の構図を、そろそろ「脱構築」する(少なくとも、脱構築へ向けての第一歩を踏み出す)ときがきている、ということだろう。
高度に進化した宇宙人が地球に飛来して、今の地球人たちの東西対立を見たら、どう見てもひとつの家の中の「兄弟喧嘩」にしか見えないはずだ。彼らは言うだろう、「この星の住人たちは、いつまで自分の家の中で危険な花火の打ち合いをやっているのだろう。この生命体の進化の過程で、いったい何が起こったというのか?」
しかし、残念ながら、世界の99%の人たちはまだこの巨大な「お家騒動」を収束させる方法論を持たないのだ。

そこで、まず私が言いたいことはこうだ。
世界を二分する東西対立を解消するための第一歩とは、なるべく多くの人がまさにこの宇宙人の視点、つまり世界全体、地球全体を外側から俯瞰する視点を獲得するということである。言い換えるなら、担任の先生がいないクラスの生徒の一人ひとりがいかに担任の代理を引き受けるか、という問題である。
私は、このことを単なる「比喩」として言っているのではない。
私はついつい変な夢想をしてしまうのだが、仮に国連会議を宇宙船の中で行い、皆が地球を外側から眺めながら世界平和について話し合い、結論が出るまで地球に戻れない、としたらどうだろう。世界の紛争は一挙に片が付くのではないだろうか。一回で片が付かないなら、この宇宙船会議を何度でもやればいい。

それが無理なのはわかっているが、では現実問題として、国の行く末に決定権を持つ人たちが、これと同じ意味の意識変革をするにはどうしたらいいか。
もちろん、このような意識変革を成し遂げるのは、言葉で言うほどたやすいことではない。人に「宇宙人的視点が重要だ」と言われて、「なるほどそうだよね」と納得しているうちは、まだその意識変革を成し遂げているとは言えない。

面倒な説明をいっさい省いて言うなら、ある統計によると、こうした意識上の変革を成し遂げている人は、全世界人口の1%に満たないだろうと言われている。
この比率を、これからどれだけ増やせるかが、大きな全人類的課題であることは言うまでもない。そのためにはまず真っ先に、この先達たちが、どのようなプロセスを経てそのような意識変革に至ったかを知ることが重要だ。
特に、紛争をいかに解決するか、といった問題は、国を牽引するリーダーや、国際協調の場で発言権を持つ人材の中に、世界を俯瞰できる意識に達している人がどれだけ多く現れるかにかかっている。
一歩突っ込んで言うなら、こういう100人に一人いるかいないかの人材は、自分が属する集団(学校のクラス)の中で、浮いているはずだ。その人材より低い視点しか持たない残り99%の人たちは、この人が自分たちより一段高い視点を持っているのではなく、ただ単に自分たちとは「違う」ものの考え方をする異質な存在であるとしか認識できない。そこですでに「対立」の構図が出来上がってしまい、そういう人材は、いわば「排除」や「敬遠」の対象となってしまうのだ。つまり、このような100人に一人いるかいないかのタイプは、切り捨てていいような「例外」にすぎないとみなされる。そのようにして、残り99%の多数派の世界観が常にまかり通るわけだ。
残り99%の人たちが、いわゆるエリートであればあるほど、この傾向は顕著なものとなるだろう。
当然のことながら、私は個人的には、民主主義の根本であるはずの「多数決」ほど危険なものはないと思っている。

ここであなたは言うだろうか、「世界を大きく二分するような対立の構図を何とかしようという一大事に、そんな例外的な人間の言うことにいちいち耳を傾けている場合ではないのでは?」
そういうあなたには、改めてこう問い直したい。
あなたは今、世界を二分するような対立の構図を何とかしようとしている。そのためには、あなた自身が人類全体を俯瞰で眺められるような宇宙人的視点を獲得している必要がある。あなたがすでにそういう視点を獲得しているなら、1%の少数派と99%の多数派の間に起きている対立(不理解と言ってもいい)、あるいはもっと具体的にAさんとBさんの間に起きている対立を解消することなど、いとも簡単ではないだろうか?
いわんや、あなた自身と誰かの間に対立があるなら、それを解消することなど、もっと簡単なはずだ。
そう、早い話、あなた自身が「今のあなた」を真っ先に超えてみせる必要がある。そうすれば、世界は今とは違ったものに見えるはずだ。変革はそこからでなければ始まらない。

厳しい言い方で恐縮だが、自分の視点を一段階高い位置に引き上げるということは、今あなたがその上に胡坐をかいている価値観・世界観が完全に崩壊するような経験を持つ、ということでもある。つまり、あなたは生き方の面でいったん死んでみせる、ということだ。
比喩的なものの言い方をするなら、地球を俯瞰で眺めるために宇宙空間に出て行っても生きられる新たな生のモードを獲得する、ということだ。
ただし、この「価値観・世界観の崩壊」は、実は見かけだけのものなのだが・・・。つまり、意識変革とは、旧い価値観・世界観が崩壊(消滅)するのではなく、実はそれらを残したまま「超える」という作業なのだ。しかし、いずれにしろ旧い価値観・世界観は、見かけのうえだけでも、いったんは完全に通用しなくなる瞬間を迎える必要があるだろう。

ちなみに、私自身のその手の経験にご興味がおありの方は、ぜひ拙著『コズミック・スピリット』をお読みいただきたい。ここには、今起きている巨大な「お家騒動」の根本原因についても書かれている。

やや「我田引水」になってしまったので、話を戻そう。
世界平和の実現と、あなた個人の意識変革はつながっている。それはともに、「担任不在の教室で、いかにクラスメイト一人ひとりが担任役を少しずつ肩代わりするか」という問題である。そのためには、あなた自身が自分の価値観・世界観の崩壊を経験し、意識のうえでいったん死んでみせる必要がある。もちろんそれは「恐怖」を伴う。しかし、その恐怖を乗り越えなければ、一段高い視点を獲得することはできない。
実は、この「意識の上での死に対する恐怖」こそ、人類が相変わらず「お家騒動」を続けている原因のひとつでもある、と私は見ている。これには当然、生命としての「サバイバル」の問題も絡んでくる。
では、サバイバルの問題も絡んでくる「死の恐怖」を乗り越えさせるものとは何だろう?
すでにそうした「死の恐怖」を乗り越えて意識変革を成し遂げた1%の人の共通体験とは、どのようなものだろう。
今後の記事で、これらのことを詳しく取り上げていくつもりだ。

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